2018年09月02日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯045



リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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早いものでカラダがイビツになっちまって、すでに三年が過ぎようとしている。


このカラダに慣れてきたというよりも、右半身が不自由なことに、ますます想いを馳せるようになってきた気がする。




当初は、突然、動かなくなった右手右脚にビックリして戸惑いつつも、それをなんとかしたいと湧き上がる人間の根源的な闘志みたいなものに身を委ね、
リハビリに汗を流すことで現実から遠退いたところに自分を置いていたと思う。


それが徐々に、動かない、動かすのが難しい、という現実の事実の方からすり寄って来て、どうしても否応無しに麻痺という事実を意識せざるを得なくなってきているのだ。


一方で、いわゆる世間の目に対して、俺は片麻痺の障がい者だからと許しを乞うような、表の舞台から降りるような、卑屈な心で満足しているイヤな一面もある。


とにかく、この右半身片麻痺というカラダであと何十年も、どこまで歩いて行けるだろうかと不安になることも多いのだ。





起きると最初に、右半身だけが敷布団にのめり込んでいるような感覚を得る。

右手の下には、小さなクッションを置いて、左と同様になるように、ストレスなく平衡にしてるつもりだが、
右側が下がった斜めになったところに横になってたような感じがするのだ。


そして、膝を曲げて両脚を振り上げて、ヨッコラッショと反動を使って起き上がるのだが、

起き抜けはまだわずかに残る生きた神経が目を覚ましてないのか、
ダルいような、何か異物でもぶら下げてて重いような感覚で、右半身を上手く意識できずにいる。


それでも動いてるとスイッチが入って、ようやく意識とカラダがつながってくる。

でも、そこで朝一番で麻痺を自覚するのだ。




長時間にわたり横になってたせいか、普段なら落ちてると思われる右顔面もわずかにマトモになってて、
あっ、複視が治った!と勘違いする。

が、そのうち起こる目の前の二重の世界と主に顔面右下の、歯医者で麻酔を打たれた時のような、
モアッとした違和感で麻痺を確認して軽い絶望を覚えるのだ。


顔面の麻痺は右眼を頻繁にウィンクさせることで、麻痺の気持ち悪さをなんとか軽減させようとするも、やはり麻痺は麻痺。
付け焼き刃なんてなんの役にも立たない。




朝食を口に運んでも、唇の右側を意識しない日はない。

スプーンやフォークでしっかりと収めても、必ず右端から垂れる気がする。

固形物じゃなくみそ汁やスープだったら尚更だ。


だからティッシュやハンカチは欠かせないのだ。



歯を磨いてもそうだ。

途中、鏡を見ると、必ず右端から歯磨き粉の白いラインが下に向かってる。

情けなくて、子供みたいで、なんか悔しくなるが致し方ない。

ただ前ほど右顔面が落ちてはいないので、これまでやってきたリハビリの小さな成果じゃないかとホッとするのだ。




今こうやってiPadで文を書いてても、やはり右手の肘をテーブルに乗せて支えなきゃ真っ直ぐにバランスが取れないような感覚がある。

右側に全体重を移動するとそのままゴロリと倒れそうだ。




時々、麻痺の右手を強く不憫に意識して必死に動かそうとするも、

肩は不充分だけど、多分随意筋が動いてある程度腕を上げることはできても、自ら肘を伸ばすことは叶わず、
その先の指は常に内側に丸まったままで、ほんのわずかに親指と小指が申し訳なさそうに動くだけである。


丸まったままでは気持ち悪いので、時折左手でグイッと反らせる。

わずかに汗ばんだような掌に空気が触れたようでスッキリとするのだ。



テーブルや机に肘を乗せたままでいると、骨が固いところにダイレクトに当たり痛いので、下にハンカチやタオルなどを敷いている。



右手が使えなくなって、
食事でも、カラダを洗うのでも、書くのでも、iPadやPCを使うのでも、痒いところをかくのでも、トイレでケツを拭くのでも、仕方なく左手ばかりを使ってるわけだが、
最近、左指の腱がコツコツと何か引っかかるような感じがしてる。


