2018年09月02日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯045



リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



リハビリランキング



早いものでカラダがイビツになっちまって、すでに三年が過ぎようとしている。


このカラダに慣れてきたというよりも、右半身が不自由なことに、ますます想いを馳せるようになってきた気がする。




当初は、突然、動かなくなった右手右脚にビックリして戸惑いつつも、それをなんとかしたいと湧き上がる人間の根源的な闘志みたいなものに身を委ね、
リハビリに汗を流すことで現実から遠退いたところに自分を置いていたと思う。


それが徐々に、動かない、動かすのが難しい、という現実の事実の方からすり寄って来て、どうしても否応無しに麻痺という事実を意識せざるを得なくなってきているのだ。


一方で、いわゆる世間の目に対して、俺は片麻痺の障がい者だからと許しを乞うような、表の舞台から降りるような、卑屈な心で満足しているイヤな一面もある。


とにかく、この右半身片麻痺というカラダであと何十年も、どこまで歩いて行けるだろうかと不安になることも多いのだ。





起きると最初に、右半身だけが敷布団にのめり込んでいるような感覚を得る。

右手の下には、小さなクッションを置いて、左と同様になるように、ストレスなく平衡にしてるつもりだが、
右側が下がった斜めになったところに横になってたような感じがするのだ。


そして、膝を曲げて両脚を振り上げて、ヨッコラッショと反動を使って起き上がるのだが、

起き抜けはまだわずかに残る生きた神経が目を覚ましてないのか、
ダルいような、何か異物でもぶら下げてて重いような感覚で、右半身を上手く意識できずにいる。


それでも動いてるとスイッチが入って、ようやく意識とカラダがつながってくる。

でも、そこで朝一番で麻痺を自覚するのだ。




長時間にわたり横になってたせいか、普段なら落ちてると思われる右顔面もわずかにマトモになってて、
あっ、複視が治った!と勘違いする。

が、そのうち起こる目の前の二重の世界と主に顔面右下の、歯医者で麻酔を打たれた時のような、
モアッとした違和感で麻痺を確認して軽い絶望を覚えるのだ。


顔面の麻痺は右眼を頻繁にウィンクさせることで、麻痺の気持ち悪さをなんとか軽減させようとするも、やはり麻痺は麻痺。
付け焼き刃なんてなんの役にも立たない。




朝食を口に運んでも、唇の右側を意識しない日はない。

スプーンやフォークでしっかりと収めても、必ず右端から垂れる気がする。

固形物じゃなくみそ汁やスープだったら尚更だ。


だからティッシュやハンカチは欠かせないのだ。



歯を磨いてもそうだ。

途中、鏡を見ると、必ず右端から歯磨き粉の白いラインが下に向かってる。

情けなくて、子供みたいで、なんか悔しくなるが致し方ない。

ただ前ほど右顔面が落ちてはいないので、これまでやってきたリハビリの小さな成果じゃないかとホッとするのだ。




今こうやってiPadで文を書いてても、やはり右手の肘をテーブルに乗せて支えなきゃ真っ直ぐにバランスが取れないような感覚がある。

右側に全体重を移動するとそのままゴロリと倒れそうだ。




時々、麻痺の右手を強く不憫に意識して必死に動かそうとするも、

肩は不充分だけど、多分随意筋が動いてある程度腕を上げることはできても、自ら肘を伸ばすことは叶わず、
その先の指は常に内側に丸まったままで、ほんのわずかに親指と小指が申し訳なさそうに動くだけである。


丸まったままでは気持ち悪いので、時折左手でグイッと反らせる。

わずかに汗ばんだような掌に空気が触れたようでスッキリとするのだ。



テーブルや机に肘を乗せたままでいると、骨が固いところにダイレクトに当たり痛いので、下にハンカチやタオルなどを敷いている。



右手が使えなくなって、
食事でも、カラダを洗うのでも、書くのでも、iPadやPCを使うのでも、痒いところをかくのでも、トイレでケツを拭くのでも、仕方なく左手ばかりを使ってるわけだが、
最近、左指の腱がコツコツと何か引っかかるような感じがしてる。


もしや腱鞘炎になったのか、酷使で左手まで使えなくなったらどうしよう…

と不安に陥ることもしばしば。


もう、スピードは遅くても、左手でペンを持ってちゃんと文字を書くこともできるし、

iPadやPCで文字を打つことも、健常人と遜色なくできるようになっているので、

普通に動く左手だけが生命線というか、社会との唯一の現実の接点みたいに思ってるところがあり、コレまでが失われると本当に怖いのだ。


考え過ぎだとは思うけど。





左手一本というのは、今更ながら意外と不便である。



Gパンでも、カバンでもチャックを閉めるのにも反対側に何か抑えが必要になってくる。

それは口だったり、脚だったりするが、時に上手くいかないとチクショー、なんでだ!?とイライラして、
ますます不可能に陥ることと、理不尽なカラダを呪って絶望感に浸ることになってしまう。



ちょっとした工夫があれば解決するものだと思うけど。




部屋で絨毯や畳、布団の上に寝転がっている時も、
麻痺の右半身だけ、べったり地面にくっついているようだ。

カラダと接地面に全く余裕がない。

重力のまま。

まだ麻痺の右側にカラダを向けるのは良いが、反対側だと麻痺の右手右脚がカラダに重くのしかかって、こんなに手脚って重いのかと不思議に認識せざるを得なくなる。

だから、その姿勢で長くはいられない。



一番良いのは無防備な仰向けなのだ。


日々の一万歩ウォーキングだけは、著しく効果が実感できるリハビリ、というよりトレーニングだと確信して続けている。

健康面でも、やはり歩くことに勝るものはないと思う。


片麻痺により人間の行動の基本である立って歩くことにも支障が出てるわけだが、
それだからこそ、人間が立って歩くようになった遠い太古の記憶を呼び戻すように、
ただ歩いて移動することにこだわっているのかもしれない。



ただ麻痺のカラダはそれさえも拒否しようとする。



麻痺の右脚は大地を拒否して突っぱねるように足指の先まで伸びきってしまうことがあるから厄介だ。

それでもなんとか踏ん張って負けずにウォーキングを続けていると、徐々に大地に馴染んでいく。

もう一万歩も終わりになって、やっと固い右足の膝も柔らかく曲がるようになってくることも多い。





麻痺は筋肉に動けと命令を出す脳細胞が壊れているから、何もしないと筋肉自体が用無しと判断して衰えていくものと思われる。

だから、まるでコマネズミのように、いつも常に動かしてなきゃならないのだ。

これはこの障害を背負ってしまった者の、どうしようもない宿命だと考えている。

止めた時は死ぬ時なのだ。


そうだ、リハビリを止める時は、何歳でも、もう生きるのを止めた時、人間としての活動が止まる時、つまり死ぬ時なのだ。


とにかく障害である右半身の麻痺を「新しい」カラダの一部として、精神的にも、しっかりと受け入れなきゃならないと思う。


これからも解決なき葛藤は続くだろうが…。







もう9月、

夏も終わりで秋の気配が感じられるようになったけど、ここで俺が経験した不思議な話を三つ……。


入院中、看護師さんらに聞いた話……


患者の高齢のおじいさんが、朝のリハビリに毎日、参加するくらい元気になってたのだが、
ある日の夜中、病室を抜け出して、暗いリハビリルームの長椅子に独り座ってた。

夜勤の看護師さんが見かけ、
「◯◯さん、どうしたんですか?部屋に戻ってお休みしましょうね」
と話しかけたところ、おじいさんは静かに
「わしはもう充分に生きた…いい人生じゃった。もう悔いはない…」
と言ったという。

その翌週、おじいさんは亡くなった…。



その話を聞いて看護師さんらと騒いだ日の夜、俺は必ず夜中3時ごろ一回は目が覚めてトイレに行ってたんだが、
病室に近い、あまり人も来ない非常階段の近くの小さなトイレを使用してた。


トイレの横は共同浴室だった。

装具を付けて壁伝いにヨチヨチ歩いて、暗い浴室の前を通ったら、ザバァ、ジャーッと風呂に入ってるような水の音が聞こえてきた。

「えっ、こんな夜中に?誰?」。

止まって浴室の、真っ暗な磨りガラスを見つめたまま聞いてると、
「うああああああ」となんかうめくような声が。

驚いて、ゾゾっとして、急いで戻り、部屋の前を通って、ロビーのエレベーターの前の看護師詰所があるところの明るいトイレに入った。

いつものように看護師さんがいて安心したが、何も言わなかった。




玄関のすぐ脇に、小さいけど、春になれば立派に花を咲かせる桜の木があった。

何もなかった広い庭に、昔、主人がアクセントが欲しいと苗木を植えた。

飛び散った花びらが風で玄関から中に入って困ると奥さんは文句を言った。

主人は毎年の開花を楽しみにしてた。
近所の人に感心されるのも誇らしかった。


夏に娘夫婦が都会から帰って来ることになった。

彼らのために広い庭にもう一軒、小さな家を建てることになった。

そのためには、どうしても大きくなった桜の木が邪魔になった。

主人は最後まで反対してたが、結局、奥さんに押される形で切ることになった。


桜の木を切る日、主人は部屋から出て来なかった。

翌日、彼は不意に倒れて救急車で運ばれた。

くも膜下出血だった。

病院でも意識が戻らず、数日間後に死んだ……

先日、草むしりしてる時、隣のおばちゃんに聞いた話。





法大生の頃、ある文学サークルに入ってたんだが、その定例会合で、群馬出身の友人が大きく遅刻して来た。

落ち込んだ暗い顔をして、
「オレ、見ちゃったよ〜。アパートに霊が出たんだよ〜」。

終わった後、詳しく聞くと……

前日、同居してた妹が実家に帰り、独りで自分の部屋で休んでた。

ウトウト眠くなってきた頃、玄関のドアノブがガチャガチャ回されるような音がした。

妹が何かの間違いで帰ってきたのかと思って、あまり気にもとめずに寝に落ちた。
しばらく経って、誰かが上に乗ったような感じで重くて目が覚めた。

頭の上に静かな息遣いが聞こえ、なんだろう?と思ってたら、身体の周りを動き回る気配がした。
そして、身体が全く動かなくなった。

「うわぁ、やべぇ」。


気付けば、足元に、長い髪の、白っぽい着物を着たような女の人が立ってる。

必死に身体を起こそうとするが、全く動かない。

声を出そうとするが、声が出ない。

女の人はだんだん近付いてきて、いきなりバッと顔が目の前に…

そこで気を失って、気付いたら朝方だったという。



彼は、俺に
「頼む。怖いから泊まりに来てくれ」
と懇願する。

その日の夜、早速、府中にある彼のアパートに行った。


俺は、霊は現実的じゃないし、話は好きでも、そんなに怖いという感じはなかった。

二人で、テレビを見ながら(見てたのは確か「世界まるごとハウマッチ」)、近くのスーパーで買った酒とつまみでチビチビやってたが、
友人は前日、満足に寝れなかったからか、コタツに足を入れたまま、横になって寝息を立て始めた。

俺はテレビの下の台にエロビデオ(確か洋物でトレイシー・ローズ)を見つけ、わからないように静かにセットしてドキドキしながら見てた。

集中して見てて、トイレでやるかぁ(笑)と思ってた頃、上の、二階でドタドタと歩く音が響いてきた。

やたらと動き回ってて、そのうち、「やったあ、バンザーイ!」などと騒いでるような複数の人の声が響いてくる。

「なんだよ、夜中に、ルセーな。宴会でもやってるのか?」と腹が立ったけど、俺は、トレイシー・ローズに夢中だった。


そのまま、俺も眠りについて、二人とも昼近くに起き出した。

俺は、「昨日、やたらと上がうるさかったよ。学生でも住んでるの?」と聞いた。

彼は「えっ…上は空き部屋なんだけど」。



白い着物の女の人と二階の騒ぎと何の関係があるのかってもんだし、過去のことだから盛りもあるかもだが、とにかく俺が覚えてる不思議な体験でした。


それから数回泊まりに行ったが、不思議な体験はこの日だけだった。


彼は頻繁に同じ女の人を見て、結局、別のアパートに引っ越したのでした。

ちゃんちゃん。




テレビなんぞでやってる今の不思議な怖い話って視覚的要素が大き過ぎると思う。

ショッキングな画像で驚かそうという意図がミエミエだったりね。

怖い話ってエンタメとして大好きだ。

稲川淳二さんみたくストーリーや話術で怖がらせて欲しいね。


白本朋求facebook
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2018年07月28日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯044

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯044






リハビリするひと。


白本 朋求(シラモト トモキ)

1964年10月14日大分県日田市生まれ。

建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。

その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。

以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。

これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。

その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。

ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。







暑いですねぇ…


熱中症に気をつけて…




アチコチでこの挨拶ばかり聞くけど、今年の夏はホントに暑いようだ。




熊本・菊池市も、朝から30度超えは当たり前で、暑さのピークの午後3時ごろになると、36〜38度くらいになる。




フィリピンより暑いわ!ったくぅ。




市内の方がまだちょっと低い。


阿蘇連山が近くの真っ平らな菊池平野で、これといった高い建物がないので、太陽の殺人光線がジリジリと直接当たるからだろうか。





確か去年は、部屋にいるときは、明るい内は扇風機だけで、なんとかクーラーを使わないで過ごしたと思うけど、今年は耐えられんね。





それでも午前中はなるべく使わないけど。





別に、健康に良くないとか、電気代がもったいない(ずっと付けてた方がお得)とかじゃなく、この暑さに慣れようとマゾヒスティクにガマンしてるだけなんだな。





アホだけど。





さすがに昼間はリハビリウォーキングできないので(マジで死ぬ)、5時過ぎから夜にかけて一日置きに歩いてる。




夏は、特に片麻痺だと体力の消耗が激しいから。





35度の予報でも風が吹いてればそんなに暑く感じないものだ。



田んぼと畑が多く、今の季節、脇の水路にガンガン透き通った水が流れてるから涼しい気分で気持ち良い。



それでも全身水をかぶったように、キャップから滴り落ちるように、肩から下げてるバッグまで濡れるように、汗ダクダクになるから、


熱中症対策として、100%果汁ジュースに天然塩、重曹、ハチミツ等を加えた自家製のスポーツドリンクたっぷりと塩アメは欠かせない。



さらに途中の自販機で買った水も持ち歩く。



あまり水分を取らなかったと思う倒れる以前にも、


熱中症なんてなったことないけど、


ニュース等で聞けば、やはり怖いよね。




毎年、暑さに慣れる前に、ちょっとめまいがしたり、カラダの麻痺側が異常に重かったり、血圧が上100を切ったりすることがある。






前にドクターが、脳出血で自律神経の調整が上手くいかない時がある、と言ってたから、



それじゃないかと思うけど、とにかく万全の暑さ対策はしとくに損はない。



めったに人もいない自然の中で倒れたら、


誰も助けにきてくれず、確実にあの世行きだからね。





コワッ!





俺なんか、倒れてから異常に精神が敏感になっており、丸裸にさらされているような感じだと思うから、


メディアで熱中症と聞くだけでドキドキして、似たような症状が出てきたりする






だから対策はしても、あまり考えない方がいいのだけどねー。





ココロがカラダを大きく左右してしまう典型的な弱っちいタイプなんだ。






部屋にいても、何もせずに「暑いよー、熱中症になるぅ」とボーッと考えてれば、ドックンドックンと血流の流れる音も聞こえてきてホントに調子悪くなるが、



熱帯夜にクーラーもつけずにダラダラ汗かきながら、


ヘーキでダンベルを持って、ハア、ハアと息も上がってリハビリトレーニングしたりしてるのだから不思議だよね。



多分、全てはココロとカラダのバランスなんだと思う。









バランスといえば、片麻痺のリハビリって、全ての要はバランスだよね。




カラダの片側が壊れてバランスを失ってしまったので、それをなんとか取り戻す訓練。




もしくは健全な方だけで、バランスを取ろうとするトレーニング。




立って二足歩行する人類にとってカラダの中心を軸にしてバランスを取って活動することは基本中の基本なんだ。




もう人類の動きの全ての基礎だよね。




それが壊れて保っていられなくなったから補わなきゃならないってことだ。




変な話、トイレで便器に座ってる時もバランスが崩れてるのがわかる。



麻痺の右側のケツの肉が落ちて(実際には麻痺で落ちてるからそう感じるのだろう)、便器にハマっちゃいそうな感じ。



ウォシュレットする時も、ケツを動かさないと均等にアヌスに水が当たらない感じ。





今、iPadでこれを書いてる時も、本を読む時も、テーブルに麻痺の右肘を乗せていないと、


バランスが崩れて、右側にコテンと転がってしまいそうな感じ。



ずっと乗せてると肘が痛くなってツライのだが。




だから体幹トレーニングが重要になってくるわけだ。


ウォーキングの時も、リハビリの時も、何をするにしても、


なるべく常にカラダの中心を意識することにしている。




麻痺の右側だけを余分に構わない。




片麻痺になると、ちょっと麻痺側の手足を動かすにも意識することになる。



指をホンの少し動かすのでも、


アクビでカラダが伸びて動くのでも、ほとんど意識しないと動かせない、というか意識してしまう。





手足が意識しないでも都合良く動くのが健常者のカラダで、


障害を持つとそれが退化し、意識することで神経に弱〜い電気を走らせ脳に命令させるんだと思う、




きっと。






それをなるべく体幹を意識するようにして、カラダの右側から中心に持っていくのだ。




と、書くのは簡単なんだけど、


実践となると難しいけどね。






暇ができたら、相変わらずネットで片麻痺に関する情報は見てるのだが、


リハビリそのものよりも、片麻痺というカラダでも、いろんなことに挑戦してる人のエピソードの方が力をもらうことの方が多いね。






残念ながら、99.9%、もうこのカラダが元に戻ることはない。






戻った人の例を聞いたことも見たこともないし。





さすがに悟ったよ。





死んだ脳細胞の確実な再生治療でもやらない限りね。





もちろんリハビリは続けていくとしてだ。



リハビリってのは、片麻痺のカラダでできることを増やす訓練だね。




だから多分、一生この右片麻痺のカラダと付き合っていかなきゃならないので、


このカラダでもできることを探らないといけない。




もしくはできるように少しでも努力しなきゃならない。




そういう意味で、頑張ってる人のエピソードを知ると、がぜんこっちもモチベーションが上がるってわけだ。



でも、例えば、片麻痺の人が、健常者に、


ああ、障害あるのにここまで頑張ってるんだね…かわいそうに…


とヘンな同情をされるようなことじゃなく、


片麻痺が逆に武器になるような、片麻痺だからこそできるような、障害を全く感じさせないような、


あるいは健常者を超えて、


健常者を驚かせ元気にさせるような、そういうことができるようになりたいものだ。



まさに片麻痺が障害などではなく、「個性」となるような。





そりゃあ、健常者に比べたら、


できないことが多かったり、動きが鈍かったり、遅かったりする。



けど、どこかに健常者をも超える能力が眠ってたりするものだよ、絶対。



別にカラダを動かすことじゃなくてもいい。



一部に壊死した細胞を残す脳を使ってでもいいだろう。




実際、この俺様(!)が、倒れる前はノータリンのアホゥで、


そんなに深く沈思黙考することなどなかったのだが、


片麻痺になったことで、落ち着いてじっくりと考え、こうして文章にすることができるようになった。




リハビリの成果もあるけど。






神さまってのはイキな計らいするもんだ。




障害を背負って初めて気付かせるなんてね。クーッ。








俺はとりあえず今は思ったことや気づいたことをドンドン躊躇なく書きたいね。



誰がなんと言おうと書き散らしたいね。



ヘタでもエエんや。



FacebookなどSNSでも、


いっぱい書いてる方だと思うけど、まあ、何を書いても、


どんな写真をUPしようが、全くの自由で大きなお世話なんだけど、


ただ食ったものや旅行先や風景やガキの写真をUPするんではなく、


やはりそれでどう思ったのか、


あなたはどんな考えなのかな?


面白かったらどこがどのように?


つまんなかったらどこがどのように?


