2017年07月23日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯029

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯029

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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病院のベッドで気づいたらモノが二重に見えてた…。




退院して2年が過ぎ、以前ほどヒドくはないけれど、まだ二重に見える。

メガネを、麻痺側の右の目の方を上げれば治るときもあるが、なんかヘンな人みたいで、ずっと上げてるわけにはいかないし。


前はずっと二重に見えてることでイライラしたり、頭痛くなったりもしたが、さすがに2年も経つと慣れたのかねぇ。





リハビリの一番最初に口や顔をいろいろ動かすこととともに、ネットで見た複視のリハビリってヤツを続けてきたから、その効果かなぁ。


鏡で見ると、最初の頃のように、顔の右側が極端に落ちてるようなことはなくなったしね。





考えてみれば、目のリハビリって、眼球をあちこち動かすだけだから、可動域もそんなになく、限界あるような気がしてきた。


ネットでも詳しい情報がない。

複視のリハビリは続けるけどさ。




そもそも複視って、どうして起こるのだろうか?




医者に聞いたこともなかったよ。

単純に麻痺の右側が落ちててズレてるからだと思ってたけど。


眼球運動をつかさどる神経や筋肉が麻痺して正常に働いてないから?かなあ。


片目で見ると普通なんだけどね。


でも、麻痺の右目だけで見るとちょっとボヤけて視力が落ちてるような。





そしてある日気づいた。

正常な左目を隠して右目一本で見ることで、右目の神経を鍛えられないだろうかと。

ドラッグストアで「貼る眼帯」というのを買ってきて、ウォーキングの間だけでも使ってみた。

麻痺の片目なんで、距離感がつかめなかったり、ハッキリモノが見えづらかったりしたけど。



この時期、汗でグチョグチョになって剥がれて、一回使ったら終わりでいちいち買うのもメンドーだ、
ということで、海賊みたいな黒いアイパッチを通販でゲット。


しょっちゅうつけてると、今度は何でもない左目が悪くなりそうなんで、ウォーキングの時か、一日二、三時間だけと決めた。



外ではジロジロ見られるけどね(笑)。


外した時チョー鮮明に見える。

新たに光を得た感じでパアッと。


わからんけど、複視もなんとか治るような気がする。



素人対策だけど、ちょっと続けてやってみよう。

11月の免許更新までまだまだ日があるし。




先日、ふと倒れた時のことを考えてた。

ブログの一回目を読んでもらえばわかると思うけど、ああ、血管キレたなと、意識しない感じで友人にガラケーでヘルプの電話かけたわけだが、
意外と冷静だったとともに、これで終わりだ、もういいやと全てを投げ出し、あきらめたような記憶がある。



それまではフィリピンでの事業のこと、
身内のこと、
家のこと、
将来のこと、
好きなピーナのこと、
もろもろ、いつも考えて、悩み抜いて、対策を練って準備してたわけだが、倒れた瞬間に全てを無にすることを受け入れたというか。


もっと言えば、死をも受け入れたというか。


ニンゲンの脳って危機に陥ると、活動をストップする覚悟が自然にできるんじゃないだろうかと思った。



死ぬまでは、死にたくないよ〜、復活するゾ〜、アレもやらなきゃ、コレもやらなきゃ、ココロ残りイッパイだよ〜って必死にもがくけど、一線を超えると、死に臨む覚悟ができるんじゃないかな。



それも苦しむんじゃなく、眠るように気持ちよく、まるでふくよかな母の胸に抱かれた赤ん坊のように。



意識が遠のいていく間に、フワフワっと小舟に揺られるような、自然とカラダを持ってかれるような気持ちよい感覚が確かにあったよ。


実際には布みたいのに包まれ救急車に乗せられるんだが(笑)。



光とともに天使が降りてきて天国に連れてってくれる「フランダースの犬」のネロとパトラッシュのように。←よくできてるよね〜。



で、生きてた!とわかって、だんだん回復してくると、また、あーしたい、こーしたい、って欲望と希望が湧いてくるし、悩みも通常に戻っていくんだ。



つまりは、悩みって、苦しみって、ニンゲンが、生きて活動してる証しなんだよ。

だから、悩みや苦しみで自殺するくらいバカなことはないよね。


人生8割9割は苦しんでるんだから、多分みんな。種類や重みはそれぞれ違うけどね。










最近、ウチの親父さんなんか一日の大半を寝て過ごす。


お袋さんは料理やパッチワークなどの趣味があり、ご近所、お友達とのベシャリ、お出かけも忙しそうにしてるけど、
これといった趣味もなく、他人とのコミュニケーションも全くと言っていいほど取らない親父さんはテレビ見てるか食ってるか寝てるかだけ。


