2017年06月17日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯027

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯027





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



S__194215945.jpg



ども、リハビリストです。
まずは暗〜い話から…。(^_^;)





ときどき今も、ココロだけじゃなく、カラダがデスペアな気分になる事がある。


もう退院して2年も経つってのに。



そんな時はドッキンドッキン、ウーイッウーイッ、ウンニャウンニャ、ザーザーっと耳鳴りも続く。


〜〜キレたところに近い左耳の方に聞こえるんだけど、耳鳴りの音って言葉に表すことができないね。



オモシロイ、オカシイ。


出血で壊死した細胞のおかげで血液の流れがダイレクトに聞こえるのかなあ?わからん〜〜。


何か重いモノがぶら下がってるか、重力が麻痺の右半身を下から引っ張って、動くんじゃねえと言ってる感じで、ベタッと寝てるのが楽になる。



これから先どうなるんだろう?
またキレるんじゃないか?
などと不安が頭をもたげてきて、カラダにつられて、だんだんココロにも暗雲が立ち込めてくる。


計測したら、血圧は高くはないんけど。


神経が死ぬってことはこんなものなんだ。

ホントやっかいだよね。





いろいろ調べると、出血による脳の萎縮などで精神的に不安定になる事が、何年経ってもあるという。


前にドクターに聞いたら、
「脳卒中の患者さんにけっこうあるみたいですね〜」
って、良いとも悪いとも言わなかったな。

なんだよ。



感情の起伏が異常に激しくなったり、性格が変わってしまったりする例もあるようだが、俺は多分それはないのでまだ良いけど。



そんな時でもコンチクショーエイヤッと頑張って外に出ることが多いのだが(そうすれば治る事が多い)、
あーあ、メンドクセ〜、もういいや、またブチ切れて死ねやポンコツ!と自暴自棄になることもある。




倒れる以前はなんでもできた自分と、今の片麻痺の不自由な自分とのギャップに悩み、卑屈になることが、カラダにも影響を及ぼしてるに違いないね。


俺なんか性格的に特にだ。


道を歩いてて避けてくれたり、
クルマもわざわざ止まってくれたり、
電車やバスで席を譲ってくれたり、
レストランやサ店でも、イスを引いてくれたり、
スプーンやフォークを用意してくれたり、
ドリンクバーから持ってきてくれたり、
ホントに感謝感激なんだが、過ぎると恥ずかしいやら、メーワクかけてる気分でミジメな気持ちになったり、片麻痺オヤジのココロはおセンチなんですぅ。

ったく。




まあ、でも、グチっても未来はないので、なんとかモチベ上げて動かんとね〜

こんな醜い自分でも、誰よりも自分が一番に好きにならないと。

大大大好きで愛さないと。

全てはそこから始まるのだよん。


おお、できるじゃねーか!
見ろよ、俺って実はスゲー!
片麻痺でもこんなにできるんだぜ!
カッケー!
なんてアタマ良いんだ!
って思った時のカラダの実に軽いことったら。


このブログ書きもモチベ維持に大きな役割を果たしてる。




読んでくれた人ありがとうございます!



先輩の管理人さんもありがとうございます!



今だに電話やチャットで励ましてくれるピーナたちも❣️ウヘヘヘー。








ふと思ったけど、俺のバヤイ、右半身麻痺で利き腕だった右手が使えなくなったのだけど、なんかそーいうことで脳に変化ってあるのかなあ。


倒れるまでほぼ右手を使っていたわけなんだが。



脳が右優先から左優先にシフトするとか。

書いたり、
キー打ったり、
食べたり、
モノ取ったり持ったり、
オ○ニーしたり、
全て左手一本でほぼOKになったんだが(オ○ニーはツボの刺激がイマイチで不満 爆)。


ニンゲンの脳はいくつになっても柔らかく都合の良いように変化するっていうから、もう2年も経つと左手一本で固まってきたかもね。


一方で右手が使わない廃手としてますます固まってきてるようで悲しいけどね。


補手でもいいから、なるべく使うようにはしてるけど。

親指と人差し指は少し動くけど、あとはウンともスンとも。

ドアノブをひねることはできなくても最初に右手を差し出したり、
顔を洗うとき両手を使ったり、
左手で書くときノート等を抑えたり、
ペットボトルを右手で持たせて開けたり(指がカッチカチになってる時があって開くのに苦労するけど)、
右手も忘れず使う努力はしてるつもりだ。