ってところを知りたいし読みたいよね。





せっかく材料があるんだから、人間だったら考えなきゃもったいないじゃんか。





俺は、けっこうマジメに頻繁にFacebookをやってる理由として、



@脳のリハビリ、書いて、読んで、あれこれ考え脳を活動させる、



A世間に、まだ生きてるゾ〜、忘れないで〜、かまって〜というアピール、



Bフィリピンはじめ外国の友人ら、好きなピーナとの接点、



C面白そうな、好きな分野の情報取得、



Dリハビリの情報取得とモチベーション維持、



Eヒマ潰しとストレス発散、



……を上げるね。


うーん。



中年オヤジのエゴ発散の場としてFacebookはピッタリだ!(笑)。





つづく








リハビリウォーキングで菊池を歩くO




菊池遺産ということで、あちこちにチョコチョコ、お地蔵さんが鎮座している。



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田舎らしい風景。



ガイドブックを見て、有名どころは見たつもりだけど(あまり感動はなし 笑)、地元の生活に密着したものだから、遺産登録されてないものも、まだまだあるだろうなぁ。




朝には新鮮な花が添えられたりしてるから、手を合わせている地元民もいるわけだ。



めんどくさいけど、小さな石仏でもちゃんと調べれば、そこの地区の小さな歴史がわかるかも。




だからどうしたってものじゃないけどね。



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2018年07月03日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が右片マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯043

『全身TATOO&ピアスな不良中年が右片マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯043


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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最近、クルマを運転する機会も増えてきた。

もう親父さんが運転できないので、年老いた両親の送り迎えが主だが、先日、梅雨の大雨だったので、月一回の通院にも初めてクルマを使った。


右片麻痺による、カラダをチョットひねった左の手脚だけの運転(今のところクルマの改造はなし)なんだが、もうだいぶ小慣れたもので、多分どこでも行けるようになったと思う。


まずはフロントがよく見えるようにケツにクッションを敷いてカラダをアップさせる。

次にシートを前方に移動、左脚でスムーズにアクセルとブレーキが踏めるように位置を決める。

麻痺の右脚はジャマになんないように深く曲げて、カラダを固定する目的でもドアにピッタリくっつけている。

シートは、前方にやり過ぎると膝がハンドル付近に当たっちゃうのでそうならないように。←脚が長いから(笑)。

そして、別のクッションを背中と麻痺した右手の下に入れ、麻痺側にストレスがかからず、かつ傾かないようにカラダを固定させる。

これがけっこう大事でぶらぶらの使えない右手がそのままだと重くて重くて、ストレスになるからね。だから右手の下はクッション二つ。
それに左カーブはいいけど、右カーブだとどうしてもカラダ全体が右側に持ってかれちゃうから、なるべく固定してハンドルが回し易いようにするのだ。


一番厄介だった複視も、当然、矯正のプリズムシールを貼ったメガネを使用する。

完全矯正はムリで、暗くなったり、疲れてくると二重に見えてくるが、頻繁にまばたきをしたり、メガネの右側をちょいズラしたり、あと見方のコツ?を覚えたりで対処してる。


ハンドルを離して操作しなきゃならない右側にあるウィンカーレバーも器用にやってる。

焦ると戻せなくなり、間違って反対のウィンカーが付いたりするけど、慣れてくれば大丈夫。
素早くサッとハンドルの間に手を入れるか、右側まで手を伸ばして上げ下げしてる。

ハンドルは言うまでもなく、握って回せるハンドルスピナーを右側に2つ付けている(11時のところと9時のところ)。


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このままでもう改造はいらないかもね。



ホントは、障害者手帳を使って役所に申請を出せば、10万円まで改造の補助金が下りるんだが、それにはクルマの名義が俺でなければならない。

今は親父さんの名義で、ローンを組んで払ってるため、それが終わらないと名義変更ができないんだってさ。

保険は変えることができてもね。


主な改造はアクセルとウィンカーレバーの移動キットなんだが、ローンが終わる一年後までガマンだな。

後は夜間の走行。

視界が暗いから、複視だとライトだけで安全に見えるかどうか心配だ。

弟が来てくれた時にでも練習しなきゃ。
でも、梅雨の豪雨で薄暗い夕方、市内にある病院まで親を送り迎えしたりしたので、ちょっと自信が付いたかな。

今思えば、免許更新直後から、臆せず、練習して運転してても良かったかも。後悔先に立たず。





駐車場に入れる時、入口でチケットを取るシステムだと、ミラーをたたんで思いっきり近づかないと伸ばした左手が届かない。

麻痺の右腕では取れないからね。

届かず一旦降りるとなると、クッションを取ったり、スゲ〜厄介だから。

駐車スペースではバックモニターが付いてるので、そんなに問題なし。



親父さんの入院の件で親戚が来てくれた時、市内の外の駐車場がけっこう満車で、仕方なくタワーの室内駐車場に停めたんだが、けっこうクルマがいっぱいでチョー狭いし、後ろからガンガン、クルマが来てて、なによりも暗くて、ぶつけるんじゃないかと焦ってたが、多分、他車にメーワクかけながらも、なんとかバックで停めた。


緊張で口が乾いて、降りたら白線ギリギリで曲がってたけどね。


俺は焦って緊張するとダメなんだよなぁ。
冷静な判断ができなくなると思う。

血圧もピンハネだよ、多分。

一呼吸置いて落ち着いて、事故るよりメーワクかけた方がまだいいからね。




当初、緊張でこのまま狂っちゃうんじゃないかと焦ったこともあった。

倒れる前はこんなことなかったから、脳出血の障害かもね。

フィリピンの、無謀な運転だらけのマニラ市内の道路でも、ヘーキで混じってブイブイ走らせてたから。

そういや運転は5年ぶりくらいなんだなぁ。

もう好きだったマニュアルは運転できないから残念だけど、ここまで復活してきたのかぁと感慨深いものがあるよ。


そういう思いがあるから、行った先々の店なんかで何か聞かれると、もうクルマは運転できるんですがねーこうして、ああして…などと自慢げにペラペラ喋っちまうんだな。



今のところ、運転に際しての問題は、まずは複視の克服、運動能力にほぼ問題はないので、次に右カーブのスムーズな走行、これは右片麻痺のバランスの問題だな。

最後は落ち着いて冷静な判断ですねー。

頻繁に全ミラーを目視、予測予想運転で感覚を研ぎ澄ますのだ。


あとは「慣れ」だ。


でも、慣れてきた頃が一番事故り易いと聞いた。

全神経を集中させることは忘れずにいたいね。



あっ、そうそう、障害者マークも忘れずに前後に付けてる。

片麻痺マークってのもあればいいんだけどなぁ。
半身運転ですよーってわかるヤツが(笑)。



そう、喋りかけられれば、ペラペラと饒舌に喋っちゃうんだが、いや、こっちからも勝手に喋っちゃうことも多々あるんだが、倒れる前は、こんなに社交的な人間では決してなかった。


最低限の言葉だけで終わらすことが多かったはずだが、自分でもたまに驚くくらい、アレコレと口角泡を吹いてることがある。

なんでだ?これも障害なのかしらん。

それとも会話に飢えてるのかな?

弟に、アニキ、うるさいよ!とたしなめられるほどだからね。




先日、親父さんの入院先の病院で、担当の看護師さんが予想外にカワイイ、そしたら、親父さんのことはもとより、関係ない自分のことまで看護師さんのメーワクも省みず、ペラペラが止まらない。

親戚が来た時も、熊本城や市内を案内しつつ、得た知識を精一杯ひけらかす。

ここ菊池のレストランなんかでも、聞かれれば、3年前に倒れて毎日一万歩は歩いて、どーのこーの…とやらかす。

おかげで、俺が行くと、黙ってても、別に頼んだわけでもないのに、フォークとスプーンが勝手に出てくる(左手一本で箸だと使いづらい)、
セルフサービスを適当に持ってきてくれる、
最後に必ずサービス品をくれる、
声をかけてくれる…
などのありがたい店が5軒くらいできた。


大津の病院の近くにも、そういう店がある。

決して図々しくしてるわけじゃないと思うが、やはり片麻痺の、このカラダでやってくれば目立つし珍しいのに加えて、よく舌が回るベシャリで人を惹きつけるのかねー。

ワッハハ。

失語症はないけど、ちょい右顔面麻痺で喋りにくいことがあるから、いいリハビリかも。


たまに近所の人に会うと、エラそうに人生のアドバイスらしきことを長々と喋っちまうことがある。

向こうも、話が長いねーって思ってる表情がわかる時があるほど。

俺の人生、失敗だらけなのに。
なぜこんなにも社交的になっちまったのかね、俺……一つには、片麻痺になってドン底に落ちて、どーせ、こんなカラダだ、どう思われたっていいよ、もうなるようにしかならんし、と腹をくくったことがあるかもしれない。


今まで、育ちもあって、半分以上、他人の目や評価を異常に気にして、気を遣ってたが、そういうことを一つ一つ取っ払って行けば、けっこうラクなことがやっとわかってきたのだ。

だから、このブザマなカラダでどこに出てもヘーキになってきたし。

ナルシスな感じで、俺って、このカラダでこんなに頑張ってんだ、スゴいよな、と自画自賛もできるし。


今だに、たま〜に落ち込むことはあっても、もちろん最低限の礼儀は守るとして、喋りたければ、なんでも喋っちまおうと思う今日この頃なのだ。


麻痺回復のリハビリを絶対あきらめない、ガンバる、続けるゾ、とか、もうそんな言葉は食傷気味でいらないね。

そんなの当たり前だし。

じゃあ、実際に毎日どんなことをやっているのか、そして、どんな効果があったのか、もしくは、片麻痺でもこんなことができる、できるようになった、こんなことを考えた、実践した…具体的な「行動」!それが重要なのだよ!


つづく






リハビリウォーキングで菊池を歩くN
梅雨で、週に二〜三回くらいしか歩けないよー(泣)。

親の世話もあるし。一回クルマに慣れちゃうと出かけるとなれば、すぐに、クルマで…と考えちゃうから、ダメだなぁ。


ラクを覚えた脳は厄介だからね。



でも、歩くよ!

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2018年05月20日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯042

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯042


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



リハビリランキング



そういや昔、「片腕ドラゴン」ってのがあったなぁ。

ブルース・リー人気に便乗した異色香港カラテ映画だけど、じゃあ、「片麻痺ドラゴン」ってのはどうだ??

ーーどうも。Rヘミのリハビリストです。



考えてみりゃ、人生100年とかなりオーバーに捉えて(もうすぐ100年時代が来るね!)、ちょうど半分の50歳で片麻痺になり、後半、再スタートを切ったことになるわけだよ。


人間は「なぜ生きるか」より、「どう生きるか」が人生の命題だと思うから、常にそういうことを考えてる。


片麻痺というイビツなカラダを与えられて、健常者の時よりも、多分にカラダをダイレクトに感じることができ、出血で死んだところに変わって、
別の生きてる細胞を使うため、若干、スペースも手狭になったんじゃないかと思う脳をフルに使ってるであろうから、
思考能力も格段に良くなったと勝手に思ってる。



こんな自分に何ができるのか?



世界に、どのように役立つことができるのか?



……俺には、こういう節目、節目を意味有りげにポジティブに捉えることが必要なんだな(笑)。


性分かもしれないけど、そうでもしないと、正直言って、やっぱり片麻痺は重くて不便でツラいんだよ。

残りの人生で、片麻痺と上手く付き合って行くための思考作業だな。ずっと続くと思う。







で、前にも書いたが、なぜか春以降真夏までは気分が乗らないことが多い。

多分、暑さに慣れてないからか。


麻痺の手脚も、麻痺が、さらにヒドくなったんじゃないかと思うほど、重いことがある。

右手、右脚だけ、何か、ブラックホールの4次元の別世界にでも入ってしまったのでは?と妄想するほど違う存在になり、自分のカラダじゃないみたい。


かろうじて肩の関節の辺りが、力を入れるとピクピク動いて自覚するか、麻痺じゃない左手で触って、しっかりと感触があるのを確かめるかで、自分のカラダだったとホッとする始末。


神経が通らないって、こういうことなんだね。


でも、SNSで同じ障害を負った片麻痺の人の体験記などを見ると、俺の場合はまだまだ全然イイと思う。

もっと、シビレや痛みがヒドい人もいるようだから。




ウォーキングしてると、麻痺の右脚がピンッと突っ張ることもあるからヤッカイだ。

足裏が内側に向いてしまって、硬く膝も曲がらない。

そのため、どうしても右脚を外に回してしまう片麻痺特有の「ぶん回し歩き」が極端になる。

足指も意思に反してキュッと丸まってしまう。


右脚だけプラスチックの板か何か入ってて、強力に、柔軟に曲がるのを、大地をも拒否してる感じ。


突っ張り過ぎて、柔軟性なく膝がピンッと伸びて、膝のところにあったシワが一直線になってて、時に、逆に「くの字型」の反対(わかるかな?)に折れ曲っちゃうんじゃねーかと思うくらいの時もある。



なんで、こんなに突っ張った感じがするんだろうね。

家なんかでフツーに座ったりすれば、ちゃんと関節は曲がるのに。

もうイヤ〜ん。


でも、俺のスゴいのは(笑)、そこであきらめて、ウォーキングを止めたりは絶対しない。

チクショー、またか、でも負けないよ!ってなもんで、さらにハードにウォーキングを続けるのさ。

すると、意思を持ったプラスチックが、あきらめてゴムに変わるように脚も柔軟になってくる。

意外と逆境に強いんです、ワタクシ。マゾだからね。




ということは、リハビリを止めてしまうと、筋肉や腱も硬く固まってしまうのではと思われる。

だから、生きてる限り、動ける限り、続けて行かなくちゃならないだろうと思う。


こういうカラダになった運命だ。隣に、同じ片麻痺の人がいる。もう70代のおじいちゃんだけど、彼は脳梗塞で左片麻痺だ。


先日、数ヶ月ぶりに出会って、何気ない話をしたけど、前よりさらにカラダが曲がって、麻痺がヒドくなったように思った。

もう歳ということもあるが、せいぜい近所を散歩するくらいで、リハビリなんてやってないのだろう。

申し訳ないけど、リハビリをあきらめて、こうはなりたくないなぁと思ったものだ。

高齢になっても、あの長嶋さんのように、リハビリを続けて行きたい、動く限りは。





倒れる前は、こんなに自分のカラダを、自分を知ろうと思ったことはなかった。

いつも周りを気にして流され、判断基準は他人の評価だったように思う。


それが、カラダの調子からココロの動きまで、麻痺の重みや血圧の上下など、カラダの感覚で冷静に観察できるようになった。

朝の「座禅」の効果もあるかもしれない。

まだまだ、緊張しやすかったり、ドキドキ、ビクビクすることもいっぱいだが、一歩引いて「メタ認知」を働かせることができるようになった。


それから、本や映画など、様々な表現に接して、じっくりと考えるクセが付いた。

これは何を表現したいのか?訴えたいのか?自分に当てはめるとどうか?…etc。

納得いくまで思考するのだ。
たくさんの人が見てくれてると考えて、SNSなどに、丁寧に思ったことを書く作業も楽しくなった。

これは、毎日、しっかりと水を飲んでるおかげもあると思う。


高齢者の認知症が水を飲むことで改善したという話も聞いたし。

こんなことは倒れる前にはできなかったね。



脳出血を起こして、確かに右半身片麻痺という大きなハンデを背負ったけれど、運動能力以外では、もしかしたら、倒れた後の方ができるようになったことが多いのじゃないだろうか。






最近、親父さんの入院が頻繁になり、クルマの運転も危なっかしくなってきたので、俺が運転する機会が多くなってきた。


親父さんが退院してきたら、免許を返納して運転は止めてもらおうと思ってる。

だから先日、モノが二重に見える「複視」矯正のメガネを作るべく、近所の眼科に行って来た。

顔面にも麻痺が残ってるため、倒れて以来、ずっと二重に見えてた。


メガネの右側を上げると直ることもあったが、いつも上げてるわけにはいかない。

いつも二重があると、かなり「複視」に慣れては来たんだが、暗くなって、光が少なくなってくると、さらに「複視」がヒドくなってくることもある。


じゃあ、危ないから矯正しちゃおう。

調べると、「複視」矯正メガネを作るには、眼科に行って、ドクターの処方箋が必要だという。

で、近所のおばちゃん連中に評判の眼科へ。

さっさと処方箋を書いてもらって、メガネ屋に行こうと思ってたが、とても長いこと様々な検査を受けることになった。

裸眼と矯正の視力はもとより、眼圧、眼底、眼筋、網膜、斜視等の検査と、担当のイケメンスタッフの丁寧な説明を受けながら、気付けば2時間も。

赤い光線を見る検査で、初めて、思いっきり左右の視点がズレてることがわかった。

「これでよく運転出来ましたねー」。


こんなにズレてんだ…俺も驚いたよ。

診察室で、ヌボーッとした背の高いドクターが、ペンライトを使った、ちょっとした検査で、「よくこんなに眼球が動きますね。かなりリハビリしてるでしょう?」だってさ。

エヘヘ、確かに。

なんかうれしくなっちゃったよ。


まあ、それはいいとして、ドクターが言うには、
「新しいのを作る前に、今使ってるメガネにプリズムシールを貼って、様子を見た方がいいでしょう。落ち着いたら、改めてメガネを作りましょう」
ということで、今のメガネの左のレンズ(麻痺じゃない方)に、簡単に、薄いプリズムシールを貼ってもらった。

右は何もなし。

接着剤か何かで貼るんじゃなく、水に濡らして空気を抜いてペタッと。

落ちないか心配だけど。


プリズムって、光の屈折を調整するものらしい。

数回通って、ニカ月くらい見え方の様子や慣れ具合を見てから、さらに検査して、新しい「複視」矯正メガネを作るということになった。


完全じゃないけど、うれピー、ちゃんと整って見える!

実に3年ぶり!

もっと早くにココの眼科に来れば良かったあ。

今通ってる病院も教えてくれればいいのに!



以前、「複視は治りませんかね?」と聞いたら、「治りません」しか言わなかったゾ。
チキショー。


やっぱり自分で積極的にいろいろ調べなきゃダメだな。

「複視」を治す手術もあるにはあるんだが、金も時間もかかり、絶対に治ると言えない面もあると言う。

プリズムシールを貼っても、薄暗くなったり、疲れてくると二重に見えることがある。

やはり完全な矯正って難しい。

でも、前に比べたら、格段の進歩だから、ヨシとしよう。


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これで運転の不安材料が一つなくなると思う。

次は、左アクセルキットだ。

今はクルマの名義は親父さんなんだが、俺に変えると、障害者手帳で改造費の助成金が10万円まで出るという。

審査はあるけど。


さらに、障害者手帳で自動車税の優遇も。

慣れたけど、今はちょっとだけカラダをズラして左脚で右のアクセルとブレーキを踏んでいる。

麻痺の右脚は邪魔になんないように精いっぱい曲げて。

シューズを脱いで靴下だけで、アクセルとブレーキを踏む感覚がダイレクトに伝わるように。

それにストレスがかからないように、運転席の下と背もたれには厚い座布団を敷いている。


ハンドルには左10時のところにハンドルスピナーを付け操作しており、これはパワステだし問題ない。

やっかいなのは「複視」は車幅の感覚を鈍らせることだ。

狭い道で対向車とすれ違う時、左側にミゾでもあれば、落ちるんじゃないかと不安でしょうがない。

左バックミラーを注視し、フロントのワイパーのところを見つつ、左端の線がここまでは大丈夫と憶測しながら、恐る恐る走ってる。

多分、これも慣れだろうな。



片麻痺になって、最初に運転した時は、ド緊張で異様にカラダが硬くなってた。

多分、血圧も跳ね上がってたろう。

ハンドルスピナーを握った左手も震えるくらい。

麻痺の右手は、キュッと上がってた。

正面だけをジッと見てて、頻繁にバックミラーを見る余裕もなかった。

対向車が来ると、手に汗握ってたもんだ。今思えば、よく事故んなかったよ。


コワイ。


そして、ウィンカーレバーの移動キットも欲しい。

今は、パッとスピナーから左手を離して、ハンドルの間に手を入れてレバーを上げ下げしてる。

例えば、短い間で右左と曲がらなきゃならない時、焦ってレバーを上下できない時がある。

左手がハンドルの間に引っかかりでもしたら、もっと危ない。

そんな時は、ごめんなさい、まあ、ええかってことになる。

だから、スムーズに方向指示器を出すためにも、レバーの移動キットが欲しい。



ここまで揃えば、運転なんて楽勝だろう。

ホントは普通乗用車じゃなく、軽でいいんだけどな。
小さいし。

軽だったら、昔乗りたかった四駆のジムニーか、速いアルトワークス(オートマあったっけな?)がいいな。

でも、やっぱりワゴンRかな。

全メーカーから背が高い箱型の軽が出てると思うから、どれでもいいや。

単純に移動しか使わないと思うし。




クルマに慣れてしまうと、楽チンだし、歩かなくなるんじゃないかと不安だ。

脳は楽なことを覚えてしまうと、なかなか元に戻すのは難しい。

リハビリの意を込めて、あくまで自分の脚で移動したい。
ハードでも。


クルマに限らず、全ては、ナニゴトも恐れて躊躇してたらダメだな。

要は経験と慣れだ。

片麻痺だから、障害者だからといって二の足踏んでたら、永遠に進歩、成長なんてないね。

できなかったら、その時、また考えればいいのだし。

つづく




追伸

眼科病院の待合室で呼ばれるのを待ってたら、入って来た、どっかのおばちゃんが、多分、近所の人を見つけて、やたらとデカい声で「あら、奥さん!知ってる?西城秀樹が死んだんだって!」と叫んでた。

ヒデキも、同じ脳血管の疾病(脳梗塞を二回も)で、直接の死因は急性心不全というが、やはり、ちょっとショックだった。

失語症やカラダに残った麻痺のリハビリを精力的に続けてたというが、元アイドルというプライドや様々な付き合いがストレスになったのだろうか。


前の、真屋順子さんもだが、こういう訃報を聞くと、いずれまた脳出血は再発するのではないかとの不安に駆られる。

自分は脳卒中を起こす体質なんじゃないか。

今のところ、リハビリを頑張って、血圧も落ち着いてるが、脳の血管の強度が生まれつき弱くて破れやすくはないだろうか。

今度、キレたら死ぬなあ。


これ以上の障害を負ってまで生きたくないよぉ…諸々だ。

基本的に、なるようにしかならんのだが、やはり最大限に努力を重ねて、死ぬまでリハビリを続けて、カラダを作って、引いては再発を防ぎたい。

それでも…だったら、そりゃ〜運命だよ。




今度もしキレたら、間違いなく確実に天に召されることを望む。









リハビリウォーキングで菊池を歩くM

歩けば、2時間くらい。
ちょっと遠いけど、七城町に今が旬?の西郷さん家発祥の地がある。

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初代から32代目の、有名な西郷隆盛は、鹿児島の島津藩に仕えるまでは、ここ菊池(西郷地区ってのがある)に居て「菊池源吾」と名乗ってたという。

もともと西郷家の祖先は菊池一族だってさ。


「西郷南洲『先生』祖先発祥の地」とあるから、この地区では誇りなんだろうな、多分。

ここには、ちっちゃな神社と石碑や石仏等があった。

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西郷家の増永城跡もあったが石碑だけで何もなし。

この周辺に、18もの外城があったらしく、今はそれぞれ碑が建ってるが、実際どんなもんだったのだろうね。

小さな家みたいな城なんかねー。

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2018年04月14日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯041

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯041

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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春なのに〜♩お別れですか〜♩



春は以前からキライな季節だったので、気が沈みがちです。

病院で言ったら、驚かれたけどね。



何の花粉かわからないけど、鼻水ダラダラ、グチュグチュ、くしゃみ連発の花粉症もイヤだ。

前は、こんなにひどくなかったと思うけどね〜。

何のアレルギーだろ?