たま〜にお袋さん乗せてクルマの運転。

こうなりゃ、もう脳も活動を止めてきてるんじゃないだろうか。

だから眠たくなるんじゃないか。

探究心も新たな発見も何もない。

80過ぎた高齢が理由だけじゃないようだ。



親不孝者のオイラは死期も近いんじゃないかと考えてるけど。



脳が活動を止め、死を受け入れる準備をしてるんじゃないかな。


ムスコのオレから見ると、悪いけど、ああいう風には絶対になりたくない。



死ぬ間際までリハビリしていたいし、本や音楽、アートには接していたいし、刺激を受けて、あれこれ悩み考えたい。

さらに、オンナを見てチンポ勃てたい。

実際に触りたい。

オレの脳出血は、まかり間違えば死んでもおかしくなかった。

それが、片麻痺でも、せっかく生き残ったのだから、第二の人生を得たのだから、意味がなくとも生き抜きたい、とことん苦悩したい、悩んで悩んで悩み抜いてやる、視床下部が壊死しちまった障害脳をフルに使い活動させたいと思うわけだ。

意味は後で考える。




リハビリストでした。

つづく







リハビリウォーキングで菊池を歩くB

菊池飛行場跡地、鉄骨格納庫基礎と燃料庫。

家から歩いて20分くらい。両方とも人の家の敷地内にある。

基礎は古い苔生した感じで味があるね。

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燃料庫は前は4か5棟あったが、持ち主が駐車場にしちゃったみたい。

個人的には、こういう遺物がなくなるのは惜しいが、これが歴史ってもんだよ。

仕方ない。

弾痕とか近くで見れない。

ソッと中に入れそうだけど、オレだけに見つかったらケーサツ呼ばれそう(笑)。



白本朋求facebook
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2017年07月09日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯028

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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ども、リハビリストです。




梅雨でジメジメ、だんだん本格的に暑くなってきたね。

しかし、今年は豪雨で弟のいる福岡、俺の生誕地、大分(日田市)はタイヘンなことに。



ここ熊本県菊池市も一応警戒警報出たけど、そんなにたいしたことはない。





オレが帰ってから地震に豪雨(去年もだった)にと、自然が猛威を振るってるよね〜。


また、親に「アクマのお前が帰ってきたから自然のカミサマが怒った」って言われそう(笑)。


まっ、九州は2つの火山はあるし、夏は台風の通り道だし、自然とより密着してるからかも。




脳出血で感覚が敏感になったのか、雨が凄まじく地面に落ちる音や窓もビリビリ揺るがすカミナリの轟音など、自然の音がダイレクトに耳に入ってくる感じがしてオソロシイ時がある。


思えば、こんなに自然の息吹を感じたことはなかったなあ。



そういう意味では、倒れて都落ちして良かったのかもね。








汗かきかきリハビリウォーキングを続けてるためか、去年より暑さに強くなった気がする。


今は、部屋にあるクーラーも夜寝る時しか付けない。

普段は扇風機だけ。

30度超えても昼間はガマンというか、汗もそんなにかかないし、必要ない気がする。



夜はストレスなく快適に眠りに就きたいからスイッチオン。

どんなに暑くても日本じゃ長袖しか着ないんだが(理由はお分かりで)、出してるところはすでに真っ黒で、麻痺の右足の、日に焼けた装具の跡を見るとなんかうれしい。



それだけ歩いたんだなあとシミジミ。





ステッキを手にしたことでガンガン、ロングタイムウォーキングしてるわけで、歩くというニンゲンの基本的行動がムリなくできるようになってきているとは思うけど、
リハビリの効果よりも、ガンバって長距離歩いたことに満足してるような気がしてきた。



「ああ、今日も一万歩、二万歩突破。オレってスゲーなぁ。こんなにガンバってるのはオレくらいのもんだ。へへん」
というように。



まさに日本人的ガンバり。



ガンバることに意義を見いだし、その目的や効果はどーでもよくなる。


リハビリの目的はフツーに動けるようになることと麻痺のカラダでも健常者と変わらず何でもできるようになることなのにね。


途中のガンバりなんかどーでもいい、要は、全ては結果なのだよ!


天気が悪かったり、仕事や用事があったりで休んだ翌日なんて、意外と逆に調子が良かったりする。



麻痺の足もスッと前に出る。

膝も上に上がる。

やっぱ休む時は休まなきゃダメだね。



前、やってたボディビルでも休んでこそ筋肉は発達するのだ。

幸い、麻痺足の方の下半身が酷使してイタいということはまだないけど、リハビリやり過ぎてカラダ痛めちゃ本末転倒だよねー。





オレの場合、麻痺の右足ばかりでなく左足もほとんどの爪が、中に血豆みたいのができて抜け落ちて、また生えてきた。


倒れる以前にフツーに履いてたラバーソウルやドクターマーチンブーツが小さくなって履けなくなった(足が成長したのか?そんなことあるんかい?)。



足にはどこかしら赤かったり青かったりアザみたいのが常にできててイタい…。


やり過ぎだと思うけど、気付いたんだが、オレって、やっぱマゾヒストなんだ。


自分を過酷な状況に置いてこそキモチヨクなる。


もちろん片麻痺はイヤなんだが、そんなカラダでここまでヤッテルという自分を想像することに満足してるんだ。



確かに、車道で右側をウォーキングしてて、皆さん、クルマの中で涼しい顔して乗ってて、その脇を汗ダラダラでステッキ片手に必死に歩いてる自分に、なんか殉教者のようなナルシズム的なものを感じちゃったりしてるよ。