S__194215940.jpg



あ、そうそう。


いつものリハビリウォーキングに、最近、「ナンバ歩き」を取り入れてる。

日本古来の歩き方で絵巻物などに書かれてるように昔の人はそうだった、というけど真偽のほどはわからんし、どーでもいい。


ある日アタマに浮かんでやってみることにした。

基本、右手と右脚、左手と左脚をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方で、腰をひねらない。

音を立てずにソッと歩くニンジャ歩きみたいだ。

左手はポケットに引っかけて、麻痺の右手はそのままブランブランで、右脚を出したときカラダも右を出す、
左脚を出したときカラダも左を出す感じで歩く。

リハビリに何の効果があるの?って言われれば、まったくわからないけど、疲れない(と思う)、体幹が中心になってカラダが安定する、ステッキがいらない。

最初は慣れなくて、あれっ、どっちだっけ?なんてなったけど。


ひねらずカラダの中心を軸にして脚を出すからステッキは使いにくい、ってか邪魔。

左右に曲がるときも、重心が左や右に傾かないから、フラフラせずに曲がれる。

周りから見ると、何だあれ、へ〜んなの、ってなるかもだが、片麻痺にナンバ歩きは合ってるような気がするよ。



体幹を鍛える意味でも効果あると考えてる。

課題として、もっと下半身の軸、重点を下げるようにしたい。

もっとニンジャっぽく這うように移動して、上半身はスッと伸びて動かずに。


例えばケガとかでカラダに不具合があると、ニンゲンは自然とナンバ歩きになってるんじゃ。

腰をひねる行為は不自然だからだ。


だんだんラクになってきて、今はウォーキングの半分くらいはナンバ歩きをしている。


健康にも良いというし。


デューク更家さんの歩きに挑戦してみようと思ったこともあったけど、ちょっとまだ難しいね。



とりあえずはナンバ歩きを極めてみよう。







で、歩くとき、自然と麻痺の右脚の膝がわずかだが曲がるようになってきた。

自分の意思で後ろに曲げて上げることはできないが、ストレス無く歩けるように自然と膝が曲がってるのだ。

前はピンと突っ張って、ただ右脚を前から後ろに移動するだけでヒジョーに歩きづらかったが。



俺も意識して右側にちょい体重をかけて膝を曲げるようにしている。

まず何より車イスだったのが一万歩以上、時には二万歩、三万歩歩けるようになったのだから大きな進歩だろう。



このリハビリは、もうハッキリと目に見えての進歩はないと思う。

でも、続ければ1ミリでも、0.5ミリでも進歩は絶対にある。


ある日気付けばできるようになってたみたいに。



だから誰が、ドクターでも、なんと言おうと、死ぬまであきらめないよ、俺は!







リハビリウォーキングで菊池を歩く@

家から10分くらいのところある、「いちいがし」「天神さん」と呼ばれるというデカいブナの木。
樹齢数百年。
幹の周りは10メートルくらいあるかも。
根がヘビみたくニョロニョロなっててちょっと気持ち悪し。
一応入り口には腐った看板があるが、汚ねえ手すりのある細い階段で上るのはいいが、片麻痺に下りは怖かった。