ここ一ヶ月で、偶然、友人知人が数人、病気等で亡くなり、そういう時期なんだろうけど、悲しいというより、なんかスゲー虚しくて、本来、ノーテンキな俺だけど、おセンチ全開の気分になってる。


右片麻痺という「重い」障害を持ってるけど、
俺はまだまだ生きてるぞ!
生きるぞ!
明石家さんまさんで有名になった油屋熊八さんの名言、
「生きてるだけで丸儲け」が身にしみて、よ〜くわかるよね。




今は毎月一回、ちょっとした診察と降圧剤をもらいに、肥後大津の病院に通ってるんだが、先日、待合室で、入院中、同室だった人にバッタリ会った。

彼は脳梗塞で、軽い左片麻痺だったが、前より麻痺が目立っていた。

聞けば、あれから再度、脳梗塞を発症してしまい、入院しただと。


ちょっと太ってて顔に精彩がなかった。


多分、以前の生活に戻り、リハビリもあまりやってないんだろう。

確か歳はそんなに変わらないと思ったけど。人によるだろうけど、この病気は再発の可能性があるんだよね。


一回出血した箇所は、また破れることはないと思うけど、違うところで。

長年の不摂生で脳の血管がモロくなってるからね。

それに、当初はリハビリに対するモチベーションもあるが、目に見えての効果って、なかなかないから、だんだんとリハビリもやらなくなってくる。


あきらめるというか、片麻痺のカラダをしょうがないと受け入れるか、やっぱり苦しいリハビリより楽なことの方がいいからね。



まあ、仕事や通常の生活に復帰すると、リハビリに時間が十分に取れないってこともあるけど。




今更ながら、片麻痺回復のリハビリって、けっこうツラいものだ。

目に見えての効果って出にくいし、先が見えないから、時間が経つと諦めやすい。

しかも、俺なんか、施設等に行かず、完全に孤独に個人でやってるからモチベ維持が大変だ。


探したけど、ここの田舎では充実したリハビリ施設なんてないし。




相変わらず、ネットでは、いろんな情報が流れてるが、なんかプロだったら、療法士の自己満足のような気がして(なにより療法士の満面の笑みが気に食わないね 笑)、
どれも効果があるようには思えないし、カラダの使い方のコツを学ぶだけで、完全回復はありえない。


血に浸ってしまった脳細胞は決して生き返ることはないのだ。


新しく神経をつなぐと言っても、多分、多大な時間と労力を要するだろうし。


だからと言って、リハビリをやめてしまうと、神経の通ってない筋肉や腱が固まってしまい、元に戻らなくなってしまう。

だから苦しくとも続けなきゃならない。


回し車でクルクル回るネズミのように…。

それに片麻痺は健常者より、どうしても動かなくなるから、筋肉も衰えやすく、太りやすくなる。



このカラダを背負ってしまった宿命として、多分、一生リハビリは続けなきゃならない。



ああ、カタマヒよ、どこへゆく…。



暗いこと考えると、無限ループになっちゃうから止める。

俺は右半身片麻痺だけど、左右のヨコじゃなく、上下だったらどうかな?

上半身が麻痺とか、下半身が麻痺とか。


下半身だったら、車イスに乗らなきゃならないし、まだコッチの方がいいか。

とくだらないことを考えてみる。






前回、片麻痺を個性にして、イケてるハーフボディオヤジになる、なんて書いたが、リハビリスト以外のキャッチフレーズを考えてみた。

自分でオヤジっていうのもなんだかなぁだから。


脳卒中は英語でstroke(ストローク)で、脳出血はcerebral hemorrhage(セレブラル ヘモルヘッジ)、これは難しいなぁ。

ストロークマンなんて、ちょっとイケてない。


麻痺はparalysis(パラライシス)だけど、片麻痺はHemiplegia(ヘミプレジア)で、俺は右半身だから、ライト・ヘミプレジアか。

略してヘミということもあるようで、ライト・ヘミ、Rヘミってのは?


Rヘミ人間、Rヘミマン…。


両麻痺だとWヘミなんだがな。



うーむ。カタカナで書いてカタマヒとか。

実は、ハーフボディもカタマヒも、すでに使ってる人いるし。

Twitterで見た半身文筆家ってのが、カッコイイけど、
半身人間、半身男、半身マン、半身リハビリストもしくは、半分人間…。

なんかイケてるフレーズあったら、名刺などに使えるね。


ハジけて、Rヘミ・ロッキン・ボディ、Rヘミ・ロケンロール、Rヘミ・パンクorパンカー…なんてね。


まあ、いつも、こんなくだらないことを真剣に考えてるわけだ(笑)。






暖かくなってくるのは、イヤなことばかりではないよ。

まず血圧が寒い時より下がってくる。

下がってるとうれしい。

あと朝方の頻尿が治ってくる。

まあ、それだけ水を飲んでるのだが、俺の場合、寒さで膀胱が固まるというより、神経性、心因性が大きいだろうな。


精神的ストレスや不安などの心理的な要素が大きく関係して起こる頻尿のことだ。

ドクターに聞いたら、膀胱の麻痺は考えられないということだから。


寒い朝など、ホント、10〜15分に一回なんてのがあるよ。

それが外に出ると、ピタリと止んだり。

暖かくなってくるからかもしれんが。




なぜか夜中にドキドキしてイヤ〜な感じになると、スゲー頻尿になる。

そうなる原因はわからん。

多分、血圧も上がってる。


この頻尿だけでも、脳出血と片麻痺が、神経の障害であることがよくわかる。



気候や温度差、気圧の違いによっても、麻痺側のカラダが重かったり、ボアァとしたり、痺れに近いようなジンジンしたり、フラフラしたり、
それから、現実に見てる世界が、違う世界を客観的に見てるような感じになったり、様々だけど、
なんだよ、この感覚は!?と自分が自分でないような気分になるのだ。

ホントだよ。
だんだんとこういう感覚も慣れてくると思うけど、厄介なもんだ。



俺の場合、例えば、もうウォーキングは、毎日のクセみたいなものになって、天気が悪かったりして、歩けないと、脚が固まっちゃうような、イヤ〜な感じがするようになったから、ラッキーだ、と思ってる。


クルマや電車、バスを使って、市内に出ても、途中で降りて、必ず一万歩は歩く。


知らないとこなんか景色を楽しむのもイイ。


街角の、何気ない、フツーは気のつかないところにも、歴史や文化を感じたりして、ワクワクすることもあるんだよ。


確かにツラいハードなことも多いけど、基本、歩くことが楽しいのだ。

有酸素運動を意識して、ハードにウォーキングする時は、脚を壊すイメージで歩いている。


汗ダクダクになって二万歩でも、三万歩でも達成すると、ヤッタァ!と快感だ。



脳内麻薬全開だよ。


それに、筋トレみたいなリハビリを続けることで、麻痺の機能回復よりも、なりたいカラダを作る、つまりはボディビルの喜びがあるんだよね。


ネットや本、雑誌でいろいろ調べて、リハビリトレーニングのスケジュール&プランを考えるのも楽しい。


これはまだムリだなぁ、これだったらできる、とか。


できなきゃ、絶対できるようになってやる!とか。

へへへ。


さ〜て、50を過ぎたカタマヒオヤジ、どこまで行くか?


つづく







リハビリウォーキングで菊池を歩くL
もう完全に散っちゃったけど、ここ菊池の桜もキレイだったよ。

わざわざバスに乗って名所、菊池公園まで行かなくても、近所にも見所はあるんだよ。


一番イイのは、熊本電鉄菊池線の廃線跡の歩道かな。

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桜は、昔は縁起の悪い花だったという。


キレイだけど、すぐに散るって事で。



「檸檬」の梶井基次郎の小説が元で、キレイな桜の樹の下には死体が埋まってるという都市伝説?がある。


多分、日本特有の美学の表と裏で、桜があんなに美しいのは、きっと見えない下に醜い腐った屍があるからと考えたのだろう。


醜がある事で崇高な美の不安を払拭するという日本の美に対する考え方は不思議で面白いよねー。





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2018年03月21日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯040

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
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どーも、リハビリストです。


さて、リハビリの基本は、当たり前だけど「できないことをできるようにすること」なんだな。

それがモチベーションであるだろう。


なんとか麻痺側の手足をフツーに使いたいところなんだが、右手が使えなきゃ左手一本で、あるいは左足を使ってでもいいと思う。

時には道具を使ったり、他人の手を借りてもいいと思うよ。

つまり正常にこだわることはないということだよね。

とにかく障害を負っちまった脳をフルに使って、考えに考え抜いて、工夫することだと思う。

というのは、フツー、正常にこだわり過ぎて、使えない麻痺のカラダが動かないことにイライラして、リハビリ等が停滞してしまうような気がするからだ。




当初、500歩歩くのもタイヘンだったけど、今では時に3万歩超歩くことも可能になった。

確かに格段の進歩があるよ。
しかしながら、麻痺が改善する限界ってのがあるように思う。

麻痺の度合いもあるけど、神経を作る脳の再生治療でもやらない限り、元通りの完全回復ってのはとっても難しいというかムリだと思う。

言いたかないけど。

完全回復の例を見たことも聞いたこともないしね。

再生治療も調べるとキケンなこともあるみたいだし。



よく「脳の可塑性(カソセイ)」が言われる。

脳は、状況に応じて役割を柔軟に変えるという性質を持つ、ということだ。

出血で死んじまった神経細胞に変わって、その近くにある細胞が代わりをするようになるのだ。

で、それを促進させるために、繰り返し動かして筋肉から脳細胞を刺激する。

それがリハビリの基本だろう。



まあ、多分脳出血になって時間が経ってることも、中年期という年齢的なこともあるかもしれない。

完全回復の夢は捨てずに、夢に向かって少しでも近付ける努力はするけど、完全回復ばかりを追ってても、それはあくまでも夢だから、途中で力つきクサって虚しくなるってもんだ。


現実をしっかりと受け入れなきゃね。

だから片麻痺を自分のものとして「個性」にできるか、だよね。

シラモトトモキ=イケてるハーフボディオヤジってな風に。



もうオレも、今だにできないのは左手の袖のボタンを止めることくらいかな。

でも、それも口でやったら時間はかかったけどなんとかできたよ。

訓練すれば、多分もっと早くできると思う。



今、文を書いてるiPadも左手一本でけっこう早く打つことができるようになったし、日常のことは、遅いかもだが、ほぼ全部OKだね。


例えば、麻痺じゃない左手の爪を切るのだって、最初は、右手が使えねえからできねえ!と思い込んでたけど、ある日、あっ、左足があるじゃんか!と納得、爪切りを左足で押さえてやるとできるんだよねー。


とても小さなことだけど、ちょっとだけ視点を変えると、できないと思い込んでたことも難なくできることに気付いたりするもんだ。


弊害は思い込みなんだよ。
それこそ障害だよね。「できない」という思い込み。

何でも最初から「できる」と思えば、意外とできるもんだ。


フツーにできなきゃ考えて工夫すればイイ。


それでもできなきゃ次回がある。


急いでるんであれば、とりあえずヘルプしてもらえばイイし、次にできるように努力すればイイ話。

不安であれば、これもリハビリだと思えばトライできるし。



人は、いろんな場面で思い込みに左右されること多いよね。

こうやってやるものだ!だけじゃなく、違うやり方ないかな?と考えなきゃね。

やはり常に視点を変える、発想の転換が必要だ。

引いては一部壊れた脳を使うことにもなるしね。

わからないけど、高次脳機能障害のリハビリにもなるんじゃないか。







最近、健康の基本として「水ガブガブ飲んで歩いてりゃたいていのことは大丈夫」だと思ってる(笑)。

昔、2回も尿結石になったことを思い出して、水が足りないなーとフィリピン滞在の頃から、暑いし、オシッコ出した後は必ずコップ一杯200ccくらいをちょこちょこ飲んでた。

退院してからは毎日ペットボトル一本分1.5リットルは必ず飲むようにしている。

オシッコいっぱい出ても。

冬の寒い時は湯沸かし器でちょいと温めて。

コーヒーは好きだから毎日飲むけど、ジュースの類は一切飲まなくなった。


あっ、酒もだ。
もう3、4年になるな。


ジュースはなんか甘すぎて不健康でダメだし、酒は多分もう抗体がなくなったと思う。

だから一口でも酔っ払う。


そもそも酒は飲めるほうじゃなかったし、フィリピンでイヤな思いをしたこともあって酒飲みはキライである。

究極は最強のドラッグだと思ってるから、脳を酒という快楽物質で満たすことに慣れてしまった人間は何をやっても結局はダメだ。
←オイオイ、断言すんなよ!水は確かに味気ないけど慣れれば全然OKだ。


ミネラルウォーターの種類でも微妙に口当たりが違うもんだ。

先日TVで、水を飲むことは認知症改善に効果ありとやってた。

思い込みかもしれないけど(笑)、いっぱい水を飲むようになってアタマが鮮明になったというか、よく考えることができるようになった、と思う。

突然いろんなことがひらめくようにもなった、かな?

カラダに充分アタマから足の先まで水を満たすことで人間の本来の機能がフルに活動するようになるんじゃないだろうか。

だって人間のカラダって60%くらい水なんでしょ。
これから暑くなってくると汗かくし、やっぱり水は欠かせないし、リハビリにもつながってくると思うのです。





ウォーキングは、リハビリとしてはラクだし、効果ありだと思うし、健康にもイイと思うので。

前にも書いた通り、ただのんべんだらりと歩いてるんじゃなく、自分で考えた自分なりのリハビリ方法を取り入れてる。

長距離歩く時は、なるべく早歩きで心拍数を上げ有酸素運動にしてる時とゆっくりと体幹を整えて歩き方を意識してる時と強弱をつけてる。

毎日毎日、外に出たら必ず1万歩以上は歩くことにしてるが、これだけ歩いても(まだまだ甘いよって言われるかもだが…)、やっぱり麻痺はある。


当たり前だけど。


ただ歩き方のコツというかテクニックは格段に上手くなったと思う。

それにトンデモなく持久力、つまりは体力がついた。

有酸素運動の目的であった余計な脂肪を落とすことも、まだまだ6パックは見えないけれど、だいぶ達成してきたんじゃないだろうか。


冬季に、特に下半身が寒く感じるのも脂肪が落ちたからとポジティブに思ってる。

見れば50を過ぎた中年には思えないカモシカのようなアスリートのおみ足になってきたよ。

ケツも余計な脂肪もなくエクボができるキュッと締まったものに。


へへん。


本やメディア等でもウォーキングの効用がよく言われてるよね。

限りなく早歩きに近い小走りはできるようになった?けど、ランよりもウォーキングの方がカラダにもイイみたいだしね。

実は満足にランできないってことが大きいけどね(笑)。



また、しっかりとウォーキングするためには、体幹を中心とした筋力トレーニングも欠かせないわけだ。





思えば、入院時から5年近く(あっ、フィリピンにいた時から血圧高くて飲んでたか)、毎日、朝食前か後、降圧剤を飲み続けてる。

当初は夜も含めて2回だったが、一昨年から朝だけに減った。


アムロジピンOD錠5mg、オルメサルタンOD錠20mgとランソプラゾールOD錠15mgの3つ。


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最後のヤツは胃薬で胃酸の分泌を抑えるという。

で、血圧はというと、大体、冬は130台〜80台、夏は120台〜70台だな。


やっぱり寒いと少し高い。

何かの要因で上がっても140台〜90台で、実は病院にいる時が一番高い。

別に緊張でもしてるわけじゃないけど、なぜなんだろ。

どこかにイヤだという気持ちがあるからか。


夏にウォーキングやトレーニングで汗だくになった時に測ると100〜60前後になることがたまにある。

倒れる前は、200超え(!)がフツーだったのに比べれば大きく改善しているけど、高血圧症って体質みたいなものだよね。


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性格もあるかも。
やっかいだなぁ。


このまま、ずっと降圧剤を飲み続けなきゃいけないのだろうか。

医者に聞いても、そうですね、しか言わないし。

胃薬があるってことはけっこう強い作用があるのかな。

薬には必ず副作用があるっていうけど、大丈夫なんだろうかと考えると今更不安。




3ヶ月、いやもっと半年くらいかな、に1回くらい意味なく血圧が高くなる時がある。

高いといっても150〜100くらいかな。

血圧が高くなった時は、左耳の辺りで血液の流れがウィンウィン、サーサーって感じで聞こえ、頭が張ったような感覚になる。

ああ、また切れるんじゃとドキドキするが、まあ、横になってれば元に戻る。

なんで高くなったのかはわからない。

有酸素運動をすると低くなるね。

血管が開いて血の流れが流暢になるからか。
だからしつこいウォーキングで血圧を低くして、それをフツーにさせるのだ。



つづく





リハビリウォーキングで菊池を歩くK


田舎ならではの畑・田園風景。

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戦後、農地開拓でできたらしいけど、ちょっと歩けばイヤになるほど広がってる。


開拓の記念碑もあちこちにある。

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晴れた日に歩くとマジ気持ちエエ。


遠くに煙を吹く阿蘇の山並みが見える。

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誰もいないことが多いし、リハビリウォーキングにはもってこいだよ。


あまりに刺激がないから老けるかもだが(笑)。





都落ちで来た時は、なんてクソど田舎なんだ!と絶望もしたが、今では、この見慣れた風景を楽しむ余裕もできた。

やはりどんな状況環境も受け入れることができる俺ってスゴいね!



白本朋求facebook
https://www.facebook.com/tomoki.shiramoto
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2018年02月25日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯039

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯039

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



リハビリランキング


いきなりですが……
俺ってスゴイんです!ホントにスゴイんです!


まず脳出血を起こして倒れた時。

自分で、こりゃヤバイ!動けるうちに、とソバのガラケーを取り即友人に電話、助けを求めたんです。

フツーだったら気付かれるまでその場に倒れてたでしょう、多分。
ヘタすりゃ死んでたかもです。

だからスゴイんです。



そして、入院となった当初。

ドクターはもちろん、誰に教わるでもなく、新聞の文字を追って書くリハビリから始めたんです。

なんとなく脳が壊れたとわかったんですね。
まだアタマがボーッとしてるのにですよ。
だんだん意識がはっきりして来て、「ああ、右側が動かない、片麻痺になっちまった、どうなるんだ、俺…」と絶望する前に、俺なりに看護師さんやリハビリスタッフとのコミュニケーションを楽しんでたのです。

だから入院生活は意外と楽しかったのです。

それだけステキな女性(限定!)が多かったということもありますが(笑)。


ある意味、運が良いのかもしれません。
だからスゴイんです。



次に退院。

これも誰に教わるでもなく、ネットをはじめ関連本等、自分でいろいろ調べて読んでリハビリに取り組み始めました。

もちろん入院時からスタッフとともにやってたけど、退院してからがホントの本番だ!と思ってました。

病院にいればイヤでもリハビリをしなきゃならないですが、家に帰るとモチベーションを維持して個人で取り組むってのは難しいと思うからです。

ちゃんとノートをつけたのもモチベーション維持と自分を知るためでした。

当初、麻痺の右側に少し残ったと言われた高次脳機能障害も自分の研究と力でほぼ治しました。




フツーは退院後もリハビリ専門施設などに通ってリハビリを続ける人が多いと思いますが、まあ、家の事情もあって、短期間だけでそれもできなかったので、単なるリハビリのやり方を調べるだけでなく、リハビリとは何か?まで思いを巡らせました。

で、俺なりのリハビリ論なるものを考えました。

元のカラダに戻すことよりも、今のカラダを受け入れ、如何に健常者と同様に、時にはそれ以上に動くようにするか、片麻痺を障害よりも「個性」にできるかであると。

だからスゴイんです。



一方で、俺が高血圧になったのは食事の問題もあったけど、ココロの問題でもあると考えました。

自然と座禅を組むことを始めました。

東洋の仏教、禅などのイデオロギーじゃない自分に合ったイイとこ取りをしました。


この障害はココロが大きく関わってくるからです。


危うい部分も確かにありますが、ナニゴトも落ち着いて考える、深く考えて最適の選択ができるようにする訓練です。


引いては血圧を大きく変動させないためでもあります。

座禅を組んでアタマを真っ白にすることで全ての事柄を受け入れることができる素地を作るのです。


このように自分で自分を知る、自分のカラダを知る、自分に合ったリハビリを探して試行錯誤しながら取り組むことが、地頭的にできたのです。


今も試行錯誤はしてますが。

やっぱ俺ってスゴイんです。



アタマがイイのです!アタマがイイとは、半分運命的でもあります。

こうしてブログを書く機会をいただいたのも運だし、倒れてアタマがイイとなったのも、神さまが与えてくれたという意味で運なのですねー。


確かに脳の障害で倒れたわけですが、逆にアタマが、脳が鮮明になったような気がします。


いろいろ考えて書くことができるようになりました。

もっと言えば「哲学する」ことができるようになったのです。

前以上に本や映画などの表現に貪欲に接することができるようになりました。

これは単純でおかしなことですが、充分、水を飲むことのおかげでもあると思ってます。

退院してから毎日2リットル以上の水を飲んでます。

人のカラダは60%以上が水分です。

充分水を摂取することで脳の壊死した細胞に届く血管も活性化されるだけでなく、周りの血管もサラサラで巡りが良くなると思うのです。

だから水こそ欠かせません。




俺は片麻痺となったことで幸いトンデモナイ深い絶望やウツとはなりませんでした。

やはり生まれつきどんなところにいても、どんな状況であっても受け入れることができ楽しむことができる才能があるのです。

これは立派な能力だと思います。

だからスゴイんです。




最初から臆せず積極的に外に出ることができたのもスゴイです。

それも公共の交通機関を使って。


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まず退院翌日には近所を歩くことから始めてます。

カラダが満足に動かないことに加え、他人の目が気になって引きこもりがちになる人も多いと聞きます。

元来ノーテンキな性格もありますが、ヨッシャ、負けてなるか!という負けん気というか、一面では強いココロの持ち主だからだと思います。


それにナニゴトもリハビリだと考えることができたのです。

歩くのも、バスに乗るのも、電車に乗るのも。

そう考えれば、どんなに恥ずかしくても、ハードでもトライすることができたのです。


今の時期、寒い雪でも舞う日に背中に薄っすら汗かきつつ必死にリハビリウォーキングしてる人なんて田舎じゃいません。

国道の歩道を歩いてると、ヌクヌクとしたクルマの中から哀れみの目を向けられてるんじゃないかと恥ずかしく隠れたくなると思いますが、俺はナルシスチックに十字架を背負ったキリストみたいな思いで、さらにウォーキングに力が入るのです。

そのように考えることができるってのは、やはりスゴイと思うのです。



今もリハビリに関する新しい情報でもあればちゃんとチェックしますが、後から、「ああ、俺のやってたリハビリは間違いじゃなかった、なんだ、新しいというから見たけど俺のやってることじゃん」と思うこともしばしばです。

自分の眼、考えはやはり正しかったと思います。

ニンゲン、必要なのは知識よりも地頭的なものだと思います。

例え間違ってても考えることができるということです。

そして、それを組み立てることができるってことです。

だからスゴイんです。





……とここまでにしとこう(笑)。へへへ。





じゃあ、俺のスゴクないところ。


すぐ甘えて頼るところ。

基本ナマケモノなんだなあ。

最初はいいが、一回楽な方法を見つけるとそっちに行って頼ってしまう。



次に、決意はいいが行動するのが遅い。

新しい何かを見つけても、明日から〜月曜日から〜来月から〜来年から〜と変に区切りを大切にするんだな。

やっぱココロが弱い。

もち強い面があるが単純なことでドキドキして血圧上がってしまう。

例えば女のことなんか(笑)。

気を使い過ぎるんだよね。

アタマがいいからいろいろ巡らすわけだ。
もう性格だから仕方ないねー。熱しやすくて冷めやすい。


バーッと燃え上がるが何かのキッカケでイヤになると急速に冷める。

そして、氷のように冷たい。

それはどんなに世話になった恩ある人でも。

アタマがイイ反面、スゲーバカの面もある。

あー考えが足りないなあ、落ち着いて考えればよかったと思うことが多過ぎるよね。
…って、なんだ二面性あるじゃんか。


まあ、いいや。


俺は勝手に地頭がイイと考えて、調子に乗ってリハビリなりなんなりに取り組んでいくよ!