「なにあの人?カラダが不自由な障がい者なのに!すごいなぁ。かわいそうだね。ガンバってるね〜」
なんて皆さん見てるだろうなって思うのは、ホントにヤバイね。


途中で天気が崩れて、例えばびしょ濡れで顔にビシバシ雨粒が当たったりしてると、頭の中に「いざゆけ〜ツワモノ〜ニッポンダンジ〜」(出征兵士を送る歌ww)ってBGMが流れ、戦場に赴く兵士みたいな気分になる。


ヤバっ。




でもさあ、寝ててなんにもしないで死んじゃった神経の再生なんてできないと思うし、
リハビリはある程度苦しい思いはしないといけないのじゃないかね〜。


イヤ、違う、苦しいんじゃなく、楽しんでやるってことが大事だね。


それが脳にとってもイイことだというから。




日本人的に暗く悲壮感漂うってんじゃなく、汗かいて眉間にシワ寄せて苦しい表情をしてても、希望に満ちてるというか、最後に笑うというか。


そういう気の持ちようで実際に大きく動きも効果も違うからね。






ヒマがあればネットで脳出血、片麻痺情報を見てるオイラ。

麻痺の度合いも人によって違うんだけど、退院の時にオレはステージ3って聞いたけど、どんなんだろう?


検索すると、日本では、片麻痺の回復過程は6段階に分けて判断されてて、それは「ブルンストローム・リカバリー・ステージ」と言うんだってさ。


で、ステージ3ってのは、

「個々の筋肉だけを動かすことが出来ず、付随する筋肉まで一緒に動いてしまう。そのため、一定のパターン以外の運動が出来なくなってしまう。痙縮が最強の段階」
ってさ。


ドクターもリハビリスタッフも教えてくんなかったな。いや、教えてくれたけど忘れたのか。

このステージは、リハビリによって上がっていくのかな。

リハビリしないで放っておいたら、ステージは下がり、より悪化してしまうだろうな。


ということは定期的にチェックしないのだろうか。

聞いたことないな。



リハビリの成果と努力の結果を計る指針にもなるし、モチベーション維持にもなると思うけど。


退院2年じゃまだ早いか。

今は2級の障がい者手帳持ってるけど、もし回復したら、3級になったり、4級になったりするんだろうか。



それはいろいろ割引にならないから困るなあ(笑)。




ネットでは、上肢、手指、下肢と、各部位ごとに回復ステージとその検査方法について公開されてる。

これは定期的に自分でもやってみるかな。








退院して(まだ)2年。


前ほどひどくないが、相変わらず複視はある。

オレなりのリハビリは続けてるけどね。

メガネを、麻痺側の右の方を上げれば大丈夫なこともあるけど、いつも上げてるわけにはいかないし、
長く歩いて疲れたり、夜だったり、どこか店の中に入ったり、暗くて光が少ないと複視になってしまうようだ…
なんとかならんかのを〜は次回に。







リハビリウォーキングで菊池を歩くA


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家から歩いて数分、元ガソリン貯蔵庫と油倉庫。
菊地飛行場跡地に残る戦争遺跡だ。

非常に頑丈な作りで、当時は、米軍から隠れるために、上に土がかぶせてあった。

よく見りゃあちこち機銃掃射の痕が。

昭和二十年五月十三日の空襲の際に米軍艦載機から受けたものだという。


数十年前ほど前は家として人が住んでたらしいが、今はどっかの建設会社の倉庫に。

中を覗いてみたいけどなあ〜捨てられたクルマがまた歴史を感じるね。

油倉庫ってのは、その隣、民家の庭にある。

人んちだからそばで見られない。

燃料の油を入れてたのかね?

70年以上経ってもしっかり残ってるから、当時の建物は丈夫だったんだね。

こういう歴史を感じる遺物を訪ねるのがダイスキだ。




ここ菊池・花房台には県下最大の陸軍飛行場があった。


戦争末期には特攻隊の中継基地となり、空襲の標的になったんだって。

あちこちにちょこちょこ戦火を逃れた建造物が残ってる…。

つづく




白本朋求facebook
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