2017011616400000.jpg

2017011616410000.jpg


明治の頃は近くに小学校があって根元は遊び場だったらしいけど、今は滅多に人も来ず不気味。

天然記念物かな。


つづく

白本朋求facebook
https://www.facebook.com/tomoki.shiramoto
GW-00043.jpg


2017年06月03日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯026

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯026


3582_534412543269237_1909502816_n.jpg


リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


健康と医療ランキング


ども、リハビリストです。



24時間なんでも全てがリハビリ。

寝るときは壊れた脳とカラダを休息、再生させるためのリハビリ。

食事はカラダを創り維持するリハビリ。

読書や音楽・映画鑑賞はもちろん脳のリハビリ。

ツライことも、これもリハビリだ!と考えれば、躊躇せずできる気がする。



大きな問題も受け止めることができる気がする。

だからオレは脳出血で倒れて片麻痺の障がい者になったときからリハビリストになりました。ヨロシクー。






先日、関東の友人が「いっぱい歩いてねハート️」とステッキを送ってくれた。


S__189022212.jpg



登山やトレッキングで使うヤツだから杖じゃなくステッキ(笑)。

左右あって、ジェラルミンでできたT字型の軽くていいヤツ。

先っぽにギャップを吸収するスプリングが入ってる。



病院では、車イスを卒業してから、先がクモみたいになった重いステッキを使っていたが、退院してあえて杖は使ってなかった。

リハビリスタッフも「白本さんは必要ないっしょ〜」って言ってたし。




どんなに歩きづらくても、麻痺の右脚が引っかかって、ヨロケても、転びそうになっても、いらねーよと使わなかった。

実家に親父さんの使ってない高級杖があったが、持つところがT字型ではなくストレートで、使って歩くと、ホントに腰の曲がったおじいちゃんが使うみたいで恥ずかしかったし。




せっかくプレゼントしていただいたので使ってみた。……歩きやすい。

なんとスゲー歩きやすい。

カラダが安定するのだ。


これまで路上にギャップがあったりすると、特に麻痺の右側が上がってたりすると、左側に倒れそうだったのが、ステッキがあるから、苦労して麻痺の右脚を上げなくてもいいし。


ステッキに頼ってカラダをヘーキに斜めにできる。

足腰の疲れも2割程度軽減できるらしい。

その分持つ手が疲れるけどね。

片手全部ふさがってしまうけど、ストラップが付いてて、離せば左手が使えるし。



ただ、一回ステッキを使って楽をすると、脳がそれを覚えてしまい、ステッキ無しでは歩きづらくなると聞いたことがある。

まあ、なるべく頼らず歩こうとは思うけど。



あるリハビリの本で、
目が悪いならメガネをかけるのと同じで、脚に麻痺があるなら、装具はもとより、ステッキを使うのが当たり前田のクラッカーで、スムーズな歩行に結びつかないので、必ず使いましょう、
と書いてあるのを読んだ。