リハビリウォーキングで菊池を歩くJ

今は月一回、病院に行ってチェック、降圧剤をもらうんだが、先日、行きは歩きとバス、帰りは歩きだけで戻ってきた。

31409歩と久々の3万歩超えで15.7キロも歩いちゃった。

片麻痺だから倍の6万歩以上歩いたくらいの疲れだと思ってる。



病院のある肥後大津から菊池まで、菊池川の支流に沿ってテクテク。

田舎の道ですれ違う人もクルマもおらず。

いつも脚を破壊するイメージで歩いてるが、マジで棒のようになっちまってジーンとしてた。

脚よりも麻痺の右肩がちょい痛くなったよ。

関節外れそうな感じがして。

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思いっきり疲れたけど達成感いっぱいで満足だったね。
ここまで歩けるようになったんだねー。しみじみ思う。

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2018年02月12日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯038

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯038


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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どうも、リハビリストです。


寒い日が続きますねー。

ここ熊本、南国なのにマイナス4度って日がありました。


時折雪も降って。


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こういう時は麻痺の右手脚が氷のように冷たくなり、こわばって痛かったり痺れたり…。


去年は確かにそうだった。が、実は今年はそんなでもないのだ。

寒さに強くなったと思う。



ウォーキングの途中で雪が降ってくると八甲田山の行軍にでもいる気分でエキサイトしてくるね。


俺はマゾだから逆境には強いのだ!

寒さは高血圧に、脳出血にも危険だということで異常にビクビクしてたし、トイレも風呂もヒーターは欠かせなかった。

まあ、予防はしてるとして去年ほど寒さに怯えることはなくなったね。

これも、やはり毎日のウォーキングのおかげだと思ってる。


寒い〜と感じるのは最初の10分くらい、必死に歩いてるので厚手のジャンパーの下はポカポカで時には背中にうっすら汗をかくくらいなのだ。

中に着てるモノもTシャツに長袖シャツの全3枚、下はパンツにGパンの薄着だけど、ぜんぜんOKなのです。


ただ左手はいいけど右手に手袋ができない。

キュッと丸まっちゃって。

だから手の甲までのサポーターをしてる。部屋にいる方が寒いくらいだ。



まだまだ腹の6パックは見えないけれど、ベルトもユルユルになってきて、だいぶ脂肪は落ちた感じ。


ケツなんかキュッと締まってエクボができるセクシーさ。



今度写真載せようか?いらないって?www硬いところに腰かけると骨が当たって痛いんだよ。


脂肪が落ちたから部屋でジッとしてるとブルっと震えるのだ。

流行りのインフルエンザもカンケーネーよ。

ウォーキングはリハビリだけじゃなく、もちろん健康にも、強いカラダにする鍛錬にもイイね!

田舎の畑の畦道や長い坂の山道を選んで止まることなく歩いてたりしてる。


普通の道でも20分は止まることなく歩いたり。


有酸素運動だと思ってね。


しかし、右脚に麻痺があって自分で膝を曲げることができないし、骨盤の辺りから落ちてる感じがしてるのだが、まだ関節や筋肉がヒドく痛むことはないけど、今のようにハードなウォーキングしてて今後、大丈夫だろうか?と思う。

だってどうしてもムリをしてるわけだし。


もうスニーカーを3足ダメにした。

左はいいのだが、右のつま先部分がスレて必ず穴があく。

左に厚底を3枚ほど入れてそうなのだ。

それだけカラダが曲がってるというか、体幹がズレてるというか、バランスが悪いというか、とにかく不自然なカタチで歩いてるということだ。


まあ、自分でも自覚して腹筋を中心とする体幹トレーニングにイヤって言うほど取り組んでいるつもりなのだが。


ちょっとした筋肉痛はあるが、医者に行かなきゃならないほどの不具合はまだないから、今のところはヨシとしよう。




体幹とバランスって、ニンゲンにとってホントに大事だ。

片麻痺になったからこそよくわかってるつもりだ。

片麻痺はどうしてもバランスを崩しやすい。

無意識に麻痺の右側をかばって左側にヨロッと傾いてしまうことが実に多い。

傾きかけてクルッと反転してしまうこともある。

だからこそカラダの中心を、軸をしっかりと保たなきゃならない。

そういう意味でしつこいリハビリトレーニングは欠かせないのである。




あっ、そうそう。

上半身、麻痺の右手は外を歩いてる時、ジャンパーのポケットに突っ込んでるのだが、長い時間経つと肩の後ろ辺りが痛むことがある。

重力で落ちてる腕を支えてる筋肉が悲鳴を上げてるのかわからないけど、たまに落ち過ぎて亜脱臼でも起こすんじゃないかと思うくらい重くてイヤ〜な感じがする時がある。

そんな時は帰ったら「電マ」で肩の後ろの痛む部分をマッサージすることにしてる。


Hな使い方以外にもちゃんと使ってるよ(笑)。

いわゆる自己流の川平法で回数動かしてるんだけど、少しでも筋肉が動くようにリハビリするしかないね。



ネットでよく「動きのコツ」みたいなリハビリを見かけるが根本的な解決にはならないんじゃないか。

随意筋でも不随意筋でも周りの筋肉でも、麻痺した筋肉自体が動かない限り難しいと思う。


麻痺した筋肉を使わずにヘンにコツを覚えちゃうとそれがフツーになっちゃう気がするよ。

じゃあ、どーすりゃいいの?って言われるとわからないけど、なるべく正当な真っ当な動きをすることだな。


楽だから、動くからといってフツーと違う動きをしないことだよね。


補助がなきゃできなくても頭の中では正しい動きを意識することだと思う。

やっぱりリハビリに楽なものはない。

汗かいて苦しんだ先にようやく光が見えてくるんだ。

もう決意などの言葉はいらない。行動あるのみさ!





さて、もう右片麻痺のカラダにも慣れフツーになるべく独りで日常生活を送れるようになってるわけだが、前は右利きだったのが、今じゃムリにでも左手一本、左利きになってる。


脳の中ではどういう変化が起きてるのだろうか?
右型脳から左型脳にシフトしたのか。
そうなるとフルに脳を活用したことになってアタマ良くなったのでは?
ははは。


でも確かに以前は悩みはしてもあまり「考える」ことをしてこなかったような気がする。


「思考する」とはどういうことなんだろうか。

ガキの頃は算数、数学の難しい数式を解くのにあーでもない、こーでもないとウンウンアタマを悩ませてたが、それが考えることなのか。

前回今年は考えるゾーって書いたが、じゃあ、何をどういう風に考えるの?

ニンゲン、日々の生活に紛れてなかなか考えることをしなくなって来ていると思う。

ゆっくりしてる時もテレビ等のメディアに接してて受動的になってる。


なるほど俺はこう考えるけどコレは誰かの受け売りじゃないか?

それも知らない間にそう考えさせられている……まさに洗脳だけどニンゲン、メディアに接してる限り、少なからず洗脳されてるよねー。




リハビリの一環として起床後と就寝前に30分座禅を組んでるわけだが、これぞ落ち着いて考えるための訓練になってるんじゃないかと思う。

入院時から脳のリハビリだと思って積極的にしてた読書も今は暇があればページをめくるようになった。

静かな環境での読書はホントに頭を使う、考えることになるから。

小説だったら情景を思い浮かべるし、ノンフィクションだったら、なるほど〜そうかぁ、でも、違うんじゃないか?なんてまさに思考するんだ。



テレビは好きな映画かドキュメンタリーくらいでほとんど見なくなった。

受動的じゃなく能動的に日々の情報に接しないとね。

ニュースやワイドショーの類は特に見ない。

朝っぱらからやれ事件だの不倫だのと不愉快にされることが多く精神的にも絶対悪いと思うのだが。

せっかく自然いっぱいの田舎にいるんだからテレビを消して鳥の元気な鳴き声や風に揺れる草木のささやきを聞こうよ〜。←詩人だ…。


身内の例だけど、長いことワイドショーなんか見続けて来たニンゲンはやっぱり落ち着きがないし、真実を見る目がないと思うし、根本的にアタマが悪い。



先日、ステッキ(決して杖ではない 笑)を新調した。

ネット通販。

俺の身長に合わせた一本ステッキだ。

シャフトはカーボンファイバーで出来た超軽量(200g未満)でハードにリハビリウォーキングする俺にはピッタリなのだ。


グリップにはフェニックスが入って先ゴムはカスタム。

不死鳥のフェニックスは復活の意味を込めて。

前のプレゼントしてもらったジェラルミンでできた登山用ステッキちゃん、もう傷だらけのボロボロだけど今までTHANX。


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俺の場合、退院して一年はムリしてでもステッキを使ってなかった。

病院のリハビリスタッフにも「シラモトさんはいらないっしょ」って言われたし。

俺もステッキ(杖)なんてダサいと思ってた。

しかし、目が悪けりゃメガネをかけるように麻痺があるならステッキを使ってもエエじゃないか。

今はオサレ〜なステッキもいっぱいあるしね。




1年間ステッキを使わなかったことで体幹やバランスが鍛えられたと思う。

フツーは逆だけどね。

ステッキある歩行に慣れてしまうと云々…あるけどカンケーねえよ。

使った方が安定するから使うだけさ。

装具もステッキも無けりゃなんか寂しい。
ヘンなの〜。


もうカラダの一部、アイテムになったんだな。

ここにも時間がかかっても与えられた環境を精一杯楽しむという俺の特な性格が出てると思う。

ノーテンキで何も考えないというのも時にはいいかもしれないね!(笑)









リハビリウォーキングで菊池を歩くI


ここ菊池市泗水町の中心部にある孔子公園。

ふるさと創生資金かなんかで作られたらしいのだが、今じゃ寂れまくってる(笑)。


この公園のステージが廃線となった熊本電鉄菊池線・泗水駅のホームだった…。

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マイカーが増えたことで1986年2月15日の運行をもって廃止されたのだ。

ステージの裏に駅舎の跡が残ってる。

窓口など残されてて当時の面影があるね。


ここで駅員が切符を切るハサミみたいなものをクルクル回してたのかな?

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ステージの横には当時の電車が喫茶軽食店としてしばらく展示してあったらしい。

ここに黒潮市場という大型スーパーが去年まであったのだが客足減少で閉店となってしまった。

ますます寂れた感じになったよ。

家から歩いて30分くらい。


白本朋求facebook
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2018年01月20日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯037

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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もうすぐ一月も終わりだけど、あけおめ、ことよろ、デス。
リハビリストをよろしくお願いしますm(._.)m



正月は、福岡に住む弟が帰省してくれたこともあり、2人でクルマで遊び回っててリハビリやる気も起こらなかったな。


年末は人並みに来年はどうするこうするとあれこれ考えるが、開けてみると、ニンゲンそんなに変われるわきゃねえ、始動するまで時間がかかる。

思えば昔っからそうだったなぁ。

計画性なし。

若い頃みたいに年末や正月にワクワクしなくなったねー。



歳とったからか、時代がそうなったのか。
また一つ老けたなぁ、人生終わるまであと何十年か…と考えるようになったよ。




ウォーキングはじめいつものリハビリに戻ったのは10日過ぎてからだよ。

あーあ。一年の計は元旦にあり、なんてクソッ喰らえだよ(笑)。

もう一回言うけど、今年の目標というか抱負はしっかりと「生き抜くこと」デスぅ。




退院当初、リハビリに対するモチベ最高潮の頃は、麻痺の手足がちょっとでも動いたり、できることが増えていくと希望の光が見えたようでトンデモなくうれしかったもんだ。
でもね、ちょっとやそっと動いたって意味ないんだよ、フツーに使えなきゃ。しかも数日経つと元に戻ったりするし。ちゃんと自分の意思で力が入って動かせて、モノをつかんだり離したり、ペン持って字が書けたり、役に立たなきゃ。思い返せば…ブレインブロッド(脳出血)になる前、血圧が高かった時、友人の助言通りにイヤがらずに病院行ってればよかった。せめてフィリピンで飲んでた降圧剤を続けて飲んでればよかった。なんであの世に行かなかったの?復活したけどホントに死ななかったことがよかったのか?結果、こんなブザマなカラダになっちまって。何やるにしたって麻痺が邪魔するし、ギコチナイし、ノロイし、ビクビクするし、カッチョ悪いし一苦労だぜ。
朝目覚めると、相変わらず右半身に麻痺がしっかりあるのを確認する毎日。
治った夢を見ることもあるけど。仕方なくヨロヨロッと立ってトボトボとトイレに。見てくれはもう醜い老人だよ、まるで。洗面所で歯でも磨いて顔洗う。麻痺あるクチビルの右端からポタポタ歯磨き粉が垂れるんだよ。
口を閉じても隙間ができてんだ。情けない。
左の手のひらだけで水をすくって顔を洗っても不完全な感じで満足しないんだよ。鏡で顔を見ると、まあ、なんて醜いんでしょ、左右対象じゃないし、昔けっこうイケメンだと勝手に思ってたけど、アグリーなジジイになっちまって。
あーあ。今日も一日このカラダで過ごすのか。苦労するのか。飯食っても、クチビルにご飯粒つけたり、落としたり、食べ方が汚いよ。加えて左手一本だから、箸なんか慣れなくて使いにくい。茶わんも皿も持てないし押さえられないからツルツル動くし、サイアク、顔を持ってって口で押さえたり。それじゃ犬か猫の畜生だね、ったく。お笑いだよね。
フツーに座ってるだけでも、右半身にドーンと二度と外せない重しを付けられたみたいで、右にコロンと倒れそうになる。わかる?右半身だけ重りがくっ付いてる気分を。コリャ〜絶望の重しだね。ジャン・バルジャンかよっ、俺は!俺が何かした?悪いことした?犯罪でも犯した?ーーしたな(笑)。笑い事じゃねーや。
このままリハビリも続けててホントに効果があるのか?退院からなーんも変わってない気がするんデスけど。もう同じリハビリも飽きたんデスけど。確かに体力はついたと思うけど、必死こいて長距離ウォーキングしたからって、すぐに麻痺が治るわきゃねーし。いつまでも麻痺の右脚を引きづってヨチヨチ歩くだけ。ブザマ。今日は何万歩、明日も何万歩って、ノルマばかりこなしてて実際の効果ってのを考えてないし。
体幹トレも筋トレも、昔みたいに満足にできないから、チクショーなんでできねえんだ!と不満ばかりが積もっていくし。運動の後の、心地よい疲れで爽快で満足した気分ってのは、まともに手足が動く健康な奴らの言うことさ。こちとら始める前より麻痺の右半身は重いし、右肩の関節は外れそうだし、亜脱臼にでもなりそうだし、なによりも右顔面が思いっきり落ちて複視がさらにヒドくなったように感じるし、もう不快感120%。いつまでリハビリを続ける?死ぬまで?やれんのか?目に見えて改善のないことを。ふざけろや。
半分は慣れたけど、人混みに行ったり、バスや電車に乗ったりした時の他人の目がまだまだ気になる。自分には関係ないという冷めた目、可哀想だねという哀れみの目、何かお手伝いしますかという優しい目、ジャマだよという攻撃的な目、子どもたちの罪のない好奇な目、俺はね、フリークスのエレファントマン気分なんだよ。ジロジロ見んなや。見てなくても俺が恥ずいと言う思いをするしアタマにくるんだよ。
今の麻痺のカラダを見つめると、今までの人生を思う。俺って今までいったい何をやってきたんだろう…。プランもなしに、その場その場でなんとかしのぎ、何も残すものはない。後先考えずにやっちゃうし。SNSなどで友人知人がいろいろ活躍してるのを目にするとホントに惨めな気分になる。マトモなのはせいぜい中学生くらいまでのことだ。高校受験にも、大学受験にも失敗し、結婚にも失敗し、大した仕事もせずにコレも失敗して、挙げ句の果てには、この片麻痺のカラダ。友達は多い方だが、寄ってくるのはいつもメンヘラばかり。
ニンゲンのサガとして後世に何かを残したいが、子供もいないし、残すモノは何もない。高校出てイヤで家を飛び出たが、結局のところ、年老いた親のところに戻るハメに。で、死ぬ間際の両親にもメーワクかけてる。俺の人生っていったいなんなんだ。何のために生きてきたんだ。いったいなんなんだ!虚しく生きてきて気づけばもう50代。これから先独りでどうなる?どうしよう?何ができる?俺ってホントにクズ中のクズだね。どうしようもないクソジジイだ!生きてても意味ないよ。この調子でウツになって、ここの自然いっぱいの山の中で木の枝にロープ下げて首でも吊ればいい。朽ちて土に還れば自然の役にたつだろうさ。もしくは早く北と戦争にでもなって世界がめちゃくちゃになんねえかな。
片麻痺はマジでマジでイヤだーー!!!!!!!!!!!!!!!






うんうん、今年一年分のグチ言ったな。もう言わないよ、多分。






気分が落ち込んだ時、絶望した時、俺は自分で自分はスゴイ!と思うことにしている。

ステージ3のめっちゃ重い右片麻痺で、入院中の車イスから今では一万歩以上、時には三万歩近く歩くことができるようになり、ここまで動き、いろんなことができ、こうやって考えてブログも書ける。

頭もいいし、こんなスゲー2級の片麻痺障がい者、他にはいねえだろってね。


冬で気温が低いと麻痺のカラダの痙縮をはじめ、痛み、痺れ、強張り、感覚麻痺等、いろんな障害も重くなりがち。

これは神経の病気でもあると思う。


しかし、だからと言って止めることなく、しつこくしつこくリハビリを続けるべきだと思うよ。



俺もしつこいウォーキングで足指の痙縮、強張りはほぼなくなった。



医者に頼ることもなく。



とにかくグチグチ言う前にヤレ!ってことだ!と思う。

つづく




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2017年12月02日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯035

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯035


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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ども。リハビリストです。


さて、今やってるリハビリらしいリハビリを書きます。


まずは…テーブルの上に組んだ両手をのせて前方に伸ばすことと、そのまま左右に思いっきり振る。

両方とも2分。



効果はわからないけど、入院中からやってることだ。



次に、100均で買ったゴムボールの上に手をのせて同じように。

ヒジのあたりと手のひらと二ヶ所。

麻痺手をほぐす効果でもあるのかなぁ。



そんで、皿やコップを洗うスポンジを握ってつかんで離してを繰り返す。


自分でスポンジを取って違うところに持ってて離すが理想(!)だけど、残念なことに、そんなメッチャ簡単なこともできないので、努力はするとして左手で補助しながらやるのだ。


水を入れた500㎖のペットボトルを麻痺の右手で持ち、いろんな方向に動かすことも。



ゴムボールは脚にも使えるッ。


麻痺の右脚、足の裏をボールにのせて前後に動かす。

座ってやるときもあれば、立ち上がってやるときもある。


ついでに麻痺じゃない左も。
やっぱり歩くときはヒザが曲がってるかで大きく違うのだ。


ただ脚が前に出るのではない、ヒザを曲げることで地面のギャップや衝撃を吸収し、片方が上がってナナメになってても、カラダを真っ直ぐに歩けるのだ。
そのためのリハビリの一種目だ。


まだまだ自分で右ヒザを曲げることができないが、ストレスなく歩くための訓練だ。



あっ、忘れた。


ゴムボールを壁に麻痺の右手で押さえて上下左右に動かすこともやってる。


両手でゴムボールを持って上下左右、回すことも。



目に見えての効果ってのがないため、時たま。



こんな単調なことやっててリハビリなんだろうか?
って思うこともある。



仮に何十年もやってたら、そりゃ効果が実感できるだろうけどね。



筋トレや長距離ウォーキングするってのは、汗かきかきボロボロに疲れるけど、よーし、やったぜー、俺ってスゴいーって満足するけど、
地味で簡単なリハビリは習慣にでもならないと飽きてくるよね〜。




いつもネットなどでリハビリ情報チェックしてるけど、ゴチャゴチャ言う前になんでも実践だよな。



とりあえずやって考える。



ぜんぜんムダってことはないだろうから。





えっと…しゃがむ運動と足首上げ。

爪先立ちで深くしゃがみ(ヤンキーのうんこ座りじゃない)、前後に揺らす、両ヒザを地面につける、麻痺の右ヒザだけ地面につける、片ヒザづつ立てる。


そして、ナナメの台にのせて、足首を上げることを3分。

麻痺で固くなりがちなのでそれ防止だ。



仰向けに寝て右ヒザを曲げる。


次にうつ伏せになってヒザを曲げる。
100回づつ。




右脚一本でできないので、左で補助しながら。

お尻だけで前後に移動する。
いわゆるお尻歩き。


コレは麻痺で落ちて曲がった(と思われる)骨板を矯正するのにいいんじゃないだろうか。




同じ意味で、立ってテーブルに左脚をのせる。
2分×2回。

つまり全体重を麻痺の右脚で支えることになる。

両手を後ろで組んでヒザで歩く。



立って麻痺の右足の指を薄い板で上げる(コレは助けが必要)、踏み台運動(乗ったり降りたり)、麻痺の右脚をそのままに左脚を前後に、立って右脚のヒザを上げて閉じて開く、正座を2分…。






いっぱいやってるつもりだったけど、こう書くと案外少ないね(笑)。 


上半身のリハビリは前にも書いたけど、促通反復療法、つまり川平法が中心だ。

本やネットを見て自分流だけど。


簡単に書くと、

手・脚指の曲げ伸ばし、
手首を反らす・回す、手のひらを上に前に出す、
寝て腕を上下に、
寝て腕をナナメに上下、
寝て腕を上げて回す、
寝て右ヒジを曲げる、
横になって腕を出す、
コレを各100回づつだ。




左手の補助がなくてもできるのであれば、なるべく右手だけでやる。


川平法は新たな神経を使う、作るのに一番効果が高いと思う。



ホントは、ちゃんとしたリハビリ施設でプロにやってもらった方が良いと思うが、できないので仕方なし。自分でなんとかしちゃる。


足首につけるアンクルウエイト(5キロ)をもらったので、それを使っての運動も。

座って脚を振り上げ下ろす、ヒザを持ち上げ下ろす、脚を後ろに振り上げ下ろすの3つをそんなに疲れない程度に。


コレは筋トレだな。

なんせウォーキングは俺にとってはとてもハードなリハビリなので、脚はやり過ぎるとマイナスなのだ。




今んとこ、これくらいだけど、他に良さげなリハビリがあったら取り入れるし、ダメだと思ったら止めるし、まあ、柔軟に考えてる。


カラダの進歩とともにリハビリの内容が変わっていくのは当たり前だろう。






退院して約2年。

まーだ2年。

やってもやっても片麻痺ってのは手強いが、止めるわけにはいかないし、チクショー、なんだよ(ーー;)俺のカラダは!って腐ることはしょっちゅうだけど、

確かにできることは増えたし、行動範囲は広がったし、ヨシとしようぜっ!