もしや腱鞘炎になったのか、酷使で左手まで使えなくなったらどうしよう…

と不安に陥ることもしばしば。


もう、スピードは遅くても、左手でペンを持ってちゃんと文字を書くこともできるし、

iPadやPCで文字を打つことも、健常人と遜色なくできるようになっているので、

普通に動く左手だけが生命線というか、社会との唯一の現実の接点みたいに思ってるところがあり、コレまでが失われると本当に怖いのだ。


考え過ぎだとは思うけど。





左手一本というのは、今更ながら意外と不便である。



Gパンでも、カバンでもチャックを閉めるのにも反対側に何か抑えが必要になってくる。

それは口だったり、脚だったりするが、時に上手くいかないとチクショー、なんでだ!?とイライラして、
ますます不可能に陥ることと、理不尽なカラダを呪って絶望感に浸ることになってしまう。



ちょっとした工夫があれば解決するものだと思うけど。




部屋で絨毯や畳、布団の上に寝転がっている時も、
麻痺の右半身だけ、べったり地面にくっついているようだ。

カラダと接地面に全く余裕がない。

重力のまま。

まだ麻痺の右側にカラダを向けるのは良いが、反対側だと麻痺の右手右脚がカラダに重くのしかかって、こんなに手脚って重いのかと不思議に認識せざるを得なくなる。

だから、その姿勢で長くはいられない。



一番良いのは無防備な仰向けなのだ。


日々の一万歩ウォーキングだけは、著しく効果が実感できるリハビリ、というよりトレーニングだと確信して続けている。

健康面でも、やはり歩くことに勝るものはないと思う。


片麻痺により人間の行動の基本である立って歩くことにも支障が出てるわけだが、
それだからこそ、人間が立って歩くようになった遠い太古の記憶を呼び戻すように、
ただ歩いて移動することにこだわっているのかもしれない。



ただ麻痺のカラダはそれさえも拒否しようとする。



麻痺の右脚は大地を拒否して突っぱねるように足指の先まで伸びきってしまうことがあるから厄介だ。

それでもなんとか踏ん張って負けずにウォーキングを続けていると、徐々に大地に馴染んでいく。

もう一万歩も終わりになって、やっと固い右足の膝も柔らかく曲がるようになってくることも多い。





麻痺は筋肉に動けと命令を出す脳細胞が壊れているから、何もしないと筋肉自体が用無しと判断して衰えていくものと思われる。

だから、まるでコマネズミのように、いつも常に動かしてなきゃならないのだ。

これはこの障害を背負ってしまった者の、どうしようもない宿命だと考えている。

止めた時は死ぬ時なのだ。


そうだ、リハビリを止める時は、何歳でも、もう生きるのを止めた時、人間としての活動が止まる時、つまり死ぬ時なのだ。


とにかく障害である右半身の麻痺を「新しい」カラダの一部として、精神的にも、しっかりと受け入れなきゃならないと思う。


これからも解決なき葛藤は続くだろうが…。







もう9月、

夏も終わりで秋の気配が感じられるようになったけど、ここで俺が経験した不思議な話を三つ……。


入院中、看護師さんらに聞いた話……


患者の高齢のおじいさんが、朝のリハビリに毎日、参加するくらい元気になってたのだが、
ある日の夜中、病室を抜け出して、暗いリハビリルームの長椅子に独り座ってた。

夜勤の看護師さんが見かけ、
「◯◯さん、どうしたんですか?部屋に戻ってお休みしましょうね」
と話しかけたところ、おじいさんは静かに
「わしはもう充分に生きた…いい人生じゃった。もう悔いはない…」
と言ったという。

その翌週、おじいさんは亡くなった…。



その話を聞いて看護師さんらと騒いだ日の夜、俺は必ず夜中3時ごろ一回は目が覚めてトイレに行ってたんだが、
病室に近い、あまり人も来ない非常階段の近くの小さなトイレを使用してた。