定期健診の時、ドクターに話したら、

「カラダが安定するでしょ。これからも使いましょう」だって。

オイ、オイ、必要ないでしょ、って言ったじゃんかー。

あ、言ったのリハビリスタッフか。




まあ、そんなこんなで、これからステッキを使うことにしたよ。

3本脚になった。

退院して2年、無理くりでも使わなかったことが、上半身を真っ直ぐにし、体幹を意識して鍛えることにつながったんじゃないだろうかと良い方向で思ってるからいい。


で、ここんとこ歩き過ぎ(と思う)。

休まなきゃ。


疲れてもカラダが安定するから、ついつい遠くまで行ってしまう。

先週は、夕方から夜にかけて、だいたい2万歩以上、15キロ弱くらいを、ほぼ毎日歩き続けてしまったよ。

もうここ熊本県菊池市泗水町は歩いてないところはないくらい歩きつくしたね。

どんなに小さな道でも、オフロードの山道でも。

私道だとわからず人の家に入っちまったこともあったし。



今までで、麻痺の右脚の爪が全部はがれてまた生えて一巡したな。

両脚とも血豆みたいのはしょっちゅう。

麻痺じゃない左脚は、特に親指の付け根が赤くハれてイタイよー。

脚の傷の出来具合いによっても、歩き方の問題が見えてくる。

やっぱり、まだまだ右脚に負担がかかってるんだな。




天気が悪かったり、仕事など用事があったりすると、もちろん外を歩けず部屋にこもってるんだが、血圧も若干上がったり、ストレスになってるような気がする。

変なの。

ウォーキング中毒だよね。



事前にグーグルマップでいろいろ見て、今日はここまで行こう、ここでメシでも食うか、などとプラン、実際歩いてナマの景色を見ると、変に感動するものだ。




昔から家にずっとこもってるのがイヤだった。

こもる時はこもるんだが、一回出るとなかなか帰ってこなかったな。


ガキの頃から親父さんの仕事で頻繁に引っ越していたせいか、一つのところに長くいるってことが好きじゃない。

だから東京で家を買ったのは全くの失敗だった。

また地元愛というものもまったくない。



できればそう遠くない将来、日本を脱出したいと常々考えてる。

他国の国籍でもゲットしたいね。

非国民だし(笑)。フィリピンじゃなくとも。





話が飛躍したけど、ここ菊池市は、平安、鎌倉、室町と約500年間、菊池家で繁栄した。

九州における政治、文化の中心的な位置を占めてたというのだ。

だからけっこうあちこちに史跡等の文化財が残されてる。

中心地である温泉街は、週末でもあまり人がいなく、さびれすぎるくらいさびれてるけどね。



道の駅で「菊池市の文化財」(菊池市教育委員会発行)という冊子を買った。

それに162もの有形無形文化財、史跡等が載ってる。

20キロ以内のところは歩いて、それ以上はバスやクルマで、ヒマを見つけて訪れることにしている。


なんかよくいる歴史好き探検好きのジジイみたいだけど(実際ジジイなんだが)、義務教育の頃から歴史は好きだったし、
例えば、何百年、何千年も前に、今いる同じとこに、同じように人がいたと思うとマジ感動感激じゃね?


家から5キロくらいのところに、6世紀くらいに作られたデッカい石の古墳と横穴の墓の跡が残ってるんだが、
メッタに人もクルマも通らないところで、草ボウボウで整備もされてないけど、最初に見たときはめっちゃコーフンしたね〜。


6世紀にここにも人がいて文化文明があったんだよ!



人類の歴史だね〜シミジミ…。


その近くに古池城跡地ってのがあるんだが、登り口から城跡まで手すりもない108段の階段があって、片麻痺のカラダでは行きたくても転げ落ちそうで怖くて躊躇してたんだが、
先日、熊本に住む友人が来てくれてヘルプされながらゆっくり登った。


2017031016260000.jpg




狭い安定しない階段で健常者でも危なそうだけど、腰をつかまれながらも制覇できた。

上は簡単な石の史跡があるだけだけど、よく見りゃとっても古いモノで、妙に感動したものだ。


今度はヘルプされずに独りで登るのが目標だな。

というように史跡が点在してるんだが、ほとんど予算もないのだろうけど、ほったらかしの荒れ放題。


大昔に人がいたってことに興味ないのかね〜マニアじゃない限りフツー興味ないか。

友人もシラけてたしね。ははは。

俺はいろいろ探索したいけどな。気づけば、こうして苦労して行くことも大きなリハビリになってるよね。






そう、そう。


家のある周辺は、第二次大戦中、陸軍飛行学校の飛行場だったんだよねー。

すぐ近くに、大きい給水塔や門、弾薬庫、油倉庫、格納庫基礎などの施設が70年以上経っても残されてる。


何気ない田舎の風景に溶け込んでる。


IMG_1933.JPG

IMG_1932.JPG



最初の頃に全部見て回ったけど、コンクリートの基礎部分に米軍が弾を撃ち込んだ跡が残ってたりするんだ。


2017012817140000.jpg



歩いて通るたびに触って、ブォーン、ダンダンダンダン、うわーっ、ぎゃーっ…と想像してる。


去年の熊本地震の際、避難したときに、ご近所のおばあちゃんが
「ここも空襲があっての、少年兵がダンダン撃たれてバラバラになって死んだのを見たんじゃ。それに比べたら地震なんて全然たいしたことねえべ」
と話してたっけ。



何もないド田舎に見えるけど、歴史があるんだよね。

生まれて死んで文明文化があったんだよね。





障がい者になって帰ってきてしまったけど、せっかくこういう歴史がある場所なんだから、いる間はできる限り訪れて知りたいと思うのだ。


どんなところにいても、何事も探究心や興味、発見を忘れてはニンゲン終わりだと思うし、なによりも楽しまなきゃね。





あ、そうだ。最近、ナンバ歩きを実践してる。


疲れないし、ステッキを使わなくても良い。


それは次回に。


つづく

白本朋求facebook
https://www.facebook.com/tomoki.shiramoto
GW-00043.jpg