俺は、死ぬまでリハビリを続けようと思ってるので、2年くらいで挫折するわけにはいかないよね!
俺にとっては、リハビリってのは、もう生きる糧みたいになってるね。




リハビリに対する考えも変わってきた。

麻痺を治すことより、今の麻痺あるカラダでいかに動けるか、健常者と同様、いやそれ以上になんでもできるようにする訓練だね。


休むとなんかイヤ〜な気分だ。

コレもリハビリだと思えればなんでもできるような気がするし、アタマも回る。

倒れて障害者となって、初めてわかったこと、気づいたことも多い。




確かに不自由は不自由なんだが、それ以上に学んだことの方が多いような気がする。

神さまってのはイキなことするもんだね(笑)。

このまま生きてたら真のダメ男になるところを、脳出血を起こして立ち止まり気づかせてくれたんだ。


もしかしたら死んでたかもしれないし、改めてもらった命だ。


感謝感謝デス。

たまに、そう考えた方がいいでしょ(笑)。



脳卒中、脳梗塞を発症し片麻痺の障害者となった人の、実に3割以上がウツ、ウツ的症状を示すということは前にも書いたが、

俺は「あーあ、チクショー」と自分のカラダにイライラすることはあっても、デスペアな気分で意欲がなくトコトン落ち込むってことはなかった。


今のところ。倒れてからもけっこうトラブルなどがあったんだけどね。


なぜだろうか?


まず、どんな状況、環境でも楽しみを見つけることができるってのがあるだろうな。


それはフィリピン滞在でも学んだ。生粋のノーテンキな性格で、一方ではチョー恥ずかしいのだが、覚悟を決めるとズケズケ行くことができる。


問題を脇に置いといて目先の快楽に没頭できるのだ。


そして、入院してすぐに、理解できなかったけど、自分で新聞を読んで書き取ったりしてて、なんとかせな、なんとかしっちゃるという気持ちが無意識のうちにも湧いてくるしぶとさもあると思う。


基本的にナルシストでマゾヒストだから逆境に強いのだ。



例えばリハビリウォーキングでも、クルマがいっぱいの車道の脇を歩いてて、最初はみんなブザマな片麻痺の俺を見てると思い隠れたくなるのだが、

そのうち、片麻痺なのに汗かいて必死こいて歩いてる、きっとみんなはスゲーなあ、ガンバってるなあと思ってるだろうなと誇らしくなってくるのだ。



早くから外に出たのもイイと思う。



退院翌日には近所を歩くことを始めた。

脳のリハビリだと思って、外の、田舎の風景や空気、人などに積極的に接してきたことが功をそうしたらんじゃないか。


気分が乗らなくても、ウチのクルマじゃなく、独りでバスや電車などの公共の交通機関を利用して。


同じところじゃなく、なるべく知らない初めてのところへ。


危なかったことや怖かったこと、ヒヤッとしたこともあったが、そういう経験が脳への刺激になり、リハビリになったんだと思う。


部屋に閉じこもってリハビリやってたんじゃ、もっとウツウツになってただろうし、もしかしたら脳出血再発ってこともあったかもしれん。



実際、部屋で気分が落ち込んでても、外を歩くとスッキリしたもんだ。



ニンゲン、意欲的に好きなことやって、家から外に出て他人と接することが大事なんだなぁ。


心地よいストレスは必要だよ。


閉じこもってばかりじゃ老けるのも早いよね。


ウチの親父さん見ても明らかだ。

ウチの近所では、高齢者が多いので、来年はもっと範囲を広げて出かけて行って、積極的に人(特に若い女の子、肉体的にも 笑)とコミュニケーションを取りたいと思うのでした。







剥がれた爪.jpg

ウォーキングし過ぎて左足の指の爪全部剥がれました。もう3巡目。






リハビリウォーキングで菊池を歩く➇

まだまだあったよ、花房飛行場跡の遺物。

風呂場・給湯施設跡。
コレは国道を渡った向こう側にあって(わからないか 笑)、家から20分くらいのところ。

風呂場看板.jpg

景色.jpg



当時、飛行場で寝泊まりしてた生徒たちが利用してたそうな。

士官が笛をくわえて立ってて、3分くらいでピーッと鳴らしたら外に出なきゃいけなかったらしい。


満足に風呂も入れなかったんだね〜。

かわいそう。



コンクリでできた意外と小さな風呂で、何人もの生徒が、機械のようにザブンと入って出てを繰り返してたんだろうな。


10代でココを利用してた生徒も、もう80か90代で在命の方も少ないだろう。


歴史は流れるね〜シミジミ…。



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2017年11月05日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯034

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯034


リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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さてさて、続きです。



真向法の次が、朝のアブトレ。
つまり、腹筋のトレーニングだ。

ネットでいろいろ検索して、片麻痺でもできそうなものを3種目、各30回づつやってる。

今、やってるのは、
ベーシックな腹筋運動、脚を上げてクランチ、サイドヒールタッチ、クロスエルボートゥーニー、バタフライ、プッシュスルー、ニータッチ、四の字クランチ、ジャックナイフ、ニートゥーチェスト、ロシアンツイスト、ウエイテッドクランチ、サイドクランチ、レッグレイズ、フラッターキック、バイシクルクランチ、ハイトゥータッチ、ドラゴンフラッグ、プランク…かな。


ネット等で見て、まだできそうな種目があれば取り入れていくつもりだけどね。


コレラらの種目から順に3つやるのだ。

夜のリハビリにも腹筋トレーニングをやってるけど、なぜ、こんなに腹筋にこだわるかと言うと、片麻痺はやっぱカラダの中心、体幹がズレてる、もしくはズレやすいと思うので、
体幹を中心とした腹筋トレーニングをしつこくやることで、カラダを整えようと思ってるからだ。

あと、いつか腹を割りたいという思いもあるかな。


まっ、腹筋を出すには乗ってる脂肪を取らなきゃダメだから、有酸素運動は欠かせないけどね。←コレが一番タイヘンなんだけど(笑)。



もちろんトレーニングは休養も重要だから、適度に休むよ。

で、締めは、軽いハンドグリップ。100均で買ったもので充分。



麻痺の右手はできないから、左手で2分握りしめることを2セット。

とりあえず右手でも10回の3セット握りしめてみる。

コレはなんのため?かと言うと、高血圧予防なのだ。

前にテレビでやってたけど、普段の30%の力でタオルを握りしめることで、なんか血圧を抑える成分が血管の中に出るという。


実証実験では、参加したほとんどの人に効果が。

せっかくだから、安いハンドグリップでやってるのだ。


で、仕事なり、用事なり、付き合いなり、遊びなり、読書なり、映画鑑賞なり、ネットなり、勉強なりに精を出すー。




続いて、ウォーキング。

これは今までもシツコク書いてきたので今日はいいか。

夜は、いわゆる囚人トレーニングが主流。

コレも前に書いた自重トレーニングなんだが、今、やってるのは……


◉1日目
クロス腕立て 50回×3セット
両手を手のひらで交差させて(麻痺の右手はムリヤリ)、
膝を立て腕立てする。

2.5キロのダンベルカール 20回×4セット


やっぱ昔取った杵柄か(笑)10キロのダンベルセット、通販で買っちゃったよ。


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重いのでやると血圧上がっちゃうので、あくまでも軽いので。

麻痺の右手もムリヤリ握らせて、左手で補助しながらも上げ下げすることで、筋力トレーニング以外にも神経を刺激するんじゃないかと勝手に思ってる。


同じく2.5キロの両手ダンベル上げ。20回×3セット


種目の名前忘れちまったけど、カラダの中心にそって上げ下げする。

体幹や背中上部のトレーニングになるかも。


1キロのお手軽ダンベルを麻痺の右手に握らせて肩を上げる。
シュラッグみたい。


どうしても右肩が下がってる感じがするので、ソレ対策。

コレ以上落ちないように。



で、シュラッグ 5〜10キロを両手で持って。

コレは言うまでもなく僧帽筋の運動だ。



続いて、ショートブリッジ 50回×3セット

仰向けに寝て腰を思いっきり上げる。

基本、腰のトレーニングかな。



最後に、立ってボクシングのポーズで腰を左右にひねる。
100回と150回の2セット


やはり上半身では、カラダの中心に近い筋肉がカギだと思ってる。




◉2日目
サポートスクワット 30回×3セット
左手でどこかを握ってフルにしゃがんで立って。つま先は立っても可。

ハーフスクワット 50回×2セッ
背筋を伸ばして、膝がつま先より前に出ない正式なスクワットだ。

床と太ももが平行になるまでしゃがむ。


フルスクワット 20回×3セット
コレも正式なスクワットで、しっかりしゃがむ。

クローズドスクワット 20回×2セット
コレも正式だけど、なるべく脚を閉じて。

ワンレッグハーフスクワット 15回×3セット
倒れないように左手でどこかをつかんで、スクワットを片足づつやるのだ。

そのうちつかまなくても、フルでできるようになるのが目標。

麻痺の右脚はキッツイけど、なんとかこなしてる。

カーフレイズ 50回×3セット
ふくらはぎの運動だね。
ココは第2の心臓とも言われ、歩くときも重要なパーツだと思うので、けっこうしっかりとやってる。

最後は、ランジ 10回×3セット
イスを後ろに置き、片脚づつ載せて一本脚でハーフスクワットだ。
コレはどっちかと言うと、バランスと体幹のトレーニングだと思ってる。

特に麻痺の右脚。




◉3日目
またまた、シツコク腹筋、体幹のトレーニング。
フラットニーレイズ 35回×3セット
四の字クランチ 20回×3セット
フラッターキック 20回×3セット
ロシアンツイスト 20回×3セット
サイドクランチ 20回×3セット
バックエクステンション 20回×3セット
スーツケースデッドリフト ダンベル5キロで左右10回×3セット
サイドランジ 50回×3セット
プランク 1分×2セット
デッドバグ 20回×3セット




以上だ。

どんな種目なのか興味あればググってみて。
このリハビリというかトレーニングを基本3日やって1日休んで、を繰り返してる。



コレをメインに、自分なりの川平法や病院でやってたことの延長、いわゆるリハビリらしいリハビリ(笑)を随時取り込んでる。

結局、筋トレみたくなってきたけど、まだまだ試行錯誤の途中で、効果のありそうなものや片麻痺でもできそうな種目があれば積極的にやってみたいと思ってる次第です。


なんども言うけど、片麻痺に体幹は重要だと実感してる。


麻痺というのは、ホントにやっかいで、グチグチ言う前に、言うヒマがあったら、
とにかく、試行錯誤してでも、リハビリでも、トレーニングでも、やってやってやりまくって、や〜っとホンの少し効果が実感できるものだと思うのだ。


長嶋さんの名言、
リハビリは裏切らない、
リハビリはウソをつかない、
だよ。

まっ、努力は人を裏切ることがあるのも真実だけどね(笑)。

疲れたので、次回に、今やってるリハビリらしいリハビリを書いてみま〜す。







BY THE WAY…片麻痺オッサンは53歳の誕生日を過ぎて、免許更新ハガキが東京から転送されて来てたので、倒れて、片麻痺になって初の免許更新に行ってきた。

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結果、無事に完了。




ハガキが着いた時点で、免許センターに電話すると、かかりつけの医者が書いた脳梗塞・脳卒中専用の用紙による診断書が必要とのことで、あらかじめ、菊池警察署に行って用紙をゲット、
病院で2000円ほど払って診断書を書いてもらっていた。

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そして、台風前のどんよりした空の下、菊陽町にある運転免許センターまで行ってきた。

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余裕かまして昼前に行ったため、ほぼ1日がかり。

しかし、東京みたく、そんなに人もいないのにスゲ〜立派な建物で、さすがケーサツの天下り?役所のお仕事の場だなあと感心。


受付で事情を説明すると、まず取調室みたいな個室に連れてかれ、看護師と警察関係者と面談。


脳出血で倒れたときから入院、今の麻痺の度合い、健康状況など、雑談も含め、一時間近くクドクド聞かれた。


なんか、意識をなくしたことないかを気にしてたみたい。

倒れた直後、数日間確かにわからなかったことがあって、調子に乗ってしゃべってヤベッと思ったけど、大丈夫だった。



看護師の若いおばさまが聞き方が上手くて、警察関係者がいなくなると悪口言ったりして、和ませてくれたから良かった。



俺は、途中で、これも高次脳機能障害のチェックじゃねえか?と思い、二人がケタケタ笑うくらい調子に乗って関係ないことまでベラベラ喋ったけど。



最初、汗が出て顔が赤くなり動きがぎこちないくらい緊張してたんだが(多分、脳出血の影響で血圧も上昇)、
落ち着いてくると、調子イイというか、オレらしいベシャリが展開、時間が経つのも忘れたよ。


はっはは。



で、シュミレーションで検査すると言ってたけど、大丈夫みたいで検査は無し。



なぜか個室で、VIP対応で(警察関係者がそう言ってた)、住所変更も含め、いろいろ手続きもやってくれ、複視もあり心配だった眼の検査もクリアして、写真撮って、30分の講習受けたら(ゴールドだからね)、あっけなく終了。


マニュアル(大好きだった)がダメになってオートマ限定になって、大型二輪が返納になったのはホント惜しいけど仕方なし。

あーあ。


指名手配みたいな、おニューの顔写真がついた新しい免許を見ると、条件のとこに、

「準中型で運転できる準中型車は準中型車(5t)に限る。AT車の準中型車(5t)と普通車に限る」

と書いてある。

ナンノコッチャ。


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障害ありなんて書いてないんだな。

自治体や障害の度合いによっても違うのか、聞いたら、右麻痺は左アクセルに限るとか改造車に限るってのもあるらしい。


個室で、

「カラダをズラして左脚で右アクセルとブレーキ踏んでます。ハンドルにはハンドルスピンナー付けて左手一本で大丈夫で〜す。もう数回運転もしてま〜す」

なんて、ウソじゃないけど、調子こいてしゃべったのが良かったのかね。


新しい免許を手にして帰る途中で、免許センターから電話があり、免許の条件の記載を間違えた(!)ということで、再度戻るというオマケがついたが。



オレ、今回の免許更新で思ったけど、意外とコミュニケーション力高いんじゃないだろうか?


確かに、ウォーキングしてて、近所の人にでも話しかけられたら、調子に乗って、ペラペラペラペラ。


時には相手の、早く話を終わらせたいなあという気持ちがわかるほど(笑)。

昔は暗〜い青年だったのにね。



まあ、脳のリハビリだと思って、機会があれば積極的にコミュニケーションを取るようにしてきたと思うからな。


それか歳だな(爆)。




つづく

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2017年10月15日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯033

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯033


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リハビリするひと。

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1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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実は、過ぎし10月14日はリハビリストのオレ様の誕生日であーる。

1964年だから、え〜といくつだっけか、53歳だな。


認めたくないのか、だんだん自分の歳ってわからなくなるよね。
片麻痺ドン底中年街道まっしぐらだ。



都落ちして実家に帰って、毎年、誕生日には、お袋さんが大好きなサーロインステーキ(菊池牛?)をご馳走してくれたんだが、食べてるときは美味しくてイイけど、後で必ず腹がゆるくなる。


牛の脂なのかわからないけど、普段、魚か鶏肉で健康的な食事をしてるからと納得している。




で、誕生日の二日前、
2014年の10月12日は、人生が変わったであろうと思われる日だ。


東京・あきる野市の友人宅で、脳出血を起こして倒れた日なのだ。


左視床下部に出血37ミリ。


もうあれから3年だ。ホントに早いね〜。


N崎くん、元気かなあ?でも、あの日のことはちゃんと覚えてる。

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯001




トラウマになってるのか、10月はなんとなく気分も下降気味。

本来なら誕生日月でワクワクかもだが。もうオヤジだから、そんなこともねえか(笑)。






さてさて、わたくし、'生きるために死ぬまでリハビリ、と決めて、日々邁進してると思いますが、もう3年経ってるから、あきらかに目に見えての効果ってのは、多分ないと思われる。


それでも、効果を実感できたときのヨロコビのために、時にミラクルを信じて、コツコツ、シコシコ、地味ィに続けるしかないのだ。



片麻痺で、一番やっかいなのは、麻痺の手足の「痙縮」ってヤツだ。
ケイシュクっていう。


ただ、動かなくてダラ〜ン、ブラ〜ンとなってる分にはまだイイ。

その場の環境、状況、天候、果てはココロの状態によっても、突っ張ってピ〜ンと伸びたり、その逆、ギュッ〜とちぢこまるように曲がったりするのだ。

意識することなく自然に。



手だったら、ヒジから下がカラダの前でキュ〜ッと丸まる。

手首も内側に曲がることがある。


ナンジャコリャ!とめっちゃカタイのが指。

例えばムリに開いて何かをつかませようとするのだが、グゥーを握って固まったようになって、開くのにスゲ〜苦労する。


親指も中に入っちゃうし。足は逆にツッパル。


ヒザもなかなか曲がらず、足首も伸びる。




気持ち悪いのが、やはり指。

足指でもグゥーを握るように、まるで古代中国の纏足のようになってしまう。


家の中で、装具を付けずに歩いてると、限界まで指が足裏の方に丸まってしまうことがあるのだ。

段差のところでムリヤリ指を上に曲げたときや、座ったときは元に戻るので、座って指を外側に開いたときの気持ち良さったら(笑)。


外をウォーキングするときも、たまに麻痺の右足がピンとツッパリ、まるで、中にコイルのバネか、トラックの板バネでも入ってるように、跳ね返って弾むように感じるときがある。



やはりポイントはヒザだと思う。

ヒザが曲がるかどうかなのだ。

麻痺の右足を前に出すときに、自然とヒザが曲がってるかだ。



自分でヒザを後ろに曲げられないし、まだまだ意識してヒザを曲げるようにしないとダメだ。

麻痺で若干、右下半身が落ちてるので、ヒザを曲げて歩かないと、すぐにひっかっかってしまうのだ。

それでも、しつこく意識して歩くことで必ずや効果が出てくると思う。




ヒザが曲がらないと、右足がピンと伸びたまま、前に出すことになり、そのうち、イビツに外側に固まっちゃうんじゃないかと危惧してしまう。

ブン回し歩きしかできなくなってしまう。

だから、ヒザを意識して曲げた歩き方のリハビリを取り入れてるのだ。






まあ、痙縮ってヤツは、脳からの指令がさえぎられて、まともに届かないので、
勝手に筋肉が動いてしまうのか、動かそうとするけど、電気信号が乱れまくってるのか、わからないけど、
麻痺とはいえ、まだ筋肉は生きてるし、脳も一生懸命信号を送ろうとしているから起こるのだと思う。

ということはだ。


まだまだリハビリによって改善の余地は残されてるってことだ。



希望は捨てないよ。



麻痺の手足をしつこいほど動かして、信号はここに届くんだよ〜って、教えてやらなきゃね。


痙縮をほっとくと固まって拘縮(コウシュク)になっちゃうらしいので、日常的なストレッチも欠かせない。



この痙縮対策で、筋肉に直接注射を打つ治療もあるみたいだが、なんか外から異物を入れてるようで、やりたいとは思わないなあ。

それより、しつこくしつこく、まともな方向に動かすことで、脳からの指令をつなげたいと思う。


実際に、リハビリウォーキングで、足は前ほど痙縮がひどくなくなった。

あっても、あまり苦にならない程度になってきた。

痙縮で痛みを伴う人もいるみたいだが、幸い俺はボア〜とした感じがするだけで、痛くはないし、多分痙縮自体も、キンチョーしたとき以外、そんなにひどくはないと思う。


時たま、負担のかかる手足に、あ"ーっとイライラすることもあるけどね。






退院してから今まで、元来、本好きなこともあって、脳卒中・脳梗塞やリハビリに関する書籍はけっこう目を通してきたし、
ネットをはじめとするメディアで効果があるように思われるリハビリを目にすれば積極的に取り入れてきた。

やり始めても、これはイマイチだなあと思えばすぐにやめた。


最初は病院でやってたことの延長だったが、退院してから、月に一度病院行っても1階の脳外科で降圧剤をもらうだけで、
上のリハビリ科に行って助言をもらうこともないので(俺も行って聞かないからだが…)、自分でいろいろ調べて実践してきたつもりだ。




これからも、おっ、これは!と思うリハビリを見つければ積極的にやってみるつもりだが、なんか、だんだん筋力トレーニングに近くなってきたよ。


健康な時にやってたボディビルの無酸素運動みたいに。


血圧上がるからダメなんだけど、好きなんだね〜。

だから基本は自重か、ダンベル使っても軽い重さでだ。





今、俺がやってるリハビリは…

まず朝起きたら座禅を組む。

タイマーセットして30分。動画サイトで、デルタレゾナンス、バイノウラルビートってのを流しつつ。

手はヒザに添える。
なぜ前で組まないかというと、麻痺の右手が痙縮もなく自然と右膝に乗れば、落ち着いてきたとわかるからだ。

ナントカビートは、脳の活性化に効くということで、ネットを見ると出血で壊死した細胞が元に戻ったなんて書いてあるが、もちろん、そんなことは信じられない。
ただ、単純な音の繰り返しで、ココロを落ち着けるのにはイイかなと思って。

信じるものは救われるで、俺は性格的にも、だまされやすい脳だと思うから、脳細胞が活性化するゾッって信じれば、ホントにそうなるかもだしね。


次に、顔の体操。


口をウーイーと10回くらいやって、大きく舌を出して口を開けて、口をすっぱいものでも食ったようにしぼめる。

そして、1分顔をメチャクチャにする。

とにかく限界まで動かす。

舌を上下左右、回したり、口をとがらしたり、ガアーッと開けたり。

こういう顔ヨガってのもあるらしいけど。

麻痺で落ちた右顔面のリハビリだね。




次に目の運動。

目のマッサージなんだが、両目の間、まぶたの上と下、こめかみと3秒くらい押さえる。

握りこぶしを目に当てグルグル回す。

そして、
@ 強くつぶる、A上を10秒見る、B強くつぶる、C下を10秒見る、D強くつぶる、E右を10秒見る、F強くつぶる、G左を10秒見る、H人差し指で∞を書き目で追うことを10回、⓾人差し指を目の前から奥に移動させ目で追うことを10回。


視力回復運動だ。



続いて復視のリハビリ。

眼球のストレッチだね。

顔はそのままに眼球だけを動かす。
‡@ 右を3秒見て前を見る、A右斜め上(45度)を見て前を見る、B上を3秒見て前を見る、C左斜め上を3秒見て前を見る、D左を3秒見て前を見る、E左斜め下を3秒見て前を見る、F下を3秒見て前を見る、G右斜め下を3秒見て前を見る、H右回りに眼球を3回動かし前を見る、⓾左回りに眼球を3回動かし前を見るーー。


続けて、窓枠や壁、天井の直線的なラインをなぞるように連続的に目で追う。
2分間。


目のリハビリの最後はネットで見つけた視力回復トレーニング。

点が左右に移動するので、それを目で追う。

早さによって4段階あるので各1分づつ。

二重に見えてしまう複視の回復が目的で、なかなか良くなんないんだけど、継続は力なりを信じて。


でも、確実に当初より良くなった。



最初は真向法で始まるー。

真向法のやり方はネットを見てもらうとして、この運動の開祖も脳出血で不自由なカラダとなり、お辞儀から編み出したというから親近感がわくじゃない。


まあ、ストレッチ運動だね。

ーーーと、ここまで書いて疲れた。

あとは次回に。








リハビリウォーキングで菊池を歩くF

まだあった菊池(花房)飛行場跡地シリーズッ!