トイレの横は共同浴室だった。

装具を付けて壁伝いにヨチヨチ歩いて、暗い浴室の前を通ったら、ザバァ、ジャーッと風呂に入ってるような水の音が聞こえてきた。

「えっ、こんな夜中に?誰?」。

止まって浴室の、真っ暗な磨りガラスを見つめたまま聞いてると、
「うああああああ」となんかうめくような声が。

驚いて、ゾゾっとして、急いで戻り、部屋の前を通って、ロビーのエレベーターの前の看護師詰所があるところの明るいトイレに入った。

いつものように看護師さんがいて安心したが、何も言わなかった。




玄関のすぐ脇に、小さいけど、春になれば立派に花を咲かせる桜の木があった。

何もなかった広い庭に、昔、主人がアクセントが欲しいと苗木を植えた。

飛び散った花びらが風で玄関から中に入って困ると奥さんは文句を言った。

主人は毎年の開花を楽しみにしてた。
近所の人に感心されるのも誇らしかった。


夏に娘夫婦が都会から帰って来ることになった。

彼らのために広い庭にもう一軒、小さな家を建てることになった。

そのためには、どうしても大きくなった桜の木が邪魔になった。

主人は最後まで反対してたが、結局、奥さんに押される形で切ることになった。


桜の木を切る日、主人は部屋から出て来なかった。

翌日、彼は不意に倒れて救急車で運ばれた。

くも膜下出血だった。

病院でも意識が戻らず、数日間後に死んだ……

先日、草むしりしてる時、隣のおばちゃんに聞いた話。





法大生の頃、ある文学サークルに入ってたんだが、その定例会合で、群馬出身の友人が大きく遅刻して来た。

落ち込んだ暗い顔をして、
「オレ、見ちゃったよ〜。アパートに霊が出たんだよ〜」。

終わった後、詳しく聞くと……

前日、同居してた妹が実家に帰り、独りで自分の部屋で休んでた。

ウトウト眠くなってきた頃、玄関のドアノブがガチャガチャ回されるような音がした。

妹が何かの間違いで帰ってきたのかと思って、あまり気にもとめずに寝に落ちた。
しばらく経って、誰かが上に乗ったような感じで重くて目が覚めた。

頭の上に静かな息遣いが聞こえ、なんだろう?と思ってたら、身体の周りを動き回る気配がした。
そして、身体が全く動かなくなった。

「うわぁ、やべぇ」。


気付けば、足元に、長い髪の、白っぽい着物を着たような女の人が立ってる。

必死に身体を起こそうとするが、全く動かない。

声を出そうとするが、声が出ない。

女の人はだんだん近付いてきて、いきなりバッと顔が目の前に…

そこで気を失って、気付いたら朝方だったという。



彼は、俺に
「頼む。怖いから泊まりに来てくれ」
と懇願する。

その日の夜、早速、府中にある彼のアパートに行った。


俺は、霊は現実的じゃないし、話は好きでも、そんなに怖いという感じはなかった。

二人で、テレビを見ながら(見てたのは確か「世界まるごとハウマッチ」)、近くのスーパーで買った酒とつまみでチビチビやってたが、
友人は前日、満足に寝れなかったからか、コタツに足を入れたまま、横になって寝息を立て始めた。

俺はテレビの下の台にエロビデオ(確か洋物でトレイシー・ローズ)を見つけ、わからないように静かにセットしてドキドキしながら見てた。

集中して見てて、トイレでやるかぁ(笑)と思ってた頃、上の、二階でドタドタと歩く音が響いてきた。

やたらと動き回ってて、そのうち、「やったあ、バンザーイ!」などと騒いでるような複数の人の声が響いてくる。

「なんだよ、夜中に、ルセーな。宴会でもやってるのか?」と腹が立ったけど、俺は、トレイシー・ローズに夢中だった。


そのまま、俺も眠りについて、二人とも昼近くに起き出した。

俺は、「昨日、やたらと上がうるさかったよ。学生でも住んでるの?」と聞いた。

彼は「えっ…上は空き部屋なんだけど」。



白い着物の女の人と二階の騒ぎと何の関係があるのかってもんだし、過去のことだから盛りもあるかもだが、とにかく俺が覚えてる不思議な体験でした。


それから数回泊まりに行ったが、不思議な体験はこの日だけだった。


彼は頻繁に同じ女の人を見て、結局、別のアパートに引っ越したのでした。

ちゃんちゃん。




テレビなんぞでやってる今の不思議な怖い話って視覚的要素が大き過ぎると思う。

ショッキングな画像で驚かそうという意図がミエミエだったりね。

怖い話ってエンタメとして大好きだ。

稲川淳二さんみたくストーリーや話術で怖がらせて欲しいね。


白本朋求facebook
https://www.facebook.com/tomoki.shiramoto
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