教育隊の正門入口の営門と衛兵立哨所の跡。

飛行場の入口だな。

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営門には木の看板が掲げられ、立哨所は下のコンクリの基礎だけで上は木造だった。

ここに衛兵が多分ガマンして立ってたんだよ。

カワイソー。

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それにしても丈夫なコンクリだよねー。


近くに昭和16年の飛行場開隊時の記念碑がある。

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白本朋求facebook
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リハビリランキング



2017年09月17日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯032

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯032


リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


リハビリランキング

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だいぶ涼しくなってきて、朝晩肌寒いこともある日が多くなったね。

リハビリもウォーキングもやりやすくなった。

秋になると、なんか物悲しくて人恋しくておセンチになる片麻痺不良オヤジのリハビリストです。




今日は台風18号が九州上陸?の予定なんだが、今のところ、ちょっと強めの風雨というくらいで、そんなに大したことない (夕方になったら西の空に太陽が出てきたよ…)。


地震はホントにイヤだけど、台風はちょっとなんかワクワクするんだよね。

九州は台風の通り道でガキの頃からいっぱい経験してるからかな。

停電になるけど学校は休みになり、家にこもって、弟といろいろ遊ぶのが楽しかった。



今日みたく天気の悪い日は眠くなることが多い。

麻痺あるカラダがドヨ〜ンと重くて、昼間でも、まぶたが強制的にシャッターを降ろそうとしている。

低気圧でカラダが省エネモードになるからというが、どうなんだろう。




そういや、脳出血になってから、確実に疲れやすくなった。

気合い入れてエイヤッと外に出れば大丈夫だけど。

年齢もあると思うが、調べると、脳の修復作業で多大なエネルギーを使うため、休みたくなるのだという。

それも数年続くと。


倒れて3年くらい経とうとしてるが、まだ修復作業が続いてるのだろうか。



普段リハビリしてウォーキングして、多分普通の人より、よく動き、アレコレ考えてると思うけど、脳に出血で壊れたところもあって、すぐに休みたくなる許容量になったのかもしれない。


どっちにしろ、脳をフル回転させるのは、疲れるだろうけど、イイことだと思うので(多分、認知症予防も 笑)、変わらず、解決なくても、考えて考えて考え抜きたいね。


俺の場合、脳は運動分野を除いて、倒れる前よりも進化・発展してるんじゃないかと、たまに自負してるけどね(笑)。






by the way…。


先日出かけるのに着替えをしてた。

Gパンでもチノパンでも、はたまた下着でも、下を変えるときはイスに座って麻痺の右足を左足に乗せて、麻痺の右足に通してから履くようにしている。

で、麻痺の右足を左手で引き上げて左足に乗せるんだが、意識せずに、自然と、手を使わずに足を組む要領で右足を左足に乗せた。

ハッと気づいてうれしくなった。

今まで動かなかった右足が、ホンの少しだけど動かせたのだ。

それを意識したのだ。

多分、リハビリの効果ってこういうことなんだな。

気づかないけど、いつの間にかできてる。

あきらめずにリハビリしててよかった。

サボらずに一万歩歩いててよかった。



それから出かける時間を伸ばして、アレはできるかな?コレはどうかな?といろいろやってみた。

麻痺の右手も、上にピンと伸ばすことはできないけど、90度以上上がるようになってる。

前は肩まで上がることもなかったのに。

やっぱり足の効果が大きい。

仰向けに寝転んで麻痺の右足を引き上げるというか胸まで曲げることができる。

内足気味だけど。

うつ伏せに寝て、その反対は、ちょっとだけ曲げることができる。

思い込みも大きいかもだが、それでもスゲ〜うれしかったよ。



あとで出かけたけど、その日はルンルン気分でアブナイ人みたくニヤニヤしっぱなしだったね〜。


もう一度言う。


リハビリの効果って、こういうことなんだよ!

こういうことのために、効果のハッキリわからない、誰も注目してくれない、地味ぃなリハビリを飽きることなくシコシコ続けていくのだな。

そして、ある日何かがきっかけで効果を知ることができるのだ。

進化したいんだったら、あきらめてはダメだ。

明日からのリハビリと次のステージへのモチベーションにもなるしね。






時間があるときは、しょっちゅうネットを開いて、脳出血、片麻痺、リハビリなどのキーワードで検索して情報収集してるつもりだけど、
SNSでも、動画サイトでも、奇跡の回復、簡単なリハビリ法、驚異の治療法、海外では有名、〜〜式、脳の活用、ついでに新薬誕生まで、様々な情報、宣伝が流されてる。


で、覗くと、前置きが異様に長くて、肝心なところは、大したことなかったり、有料だったりする。


そういったサイトは、まず脳の疾患とは何か、なぜ麻痺になるかと、長々と説明文が書いてあってスクロールするのがメンド〜になる。

そんなことはどーでもええのだ。

ズバリ、リハビリでも、治療法でも、要点を書いてほしいし、そんな説明はあったとしても後でよい。




動画サイトでは、恥ずかしくなるくらいのダサダサの名前の民間の治療施設で、これまたダサダサのやたら白々しい元気を振りまいてる施術者が、やたら前置き長く説明してて最後の数分でやっとリハビリに入るというものがある。


まあ、ほとんど宣伝が多いのだが、こういった情報に飛びつきたくなる患者の気持ちはよくわかるけど、そんなに簡単に苦労なく神経の再生ができるわけがない。

麻痺が回復するわけがない。

ホントに。



リハビリというものは、やっぱり自分で自分の身体を認識・判断し(人それぞれ障害の度合いは違うからね)、汗を流して、時には苦しい思いもして、遠回りもして、あーでもない、こーでもないと試行錯誤して模索し獲得するものだと思う。


新薬に関しては、ちょっと期待だけど、たいてい、まだまだ先のことで、今ある麻痺を改善するために今できることをやったほうがイイに決まってる。


それでも、せっかくネットを駆使できる環境にあるから、中には有効な情報があるかもしれないので、Hな動画だけでなく(笑)、いろいろ検索している。







退院した日から書き始めたリハビリノートも三冊目がもうすぐ終わりになる。

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最初に書いたのは、2015年の3月30日金曜日だ。

退院した翌日だね。

「ストレッチ2つ 足上げ しゃがむ運動 四つんばい運動 午後 しゃがむ運動 スクワット(50回) 足を上げる運動 舌マッサージ 足首をあげる」
と「血圧に良い食材 血圧に悪い食材 ヨガ むくみ」と書いてある。

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まさにミミズの這ったような汚ねえ字で。


2年前だけど懐かしいねえ。


加えて、ノートの隅に英単語をビッシリ書いてる。

だいたいどんなリハビリをやったのかは覚えてるし、英単語は左手で書く練習だ。

リハビリは病院でやってたことの延長で、汚いながらも必死で英単語を書いてることがわかる。

ページをめくっていくと、2ヶ月弱くらいでだんだん字も読めるようになっている。



最近のノートを見ると、もう誰が見ても普通の文字に違いないだろう。

ちなみに4月7日から歩くことを始めてる。

ここにもリハビリの成果が見てとれる。



スゲ〜。



ノートを見返すとよくわかる。

やったリハビリの記録だけじゃなく、ネットで見つけたリハビリ法のコピーを貼ったり、高血圧に効く食材のリスト、片麻痺でもできる様々な運動、健康情報、
それから、読んだ本の記録、感銘を受けた言葉や戒めの言葉、日々の目標、気になったこと、タガログ語の勉強まで、
とにかく生活のすべて(ちょっと大げさ(^_^;))を記録している。



自分で考えてアナログで左手一本で書くことが、脳のリハビリだと思って続けてきたが、もうフツーに書けるようになった。

まだちょっと書くスピードが遅いけどね。

PCやiPadのキーも間違えずにだいぶ早く打てるようになった。

ガキの頃から記録フェチだったなあ。

年が明けると必ず手帳を新しくしてたし。

こういう性格に育ててくれた親に感謝(笑)。





ノートに記録する効果ってなんだろう。

こうやって思い出さないと見返すことってあまりないしね。

ああ、ここまでやったんだなあという満足感を得るためと、一番大きいのはモチベーションの維持かもしれない。


自分の進化を知ることは次への励みになるのは間違いないだろう。

それに積極的に情報を集めてれば、情報の方から寄ってきてくれる。

それも有効な情報が。

と、そう俺は信じてる。





俺なんかまだまだ進化しなきゃだけど、最終目標はなんだろう。

もちろん麻痺の改善、完全回復が最終目標だろうけど、もう生きるために、生きてれば、死ぬ間際までニンゲンは進化していくものだろうな。

進化のスピードは歳とともに遅くなるだろうが。

だから俺の場合、麻痺改善のリハビリなんだけど、それを通して、麻痺あるカラダそのもの(脳を含めて)を進化発展させることだな。


一生リハビリ。
そういう意味でリハビリスト。

生きるってことはそういうことさ。



もうリハビリもやらなくなり、興味も、発見も、努力も、希望も、欲望も、苦悩までもなくしちまったら、そりゃ人生の終わりだね。

死ぬ時だ。






リハビリウォーキングで菊池を歩く➅

菊池(花房)飛行場シリーズッ!

最後は菊池飛行場ミュージアムだ。

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10年ほど前にふるさと創生資金でムリヤリ(多分)作られた、普段誰もいない、寂れまくった有明の里泗水・孔子公園に隣接してある。

小ちゃなスペースだけど、いろんな資料、地図、文献が展示してあり、手作り感満載でなかなかいい。

関連のビデオ等動画も見れる。

保存会か何かのおじいちゃんが一生懸命作ったであろう手作りの飛行場パノラマ?が見応えあるよ。

名前を書いて、いくらでもOKの寄付金を箱に入れて中に入るが、電話でもして呼ばなきゃ誰もいない。

勝手に見学するのだが、小ちゃくても、こういう丁寧な博物館はいつまでもいたくなるね。

もう3回行ってるけど、行くたびに展示や構成が変わってる。


奥に置いてある戦争関連の本を読みふけるのが好きだ。

ミュージアムの隣に置いてある自販機、ミュージアムの維持資金になってるようだが、例えば、他では120円の缶コーヒーが、ここでは110円と安い。



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2017年08月29日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯031

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯031





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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先日、コンビニでコピーした際、すっかりお釣りを取るのを忘れ、
また、ウォーキングの途中、公園のベンチで休んだ際、取り出した歩数計とハンカチを置き忘れ、
図書館に行った時は、借りた本を忘れ(すぐに気付いて戻ったが)……


加齢による?単なるウッカリ忘れだと思うが、ちょっと、脳出血による高次脳機能障害じゃないかと不安になっちゃうことがある。


異常なほど神経質だったオレは、あまり忘れ物なんてしない方だと思うが、脳細胞を傷つけてしまったことで、運動分野以外に、本当は自分ではわからない障害が隠れてるんじゃないかとガクブルになるのだ。



考え過ぎだろうけどな。



ニンゲンは脳によって動いてて、脳が中心だから、それが一部でも壊れると、普段の動きに不具合が起きてくるのは当たり前なんだが、
こうしていろいろ考えて、文章を組み立てて書いてることも、フツーにできなくなるのは、ムズガユイ感じがしてコワイね。



そのフツーなのかも自分じゃわからなくなるんだよ。



考えの中心というかコアになる部分が底ぬけでわからないような…

なんでこうやって考えてるんだろうもわからないような…

ニンゲンってなんで考えるのか…



うーむ。テツガク的。





とにかく脳の障害って、自分では、他人を基準にしなきゃわからないよね。


あれ?彼はこうだけど俺は違うなぁとか、

あれ?みんなビックリしてる、オレ、なんでこんなに怒ってるんだろう?とか。



何言いたいのかわからんと思うし、自分でもうまく言えないけど、
フツーの基準の判断を作るのは他人の行動と助言だよな。


やっぱコミュニケーションが大事だと思う。



オレって意外と冷静に見てることがあって、例えば感情が高ぶっても、一歩離れて、あっ、オレ今怒ってるよって見れる自分がいる。だから、まだ大丈夫だと思ってる。


もし、どこかに高次脳機能障害が残ってても、気づいたときに対策を考えればいい。


こうしてブログやSNSをやることも、常に考える、書くリハビリだと思ってる。


クヨクヨしないのさ。







さてさて、
最近、ウォーキングにこだわるリハビリストのオレだけど、
いつもナンバ歩きはじめ、あまり腰を動かすことなく脚を前に出してたが、ある日、極端に腰を振ってみた。


ナンバ歩きとは逆で、西洋の?通常の歩き方で、右脚を出す時に腰の左側を前に、左脚を出す時に腰の右側を前に、思いっきり。

左手で持ってるステッキも麻痺の右脚に合わせて、前後ろ前後ろと脚が3本あるようにリズム良く。


すると、自然と麻痺の右脚が、ぶん回し歩きじゃない感じで内側に来るのを発見。


体幹もカラダの中心にあるのを意識できる。


歩き方のほんのチョットした工夫でいろいろと変わるもんだね。


腰をあまり動かさないナンバ歩きも、もちリハビリに効果的だと思うが、これから、この極端に腰を動かす歩き方もやろう。


少しでも通常の歩き方に戻るように。


とにかく神経再生にはムリせず数歩くことだと思う。


いつも、いつも、チョットでもいい、何でもいい、考え、創意工夫することが重要だと思う。





前にやってみようか、後ろにやってみようか、左にやってみようか、右にやってみようか、常に考え変えて、少しでも快適なラクな歩き方を追求するのだ。



いつも同じで何も考えずに量を稼ぐウォーキングでは進歩がないと思うし、
壊れた脳のリハビリにもならないと思う。


アタマが痛くなるくらい、考え考え考え抜くのだ!ウォーキングの時こそ哲学者になるのだ!ふー。








思えば、中途障害者の片麻痺になってもう3年近く。


右脚、右手のフツーの使い方を忘れちまったなあ。



脚はまだよく使うからいいけど、右手はせいぜい左手に添える感じで、リハビリで動かす以外は、まさに廃手になっちゃった。



いかん、いかん。廃手でも何でもまだ付いてるから、動かなくても、意味なくても使おう。


なるべく。


脳がそういう右手を使わない脳になっちゃうからね。





さっき、隣人の、同じ片麻痺(彼は左)のオッサンを見た。


麻痺の左手はプラプラとまっすぐ下に伸びてた。


オレは、寝てるときなど、多分リラックスしてるときはまっすぐ伸びてるけど、キュッと曲がってることが多い。


だんだん伸びてきたけど。


それだけ緊張しやすいということか。



歩くとき、麻痺の左脚の膝も少し曲がってた。



うらやましいねえ。



せめてあれだけでも曲がってくれたら。


脳卒中や脳梗塞の麻痺の度合いって、ホント人によって様々なんだなぁ。


脳はチョー精密機械だから、損傷の場所や広さによって、それぞれ違うのだな。




そういや先週は24時間テレビがあったね。


オレは支持しないので見てないけど(ちょっと見たけど)。

地震もあったから、熊本にも中継や募金いっぱいだったろう。



オレがガキだった、欽ちゃんがやってた時代から続いてるけど、近年は毎回、偽善だの、感動の押し付けだの、タレントのギャラが高いだの、タレントが走って意味ないだの、
視聴者もわかってきて、ちょこちょこ不平不満批判が出てるが、もともとボランティアって、やる人の自己満が大きいし、そもそも愛は地球を救う(救う訳ねーじゃん)というイメージで持ってる番組だし、
少なくても募金が集まるし、頑張ってる障害者もいるし、見て元気になったり、勇気づけられたりする視聴者もいるだろうし、
これはこれでエエじゃないかとオレは思う。

偽善でも白々しくてもぜんぜんOKだと思うけど。




オレは、過剰な演出というか、大げさな優しさ、大げさな笑い、障害者への接し方、身振り手振り、大げさな感動の表し方がどうしても苦手だ。


気持ち悪くなってくる。


ひねくれ者だから、ついつい裏を考えてしまう。



ドラマはどうか知らんけど。



見る人がいなけりゃ、視聴率が低けりゃ、中止になるだろうし。






障害者になってから、やっぱり意識してしまうね。


倒れる以前は何とも思ってなかったのに、ニンゲンってゲンキンなものだ。



特に障害者、それも子どもがガンバってるのを見れば涙腺崩壊となってしまうとともに、オレもヤルぞってモチベが上がる。

歳だね〜。


なって初めてわかる片麻痺の苦労。


病院でリハビリスタッフにいろいろとお世話になったが、経験と知識はあるにしても、健常者では、片麻痺患者の本当の苦労はわからないかもね。


それを言っちゃおしめ〜よかな。


他の疾患でもそうだけど。


どこかに片麻痺のリハビリスタッフっていないのだろうか。







今日、朝方、北朝鮮のミサイルが日本上空を飛んでったとネットニュースを見た。

グダグダのJアラートも鳴ったらしい。


Facebookでも不安な書き込みをけっこう見た。


でも、今は、ミサイルよりも不安でパニックになってしまうことこそ怖い。


さらに、権力者に同調して、戦争を望むようになることはもっともっと怖い。


そりゃ、拉致被害者や北の人民のことをホントに考えるなら、金王朝崩壊が望ましいことだけど、
手の届かない大衆が不安と恐怖で暴走することの方が何倍も恐ろしいことだと思う。



ネットが隅々まで発達した世の中、それはないと思うけど、いろいろ宣伝に乗せられて、国内の在日の人々を差別、攻撃、迫害するようになるかもしれないから要注意だ。


歴史的に見ても、日本人はそういう傾向にあるからね。


米軍のいないとこや、資金源である朝鮮総連があるとこは飛んで来ないと思うけど。





政府やレイシストどもの宣伝に騙されないことだ。


頭を抱えるだけの訓練なんか、マジ、アホらしくてね。

これぞ平和ボケっていうのか。


肝心のJアラートは経験なくてミスって、もう何をか言わんやだ。


次は竹槍で敵を倒す訓練でもやるんじゃないか(笑)。



まあ、ミサイルが落ちるなんて、ある意味運命みたいなとこあるから、しっかりと普段の日常を送ることだ。


オレも宣伝に惑わされず、しっかりリハビリを続けるよ。









リハビリウォーキングで菊池を歩くD
菊池(花房)飛行場跡シリーズッ!

やっぱり飛行場跡のシンボル的存在の高架給水塔だ。

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家から10分くらいのところにそびえてる。


鉄筋コンクリ造りの高さ13メートル強で、空襲にも耐え、戦後も平成19年まで生活用水などで使われてたそうな。

前は中に入れたが、熊本地震で倒壊の危険があるのか、今は立ち入り禁止になってる。


ところどころに空襲の弾痕が残ってて、上の方に30数個の弾が見つかったらしい。

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晴れた日、もしくは月の明るい夜に下から見上げると、物言わぬ朽ち掛けた、ところどころ弾痕のある給水塔に歴史を深く感じてしまう。


前を歩くたびに見上げるグッドロケーションだ。


前に小ちゃな公園?があって、そこでマッタリするのが好き。





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2017年08月13日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯030

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯030


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



健康と医療ランキング


お盆になったら、確実に日が短くなり、朝晩はちょい涼しくなった。

外を歩いてると、よくわかる。

夕方はトンボが前を遮り、天気の良い日はムチャクチャ、涙がちょちょぎれるくらい夕陽がキレイだ。




いつかあの子と見たマニラ湾の夕陽を思い出す。


前は、苦悩の中で悲しく見てたけど、今だったら喜びいっぱいで見れる気がする。

遅いけど。


この瞬間も、彼女の若い美しい頬を紅く染めてないだろうか…。

詩でも書けそうなんだがなあ(笑)。



ども、ノスタルジックなリハビリストです。







夏の真昼間のリハビリウォーキングはマジで命の危険もあるんで、ちょい日が陰った夕方から夜にかけて歩くことにしてる。

それでも暑くて滝のような汗でグチョグチョになるので、水分と塩分補給は絶対に欠かせない。


ポカリやアクエリアスみたいなスポーツ飲料もいいんだけど、人工甘味料で俺には甘すぎる。

という訳で、自分で作った。




水1リットル+100%オレンジorアップルジュース500ml+天然塩2g+重曹3g+ハチミツ適量+レモン絞り汁適量+クエン酸適量(あれば)…以上。




熱中症対策なんだが、これでOK、少しずつ飲みながら2、3時間歩いてる。


出てるとこは(といっても長袖だから顔や膝から下の脚くらいしかないけど)、日焼けでだいぶ黒くなって自分的には満足。

麻痺の右足の、白く残った装具の跡を見ると、ここまでハードなリハビリウォーキングしてるぜーとナルシスな気分をくすぐられるのさ。



激しく焼けると皮膚ガンなどの心配もあると思うけど、ナマッチロ(白)くぶよぶよよりも、黒い方が精悍に見えるし、実は、あの清原や新庄元選手みたく真っ黒な顔にニカッと異常に白い歯が、ってのに憧れてんだ。


渋谷のヤマンバじゃないけど。



日サロないし行けないから、天然の日サロだぜい。

首筋にジリジリと攻撃的で刺すような太陽光線が当たってる感じが好きなんだ。

で、ウォーキングの成果で、脚は血管が浮き立つくらい引き締まってきたと思う。また爪もはがれたし。



しかし、腹はあんまり変わらずだけど(泣)。


まあ、ベルトの穴は2つ減ったけどね。



食い過ぎでもないと思うんだが、ハードに運動してるからか、気付かぬうちに食ってるのかなあ。

体重も68、69キロくらいで変わらない。

毎日あんなに汗かいても、ホントなかなか見えない腹筋ちゃん。

マジ腹筋あるのかいな?

片麻痺で右脚をかばってるせいか、姿勢が前傾の逆、後傾になってる時がある。

麻痺の右脚を出す時、そ〜っとお腹突き出しておそるおそる出す感じで。


それでお腹出てる姿勢になるのか?

調べると、不自然な姿勢でけっこう背中やワキ腹を痛める人もいるみたい。

一万歩以上も歩いてるから、不自然な形の下半身の内筋が前に出る感じで発達して固まったのか、もしくは、リハビリの時以外は、片麻痺なんで、健常者のように動かず(確かにジッとしてる)、運動量が少なく脂肪が減らないのか、最後は内臓のビョーキなのか…あくまで個人的な感想なんだが。


どっちにしろ、やっぱ体幹を鍛えなきゃと思った次第。

加えて、最近、「ドローイング」を覚えた。

ドローイングとは、お腹を凹ませる動作に腹式呼吸を組み合わせて、腹部のインナーマッスルを鍛えるトレーニングメニュー。


やり方は、
まず、お腹に空気を溜め込むイメージで息を大きく吸う→
限界まで吸った後、息を止めて酸素を体内に巡らせる→膨らませたお腹が凹むように、お腹から思いきり息を吐き出す→
空気を完全に吐き出したら、凹ませた状態で30秒くらいキープ→
その後、またゆっくりと息を吸っていく。


以上。ウォーキングの途中で止まってやってる。


このように、ただ漫然とアホみたくテクテクヨチヨチ歩いてるわけじぢゃないよ。

目的はあくまでリハビリなんだから。


前にも書いたけど、いろんなリハビリメニューを取り入れてる。

今、やってるのは、
@左手でどこかをつかんで、麻痺の右脚で支えて左脚を前後に振る、
A片足立ち(左右とも)とシングルレッグバランス、
B両手を後ろに回して、モデルウォーキングみたいなタンデム歩行、
C同じく、ノルディックスキーのようなV字歩行、
D麻痺の右側を向いて後ろ歩き(バランスと高次脳機能障害対策)、
E小走り、
Fジャンプ、
G麻痺の右脚を上げて歩く、
H大股歩き、
I台みたいになったところで上がったり降りたり、
J麻痺の右脚ケンケン、
K反復横跳び、
L横(カニ)歩き、
M膝を曲げたまま歩く、
Nその場でクルクル回る回転、
O麻痺の右脚を左脚につけて歩く(ブン回し歩き対策)、
Oなるべく早く坂道を上がる、そして、ナンバ歩き。

以上。


やってみようと思ったものなんでも取り入れてたら、メニュー増やし過ぎて、忙しいのなんのって(笑)。

毎回全部やってるわけじゃないが、なるべくやるようにしている。


こんなにやってても、まだまだ麻痺が残ってて(当然かもだが)、煩わしくて、イライラすることもけっこうあるんだけど、
できなかったことが、いつの間にかできるようになってたり、一万歩以上も歩いても疲れなくなったり、目にハッキリ見えない進歩はとっても大きいと思うので、
腐らず、あきらめずに続けていこうと思う。


以前は、片麻痺という障害をどこか恥ずかしいと思ってて、
実際、まだ受け入れがたいところもあるんだが、致し方なしというか、自分のカラダとして認めるようになってきたと思う。


障害というより、ムリヤリ一種の個性として考えてる。

半分のカラダで半人半獣みたいに(笑)、ニンゲンの愚かさを身を持って体現してるような。

もしくはピーナにも言われたけど、神のプラン、与えられた試練として。



リハビリスト=修行者、苦行者だ。



何回も書いたような気がするけど、オレってホントにココロが弱い。

と思う。


脳出血になったのも、ビクビクドキドキすることで血圧の変動が大き過ぎたためだと思う。

今だに、チョットでもイヤなことがあると、血圧の変動がわかるというか、血流が早くなるというか、アタマが張ったような感じがすることがある。


取り越し苦労だとは思うけど、またブチ切れるんじゃないかと心配してしまう。

多分に自分で自分を追い込んでしまうのだ。


ガキの頃からそうだったかも。

例えば、悪いもん食って、腹を下したとする。

本当は大したことないんだが、もしかしたら、これはガンじゃないだろうか?と一回思っちゃうと、マジで調子が悪くなり、お腹も痛くなるようなもんだ。





退院当初は、まだ降圧剤を飲んでない朝早くや冬に風呂入るのに寒い思いをする時、ウンコする時などちょっと力むと、ああ、ヤベッ、キレるとドキドキして、ムダに血圧上げてたもんだ。

で、徹底的に塩分を避け、ネットで血圧を下げる食材を調べ、積極的に食べて、ツボや運動方法なども検索して、できる限り実践してた。

座禅を組んで、ココロを落ち着ける訓練をした。

まあ、今でも続けてるんだが、以前ほどの強迫観念はない。

血圧は110,120台〜70,80台で落ち着いてる。



たまに脳出血を含む脳卒中の再発の記事を見る。

やっぱり油断して、欲望のままに好きなものを食い、リハビリもやらなくなって、仕事等でストレスを溜め込み、ダラダラするようになった頃に再発するんだと思う。



俺の場合、長年の高血圧で血管が弱ってたのだ、きっと。

だから、強迫観念はないにしても、常に、健常者以上に意識して注意、実践、努力することは再発予防の上でも大事だと考えてる。

つづく

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ツールドフランスの選手の脚です。こんな脚をイメージしてウォーキングみたいな。


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リハビリウォーキングで菊池を歩く➃

菊池(花房)飛行場跡シリーズッ!これまた家のすぐ近くの木造格納庫基礎跡。

昭和二十年五月十三日空襲の際に受けた機銃掃射の大きな弾痕が残る。

前の道路を歩くたびに、弾痕を触ってシミジミ。

この掃射で死んだ人もいるだろうし、弾は誰か持って行ったのかも。


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このコンクリートの基礎の上に木造の大きな丸い屋根が付いてたんだなあ〜。

コケが付いてるけど、丈夫だから、今ある工場か何かが上手く利用してるみたい。

たまに群れをなして見学者が来るみたいだけど、終戦記念日は慰霊祭でもやるのかな?菊池戦争遺産だ。


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2017年07月23日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯029

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯029

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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病院のベッドで気づいたらモノが二重に見えてた…。




退院して2年が過ぎ、以前ほどヒドくはないけれど、まだ二重に見える。

メガネを、麻痺側の右の目の方を上げれば治るときもあるが、なんかヘンな人みたいで、ずっと上げてるわけにはいかないし。


前はずっと二重に見えてることでイライラしたり、頭痛くなったりもしたが、さすがに2年も経つと慣れたのかねぇ。





リハビリの一番最初に口や顔をいろいろ動かすこととともに、ネットで見た複視のリハビリってヤツを続けてきたから、その効果かなぁ。


鏡で見ると、最初の頃のように、顔の右側が極端に落ちてるようなことはなくなったしね。





考えてみれば、目のリハビリって、眼球をあちこち動かすだけだから、可動域もそんなになく、限界あるような気がしてきた。


ネットでも詳しい情報がない。

複視のリハビリは続けるけどさ。




そもそも複視って、どうして起こるのだろうか?




医者に聞いたこともなかったよ。

単純に麻痺の右側が落ちててズレてるからだと思ってたけど。


眼球運動をつかさどる神経や筋肉が麻痺して正常に働いてないから?かなあ。


片目で見ると普通なんだけどね。


でも、麻痺の右目だけで見るとちょっとボヤけて視力が落ちてるような。





そしてある日気づいた。

正常な左目を隠して右目一本で見ることで、右目の神経を鍛えられないだろうかと。

ドラッグストアで「貼る眼帯」というのを買ってきて、ウォーキングの間だけでも使ってみた。

麻痺の片目なんで、距離感がつかめなかったり、ハッキリモノが見えづらかったりしたけど。



この時期、汗でグチョグチョになって剥がれて、一回使ったら終わりでいちいち買うのもメンドーだ、
ということで、海賊みたいな黒いアイパッチを通販でゲット。


しょっちゅうつけてると、今度は何でもない左目が悪くなりそうなんで、ウォーキングの時か、一日二、三時間だけと決めた。



外ではジロジロ見られるけどね(笑)。


外した時チョー鮮明に見える。

新たに光を得た感じでパアッと。


わからんけど、複視もなんとか治るような気がする。



素人対策だけど、ちょっと続けてやってみよう。

11月の免許更新までまだまだ日があるし。




先日、ふと倒れた時のことを考えてた。

ブログの一回目を読んでもらえばわかると思うけど、ああ、血管キレたなと、意識しない感じで友人にガラケーでヘルプの電話かけたわけだが、
意外と冷静だったとともに、これで終わりだ、もういいやと全てを投げ出し、あきらめたような記憶がある。



それまではフィリピンでの事業のこと、
身内のこと、
家のこと、
将来のこと、
好きなピーナのこと、
もろもろ、いつも考えて、悩み抜いて、対策を練って準備してたわけだが、倒れた瞬間に全てを無にすることを受け入れたというか。


もっと言えば、死をも受け入れたというか。


ニンゲンの脳って危機に陥ると、活動をストップする覚悟が自然にできるんじゃないだろうかと思った。



死ぬまでは、死にたくないよ〜、復活するゾ〜、アレもやらなきゃ、コレもやらなきゃ、ココロ残りイッパイだよ〜って必死にもがくけど、一線を超えると、死に臨む覚悟ができるんじゃないかな。



それも苦しむんじゃなく、眠るように気持ちよく、まるでふくよかな母の胸に抱かれた赤ん坊のように。



意識が遠のいていく間に、フワフワっと小舟に揺られるような、自然とカラダを持ってかれるような気持ちよい感覚が確かにあったよ。


実際には布みたいのに包まれ救急車に乗せられるんだが(笑)。



光とともに天使が降りてきて天国に連れてってくれる「フランダースの犬」のネロとパトラッシュのように。←よくできてるよね〜。



で、生きてた!とわかって、だんだん回復してくると、また、あーしたい、こーしたい、って欲望と希望が湧いてくるし、悩みも通常に戻っていくんだ。



つまりは、悩みって、苦しみって、ニンゲンが、生きて活動してる証しなんだよ。

だから、悩みや苦しみで自殺するくらいバカなことはないよね。


人生8割9割は苦しんでるんだから、多分みんな。種類や重みはそれぞれ違うけどね。










最近、ウチの親父さんなんか一日の大半を寝て過ごす。


お袋さんは料理やパッチワークなどの趣味があり、ご近所、お友達とのベシャリ、お出かけも忙しそうにしてるけど、
これといった趣味もなく、他人とのコミュニケーションも全くと言っていいほど取らない親父さんはテレビ見てるか食ってるか寝てるかだけ。


たま〜にお袋さん乗せてクルマの運転。

こうなりゃ、もう脳も活動を止めてきてるんじゃないだろうか。

だから眠たくなるんじゃないか。

探究心も新たな発見も何もない。

80過ぎた高齢が理由だけじゃないようだ。



親不孝者のオイラは死期も近いんじゃないかと考えてるけど。



脳が活動を止め、死を受け入れる準備をしてるんじゃないかな。


ムスコのオレから見ると、悪いけど、ああいう風には絶対になりたくない。



死ぬ間際までリハビリしていたいし、本や音楽、アートには接していたいし、刺激を受けて、あれこれ悩み考えたい。

さらに、オンナを見てチンポ勃てたい。

実際に触りたい。

オレの脳出血は、まかり間違えば死んでもおかしくなかった。

それが、片麻痺でも、せっかく生き残ったのだから、第二の人生を得たのだから、意味がなくとも生き抜きたい、とことん苦悩したい、悩んで悩んで悩み抜いてやる、視床下部が壊死しちまった障害脳をフルに使い活動させたいと思うわけだ。

意味は後で考える。




リハビリストでした。

つづく







リハビリウォーキングで菊池を歩くB

菊池飛行場跡地、鉄骨格納庫基礎と燃料庫。

家から歩いて20分くらい。両方とも人の家の敷地内にある。

基礎は古い苔生した感じで味があるね。

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燃料庫は前は4か5棟あったが、持ち主が駐車場にしちゃったみたい。

個人的には、こういう遺物がなくなるのは惜しいが、これが歴史ってもんだよ。

仕方ない。

弾痕とか近くで見れない。

ソッと中に入れそうだけど、オレだけに見つかったらケーサツ呼ばれそう(笑)。



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2017年07月09日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯028

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯028


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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ども、リハビリストです。




梅雨でジメジメ、だんだん本格的に暑くなってきたね。

しかし、今年は豪雨で弟のいる福岡、俺の生誕地、大分(日田市)はタイヘンなことに。



ここ熊本県菊池市も一応警戒警報出たけど、そんなにたいしたことはない。





オレが帰ってから地震に豪雨(去年もだった)にと、自然が猛威を振るってるよね〜。


また、親に「アクマのお前が帰ってきたから自然のカミサマが怒った」って言われそう(笑)。


まっ、九州は2つの火山はあるし、夏は台風の通り道だし、自然とより密着してるからかも。




脳出血で感覚が敏感になったのか、雨が凄まじく地面に落ちる音や窓もビリビリ揺るがすカミナリの轟音など、自然の音がダイレクトに耳に入ってくる感じがしてオソロシイ時がある。


思えば、こんなに自然の息吹を感じたことはなかったなあ。



そういう意味では、倒れて都落ちして良かったのかもね。








汗かきかきリハビリウォーキングを続けてるためか、去年より暑さに強くなった気がする。


今は、部屋にあるクーラーも夜寝る時しか付けない。

普段は扇風機だけ。

30度超えても昼間はガマンというか、汗もそんなにかかないし、必要ない気がする。



夜はストレスなく快適に眠りに就きたいからスイッチオン。

どんなに暑くても日本じゃ長袖しか着ないんだが(理由はお分かりで)、出してるところはすでに真っ黒で、麻痺の右足の、日に焼けた装具の跡を見るとなんかうれしい。



それだけ歩いたんだなあとシミジミ。





ステッキを手にしたことでガンガン、ロングタイムウォーキングしてるわけで、歩くというニンゲンの基本的行動がムリなくできるようになってきているとは思うけど、
リハビリの効果よりも、ガンバって長距離歩いたことに満足してるような気がしてきた。



「ああ、今日も一万歩、二万歩突破。オレってスゲーなぁ。こんなにガンバってるのはオレくらいのもんだ。へへん」
というように。



まさに日本人的ガンバり。



ガンバることに意義を見いだし、その目的や効果はどーでもよくなる。


リハビリの目的はフツーに動けるようになることと麻痺のカラダでも健常者と変わらず何でもできるようになることなのにね。


途中のガンバりなんかどーでもいい、要は、全ては結果なのだよ!


天気が悪かったり、仕事や用事があったりで休んだ翌日なんて、意外と逆に調子が良かったりする。



麻痺の足もスッと前に出る。

膝も上に上がる。

やっぱ休む時は休まなきゃダメだね。



前、やってたボディビルでも休んでこそ筋肉は発達するのだ。

幸い、麻痺足の方の下半身が酷使してイタいということはまだないけど、リハビリやり過ぎてカラダ痛めちゃ本末転倒だよねー。





オレの場合、麻痺の右足ばかりでなく左足もほとんどの爪が、中に血豆みたいのができて抜け落ちて、また生えてきた。


倒れる以前にフツーに履いてたラバーソウルやドクターマーチンブーツが小さくなって履けなくなった(足が成長したのか?そんなことあるんかい?)。



足にはどこかしら赤かったり青かったりアザみたいのが常にできててイタい…。


やり過ぎだと思うけど、気付いたんだが、オレって、やっぱマゾヒストなんだ。


自分を過酷な状況に置いてこそキモチヨクなる。


もちろん片麻痺はイヤなんだが、そんなカラダでここまでヤッテルという自分を想像することに満足してるんだ。



確かに、車道で右側をウォーキングしてて、皆さん、クルマの中で涼しい顔して乗ってて、その脇を汗ダラダラでステッキ片手に必死に歩いてる自分に、なんか殉教者のようなナルシズム的なものを感じちゃったりしてるよ。



「なにあの人?カラダが不自由な障がい者なのに!すごいなぁ。かわいそうだね。ガンバってるね〜」
なんて皆さん見てるだろうなって思うのは、ホントにヤバイね。


途中で天気が崩れて、例えばびしょ濡れで顔にビシバシ雨粒が当たったりしてると、頭の中に「いざゆけ〜ツワモノ〜ニッポンダンジ〜」(出征兵士を送る歌ww)ってBGMが流れ、戦場に赴く兵士みたいな気分になる。


ヤバっ。




でもさあ、寝ててなんにもしないで死んじゃった神経の再生なんてできないと思うし、
リハビリはある程度苦しい思いはしないといけないのじゃないかね〜。


イヤ、違う、苦しいんじゃなく、楽しんでやるってことが大事だね。


それが脳にとってもイイことだというから。




日本人的に暗く悲壮感漂うってんじゃなく、汗かいて眉間にシワ寄せて苦しい表情をしてても、希望に満ちてるというか、最後に笑うというか。


そういう気の持ちようで実際に大きく動きも効果も違うからね。






ヒマがあればネットで脳出血、片麻痺情報を見てるオイラ。

麻痺の度合いも人によって違うんだけど、退院の時にオレはステージ3って聞いたけど、どんなんだろう?


検索すると、日本では、片麻痺の回復過程は6段階に分けて判断されてて、それは「ブルンストローム・リカバリー・ステージ」と言うんだってさ。


で、ステージ3ってのは、

「個々の筋肉だけを動かすことが出来ず、付随する筋肉まで一緒に動いてしまう。そのため、一定のパターン以外の運動が出来なくなってしまう。痙縮が最強の段階」
ってさ。


ドクターもリハビリスタッフも教えてくんなかったな。いや、教えてくれたけど忘れたのか。

このステージは、リハビリによって上がっていくのかな。

リハビリしないで放っておいたら、ステージは下がり、より悪化してしまうだろうな。


ということは定期的にチェックしないのだろうか。

聞いたことないな。



リハビリの成果と努力の結果を計る指針にもなるし、モチベーション維持にもなると思うけど。


退院2年じゃまだ早いか。

今は2級の障がい者手帳持ってるけど、もし回復したら、3級になったり、4級になったりするんだろうか。



それはいろいろ割引にならないから困るなあ(笑)。




ネットでは、上肢、手指、下肢と、各部位ごとに回復ステージとその検査方法について公開されてる。

これは定期的に自分でもやってみるかな。








退院して(まだ)2年。


前ほどひどくないが、相変わらず複視はある。

オレなりのリハビリは続けてるけどね。

メガネを、麻痺側の右の方を上げれば大丈夫なこともあるけど、いつも上げてるわけにはいかないし、
長く歩いて疲れたり、夜だったり、どこか店の中に入ったり、暗くて光が少ないと複視になってしまうようだ…
なんとかならんかのを〜は次回に。







リハビリウォーキングで菊池を歩くA


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家から歩いて数分、元ガソリン貯蔵庫と油倉庫。
菊地飛行場跡地に残る戦争遺跡だ。

非常に頑丈な作りで、当時は、米軍から隠れるために、上に土がかぶせてあった。

よく見りゃあちこち機銃掃射の痕が。

昭和二十年五月十三日の空襲の際に米軍艦載機から受けたものだという。


数十年前ほど前は家として人が住んでたらしいが、今はどっかの建設会社の倉庫に。

中を覗いてみたいけどなあ〜捨てられたクルマがまた歴史を感じるね。

油倉庫ってのは、その隣、民家の庭にある。

人んちだからそばで見られない。

燃料の油を入れてたのかね?

70年以上経ってもしっかり残ってるから、当時の建物は丈夫だったんだね。

こういう歴史を感じる遺物を訪ねるのがダイスキだ。




ここ菊池・花房台には県下最大の陸軍飛行場があった。


戦争末期には特攻隊の中継基地となり、空襲の標的になったんだって。

あちこちにちょこちょこ戦火を逃れた建造物が残ってる…。

つづく




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2017年06月17日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯027

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯027





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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ども、リハビリストです。
まずは暗〜い話から…。(^_^;)





ときどき今も、ココロだけじゃなく、カラダがデスペアな気分になる事がある。


もう退院して2年も経つってのに。



そんな時はドッキンドッキン、ウーイッウーイッ、ウンニャウンニャ、ザーザーっと耳鳴りも続く。


〜〜キレたところに近い左耳の方に聞こえるんだけど、耳鳴りの音って言葉に表すことができないね。



オモシロイ、オカシイ。


出血で壊死した細胞のおかげで血液の流れがダイレクトに聞こえるのかなあ?わからん〜〜。


何か重いモノがぶら下がってるか、重力が麻痺の右半身を下から引っ張って、動くんじゃねえと言ってる感じで、ベタッと寝てるのが楽になる。



これから先どうなるんだろう?
またキレるんじゃないか?
などと不安が頭をもたげてきて、カラダにつられて、だんだんココロにも暗雲が立ち込めてくる。


計測したら、血圧は高くはないんけど。


神経が死ぬってことはこんなものなんだ。

ホントやっかいだよね。





いろいろ調べると、出血による脳の萎縮などで精神的に不安定になる事が、何年経ってもあるという。


前にドクターに聞いたら、
「脳卒中の患者さんにけっこうあるみたいですね〜」
って、良いとも悪いとも言わなかったな。

なんだよ。



感情の起伏が異常に激しくなったり、性格が変わってしまったりする例もあるようだが、俺は多分それはないのでまだ良いけど。



そんな時でもコンチクショーエイヤッと頑張って外に出ることが多いのだが(そうすれば治る事が多い)、
あーあ、メンドクセ〜、もういいや、またブチ切れて死ねやポンコツ!と自暴自棄になることもある。




倒れる以前はなんでもできた自分と、今の片麻痺の不自由な自分とのギャップに悩み、卑屈になることが、カラダにも影響を及ぼしてるに違いないね。


俺なんか性格的に特にだ。


道を歩いてて避けてくれたり、
クルマもわざわざ止まってくれたり、
電車やバスで席を譲ってくれたり、
レストランやサ店でも、イスを引いてくれたり、
スプーンやフォークを用意してくれたり、
ドリンクバーから持ってきてくれたり、
ホントに感謝感激なんだが、過ぎると恥ずかしいやら、メーワクかけてる気分でミジメな気持ちになったり、片麻痺オヤジのココロはおセンチなんですぅ。

ったく。




まあ、でも、グチっても未来はないので、なんとかモチベ上げて動かんとね〜

こんな醜い自分でも、誰よりも自分が一番に好きにならないと。

大大大好きで愛さないと。

全てはそこから始まるのだよん。


おお、できるじゃねーか!
見ろよ、俺って実はスゲー!
片麻痺でもこんなにできるんだぜ!
カッケー!
なんてアタマ良いんだ!
って思った時のカラダの実に軽いことったら。


このブログ書きもモチベ維持に大きな役割を果たしてる。




読んでくれた人ありがとうございます!



先輩の管理人さんもありがとうございます!



今だに電話やチャットで励ましてくれるピーナたちも❣️ウヘヘヘー。








ふと思ったけど、俺のバヤイ、右半身麻痺で利き腕だった右手が使えなくなったのだけど、なんかそーいうことで脳に変化ってあるのかなあ。


倒れるまでほぼ右手を使っていたわけなんだが。



脳が右優先から左優先にシフトするとか。

書いたり、
キー打ったり、
食べたり、
モノ取ったり持ったり、
オ○ニーしたり、
全て左手一本でほぼOKになったんだが(オ○ニーはツボの刺激がイマイチで不満 爆)。


ニンゲンの脳はいくつになっても柔らかく都合の良いように変化するっていうから、もう2年も経つと左手一本で固まってきたかもね。


一方で右手が使わない廃手としてますます固まってきてるようで悲しいけどね。


補手でもいいから、なるべく使うようにはしてるけど。

親指と人差し指は少し動くけど、あとはウンともスンとも。

ドアノブをひねることはできなくても最初に右手を差し出したり、
顔を洗うとき両手を使ったり、
左手で書くときノート等を抑えたり、
ペットボトルを右手で持たせて開けたり(指がカッチカチになってる時があって開くのに苦労するけど)、
右手も忘れず使う努力はしてるつもりだ。





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あ、そうそう。


いつものリハビリウォーキングに、最近、「ナンバ歩き」を取り入れてる。

日本古来の歩き方で絵巻物などに書かれてるように昔の人はそうだった、というけど真偽のほどはわからんし、どーでもいい。


ある日アタマに浮かんでやってみることにした。

基本、右手と右脚、左手と左脚をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方で、腰をひねらない。

音を立てずにソッと歩くニンジャ歩きみたいだ。

左手はポケットに引っかけて、麻痺の右手はそのままブランブランで、右脚を出したときカラダも右を出す、
左脚を出したときカラダも左を出す感じで歩く。

リハビリに何の効果があるの?って言われれば、まったくわからないけど、疲れない(と思う)、体幹が中心になってカラダが安定する、ステッキがいらない。

最初は慣れなくて、あれっ、どっちだっけ?なんてなったけど。


ひねらずカラダの中心を軸にして脚を出すからステッキは使いにくい、ってか邪魔。

左右に曲がるときも、重心が左や右に傾かないから、フラフラせずに曲がれる。

周りから見ると、何だあれ、へ〜んなの、ってなるかもだが、片麻痺にナンバ歩きは合ってるような気がするよ。



体幹を鍛える意味でも効果あると考えてる。

課題として、もっと下半身の軸、重点を下げるようにしたい。

もっとニンジャっぽく這うように移動して、上半身はスッと伸びて動かずに。


例えばケガとかでカラダに不具合があると、ニンゲンは自然とナンバ歩きになってるんじゃ。

腰をひねる行為は不自然だからだ。


だんだんラクになってきて、今はウォーキングの半分くらいはナンバ歩きをしている。


健康にも良いというし。


デューク更家さんの歩きに挑戦してみようと思ったこともあったけど、ちょっとまだ難しいね。



とりあえずはナンバ歩きを極めてみよう。







で、歩くとき、自然と麻痺の右脚の膝がわずかだが曲がるようになってきた。

自分の意思で後ろに曲げて上げることはできないが、ストレス無く歩けるように自然と膝が曲がってるのだ。

前はピンと突っ張って、ただ右脚を前から後ろに移動するだけでヒジョーに歩きづらかったが。



俺も意識して右側にちょい体重をかけて膝を曲げるようにしている。

まず何より車イスだったのが一万歩以上、時には二万歩、三万歩歩けるようになったのだから大きな進歩だろう。



このリハビリは、もうハッキリと目に見えての進歩はないと思う。

でも、続ければ1ミリでも、0.5ミリでも進歩は絶対にある。


ある日気付けばできるようになってたみたいに。



だから誰が、ドクターでも、なんと言おうと、死ぬまであきらめないよ、俺は!







リハビリウォーキングで菊池を歩く@

家から10分くらいのところある、「いちいがし」「天神さん」と呼ばれるというデカいブナの木。
樹齢数百年。
幹の周りは10メートルくらいあるかも。
根がヘビみたくニョロニョロなっててちょっと気持ち悪し。
一応入り口には腐った看板があるが、汚ねえ手すりのある細い階段で上るのはいいが、片麻痺に下りは怖かった。


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明治の頃は近くに小学校があって根元は遊び場だったらしいけど、今は滅多に人も来ず不気味。

天然記念物かな。


つづく

白本朋求facebook
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2017年06月03日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯026

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯026


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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ども、リハビリストです。



24時間なんでも全てがリハビリ。

寝るときは壊れた脳とカラダを休息、再生させるためのリハビリ。

食事はカラダを創り維持するリハビリ。

読書や音楽・映画鑑賞はもちろん脳のリハビリ。

ツライことも、これもリハビリだ!と考えれば、躊躇せずできる気がする。



大きな問題も受け止めることができる気がする。

だからオレは脳出血で倒れて片麻痺の障がい者になったときからリハビリストになりました。ヨロシクー。






先日、関東の友人が「いっぱい歩いてねハート️」とステッキを送ってくれた。


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登山やトレッキングで使うヤツだから杖じゃなくステッキ(笑)。

左右あって、ジェラルミンでできたT字型の軽くていいヤツ。

先っぽにギャップを吸収するスプリングが入ってる。



病院では、車イスを卒業してから、先がクモみたいになった重いステッキを使っていたが、退院してあえて杖は使ってなかった。

リハビリスタッフも「白本さんは必要ないっしょ〜」って言ってたし。




どんなに歩きづらくても、麻痺の右脚が引っかかって、ヨロケても、転びそうになっても、いらねーよと使わなかった。

実家に親父さんの使ってない高級杖があったが、持つところがT字型ではなくストレートで、使って歩くと、ホントに腰の曲がったおじいちゃんが使うみたいで恥ずかしかったし。




せっかくプレゼントしていただいたので使ってみた。……歩きやすい。

なんとスゲー歩きやすい。

カラダが安定するのだ。


これまで路上にギャップがあったりすると、特に麻痺の右側が上がってたりすると、左側に倒れそうだったのが、ステッキがあるから、苦労して麻痺の右脚を上げなくてもいいし。


ステッキに頼ってカラダをヘーキに斜めにできる。

足腰の疲れも2割程度軽減できるらしい。

その分持つ手が疲れるけどね。

片手全部ふさがってしまうけど、ストラップが付いてて、離せば左手が使えるし。



ただ、一回ステッキを使って楽をすると、脳がそれを覚えてしまい、ステッキ無しでは歩きづらくなると聞いたことがある。

まあ、なるべく頼らず歩こうとは思うけど。



あるリハビリの本で、
目が悪いならメガネをかけるのと同じで、脚に麻痺があるなら、装具はもとより、ステッキを使うのが当たり前田のクラッカーで、スムーズな歩行に結びつかないので、必ず使いましょう、
と書いてあるのを読んだ。



定期健診の時、ドクターに話したら、

「カラダが安定するでしょ。これからも使いましょう」だって。

オイ、オイ、必要ないでしょ、って言ったじゃんかー。

あ、言ったのリハビリスタッフか。




まあ、そんなこんなで、これからステッキを使うことにしたよ。

3本脚になった。

退院して2年、無理くりでも使わなかったことが、上半身を真っ直ぐにし、体幹を意識して鍛えることにつながったんじゃないだろうかと良い方向で思ってるからいい。


で、ここんとこ歩き過ぎ(と思う)。

休まなきゃ。


疲れてもカラダが安定するから、ついつい遠くまで行ってしまう。

先週は、夕方から夜にかけて、だいたい2万歩以上、15キロ弱くらいを、ほぼ毎日歩き続けてしまったよ。

もうここ熊本県菊池市泗水町は歩いてないところはないくらい歩きつくしたね。

どんなに小さな道でも、オフロードの山道でも。

私道だとわからず人の家に入っちまったこともあったし。



今までで、麻痺の右脚の爪が全部はがれてまた生えて一巡したな。

両脚とも血豆みたいのはしょっちゅう。

麻痺じゃない左脚は、特に親指の付け根が赤くハれてイタイよー。

脚の傷の出来具合いによっても、歩き方の問題が見えてくる。

やっぱり、まだまだ右脚に負担がかかってるんだな。




天気が悪かったり、仕事など用事があったりすると、もちろん外を歩けず部屋にこもってるんだが、血圧も若干上がったり、ストレスになってるような気がする。

変なの。

ウォーキング中毒だよね。



事前にグーグルマップでいろいろ見て、今日はここまで行こう、ここでメシでも食うか、などとプラン、実際歩いてナマの景色を見ると、変に感動するものだ。




昔から家にずっとこもってるのがイヤだった。

こもる時はこもるんだが、一回出るとなかなか帰ってこなかったな。


ガキの頃から親父さんの仕事で頻繁に引っ越していたせいか、一つのところに長くいるってことが好きじゃない。

だから東京で家を買ったのは全くの失敗だった。

また地元愛というものもまったくない。



できればそう遠くない将来、日本を脱出したいと常々考えてる。

他国の国籍でもゲットしたいね。

非国民だし(笑)。フィリピンじゃなくとも。





話が飛躍したけど、ここ菊池市は、平安、鎌倉、室町と約500年間、菊池家で繁栄した。

九州における政治、文化の中心的な位置を占めてたというのだ。

だからけっこうあちこちに史跡等の文化財が残されてる。

中心地である温泉街は、週末でもあまり人がいなく、さびれすぎるくらいさびれてるけどね。



道の駅で「菊池市の文化財」(菊池市教育委員会発行)という冊子を買った。

それに162もの有形無形文化財、史跡等が載ってる。

20キロ以内のところは歩いて、それ以上はバスやクルマで、ヒマを見つけて訪れることにしている。


なんかよくいる歴史好き探検好きのジジイみたいだけど(実際ジジイなんだが)、義務教育の頃から歴史は好きだったし、
例えば、何百年、何千年も前に、今いる同じとこに、同じように人がいたと思うとマジ感動感激じゃね?


家から5キロくらいのところに、6世紀くらいに作られたデッカい石の古墳と横穴の墓の跡が残ってるんだが、
メッタに人もクルマも通らないところで、草ボウボウで整備もされてないけど、最初に見たときはめっちゃコーフンしたね〜。


6世紀にここにも人がいて文化文明があったんだよ!



人類の歴史だね〜シミジミ…。


その近くに古池城跡地ってのがあるんだが、登り口から城跡まで手すりもない108段の階段があって、片麻痺のカラダでは行きたくても転げ落ちそうで怖くて躊躇してたんだが、
先日、熊本に住む友人が来てくれてヘルプされながらゆっくり登った。


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狭い安定しない階段で健常者でも危なそうだけど、腰をつかまれながらも制覇できた。

上は簡単な石の史跡があるだけだけど、よく見りゃとっても古いモノで、妙に感動したものだ。


今度はヘルプされずに独りで登るのが目標だな。

というように史跡が点在してるんだが、ほとんど予算もないのだろうけど、ほったらかしの荒れ放題。


大昔に人がいたってことに興味ないのかね〜マニアじゃない限りフツー興味ないか。

友人もシラけてたしね。ははは。

俺はいろいろ探索したいけどな。気づけば、こうして苦労して行くことも大きなリハビリになってるよね。






そう、そう。


家のある周辺は、第二次大戦中、陸軍飛行学校の飛行場だったんだよねー。

すぐ近くに、大きい給水塔や門、弾薬庫、油倉庫、格納庫基礎などの施設が70年以上経っても残されてる。


何気ない田舎の風景に溶け込んでる。


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最初の頃に全部見て回ったけど、コンクリートの基礎部分に米軍が弾を撃ち込んだ跡が残ってたりするんだ。


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歩いて通るたびに触って、ブォーン、ダンダンダンダン、うわーっ、ぎゃーっ…と想像してる。


去年の熊本地震の際、避難したときに、ご近所のおばあちゃんが
「ここも空襲があっての、少年兵がダンダン撃たれてバラバラになって死んだのを見たんじゃ。それに比べたら地震なんて全然たいしたことねえべ」
と話してたっけ。



何もないド田舎に見えるけど、歴史があるんだよね。

生まれて死んで文明文化があったんだよね。





障がい者になって帰ってきてしまったけど、せっかくこういう歴史がある場所なんだから、いる間はできる限り訪れて知りたいと思うのだ。


どんなところにいても、何事も探究心や興味、発見を忘れてはニンゲン終わりだと思うし、なによりも楽しまなきゃね。





あ、そうだ。最近、ナンバ歩きを実践してる。


疲れないし、ステッキを使わなくても良い。


それは次回に。


つづく

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2017年05月07日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯025

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯025





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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今年のゴールデンウィークはなんかさみしかったよ…。

去年は身内、友人、先輩、後輩などがわざわざこんなド田舎にもお見舞いに来てくれ、忙しく楽しく過ごしたもんだが、

今年は何もなく、福岡に住む弟も「予定があるから」と冷たく、来てくれなかった。



花粉症?もヒドかったし。

まあ、ぜんぜんたいしたことじゃないんだが、一線から退いて、すみっこに追いやられ、だんだん遠く忘れられていくような気がして…。

みみっちい片麻痺オヤジだこと〜ったく。





昔っから、解決もないのにウジウジ悩み考える性格だったけど、やっぱり片麻痺の障害者になっちまったことは大きいよね〜。


退院して2年、今だに、あーしてたら、こーしてたらと暗〜くなることが時たま。

自由に動けるカラダがどんなにうらやましいことか。

遅くて不便なだけで今でも充分動けるんだけどね。





ネットで、けっこうマメに脳卒中、脳出血、片麻痺について情報に接してるんだが、あるサイトで脳卒中による性格の変化について見た。


ウツ病になる確率が高いのは前に知ったけど、感情の起伏が激しくなり、簡単に激昂(ひどく怒ること)する例がよくあるという。



俺はどうだろうか。


自分じゃわからないけど、障害者になって、逆に人にやさしくなったんじゃないかと勝手に思ってるが。

でも、身内だから安心するのか、日ごろ接してて、親に対してムカーッとすることがたびたびあるのは確かだ。


顔が火照って明らかに血圧が高くなってるのがわかるほど。


特に親父さんの行動や仕草、考えに対して。


実は、ガキの頃から、親父さんを嫌ってたんだが、
世間体を異常に気にする内弁慶の態度や熊本地震の時のオドオドしたムダな動き、相変わらずドケチで欲深い考え、口を開けばグチになるしゃべり方など(言い過ぎだ!)、ムカつくことはいっぱいだ。



お袋さんは明るくて優しいんだが、くだらないワイドショーなんかジッと見てて吐き捨てるように言う言葉や政治についての一言などにカッとすることはある。


「わかってねーな、どんだけ奴隷で小市民なんだ」と勝手に。


かといって俺がわかってるというわけではないんだがね。


だからといって声に出して反論したり、けなしたりすることは決してないんだが、もしかしたら態度に出てるかもしれない。


キライな親父さんの性格もちゃんと遺伝されてると思うし、もしかしたら自分のイヤなところを見てる思いかもしんない。


ストレスになってもしょうがない。

そんなこんなで、俺に関しては、あまり性格の変化はないだろうと思う。






ああ、そうだ。


弟に饒舌になったと言われたことがある。

確かに話が乗ると麻痺でしゃべりにくくてもペラペラ、まさに口角泡を飛ばすことがある。

他人がいようともだんだん声もデカくなって。

意識しないで次から次へと言葉が浮かんでくる感じ。

ん〜、これが脳出血の影響なのかどうかはわからない。





俺はいつまでもガキだからかもしれないが、誰でも歳取れば老人になるけど、老人を象徴するモノがキライ。

昔から。


もう好奇心や新しい発見もなくし、学ぶこともせずに、ただ毎日をダラダラ寝転んでテレビなぞを見ながら生きてる。

つまらないフツーの日常でもとらえ方によっては新しい発見はいくらでもあるものだし、ニンゲンは死ぬまで、死ぬ間際まで学ぶものだと思う。



テレビでも、ラジオでも、映画でも、本でも、家でも外でも、どこにいても、何してても、学べることは山ほどあるし、興味をそそられることは尽きることがないものだよ。

そういう見方を養わないとね。



まあ、理想だけど、そういう態度でツマンナイ日常を送りましょう。





あと、よく笑うようになったなと思う。

ニンゲン、ツラいけりゃツラいほど、よく笑うという。

もうエエじゃないか、どうにでもなれって感じで。


いつもノーテンキでバカみたいに明るいお袋さんの遺伝子かも。

明るいお袋さんと暗い親父さんの遺伝子でちょうどいいかもね。



ツラい時ほど笑えるというのはニンゲンの成長の証しだよ。

笑う門にはそのうち福来たるだよね。

笑わなきゃやってらんねーよっとのもあるけど、どんな状況環境に置かれても、怒らず不平不満を言わず、バカみたいに笑っていたいねー。

笑って死にたいねー。

宮沢賢治?かよっ!

脳をキモチヨクさせるのはリハビリに多大な効果をもたらすらしいので、笑うことはとても良いことだ。



例えば、なんでも苦しい、ツラい時、俺は「これもリハビリだ」と思うようにしてる。

ちゃんとしたリハビリの時だけでなく、日常生活でも。

そうすれば何でも逃げずにできそうな気がするからね。


思い悩むことでも、「これも脳のリハビリだ」と考えると対処法も見つかってくるもんだ。

せっかくこういうカラダに、障害者になったのだから、なんでも来やがれ、ぜーんぶリハビリだぜっ!、なのだ。





障害を楽しむという発想はなかったことだと思う。


パラリンピックの選手や欧米に例があると思うけど、日本はどうしても健常者の陰に隠れて生きるような暗いイメージがある。

これからは障害は障「害」じゃなく個性だと考えなきゃね。

誰でも障害者になる可能性があるんだから。







と、こうして片手でキーを打ってるけど、あぐらをかいて1時間も同じ姿勢で座ってるとツラくなってくる。

麻痺の右半身が重くなってくるのだ。

地球の重力をヒシヒシと感じる。


そして、右側に傾いてくる。

楽だろうと思って右膝を立てても違和感があるし、安定しない。

だから30分に1回くらいは横になってカラダを伸ばす。


前に病院のリハビリスタッフが、片麻痺だから疲れも倍だと言った。

1万歩歩くと、疲れは2万歩歩いたのと一緒。


ナルホド。


でも、その分動かないと消費カロリーは通常の半分。脂肪を取るのが大変なわけだ。


だからツラかろうと疲れようとなるべく積極的に動いて外に出る。



出なきゃ。


つづく

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2017年04月15日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯024

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯024


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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人生には、人それぞれ、いろんな転機となった大きな出会いや出来事があると思う。

俺の場合……。



ものごころついてから思いつくのは、
高校で担任のセンセイが右翼で、自衛隊に体験入学したり、宣伝カー乗ったり、愛国教育を受け、
三島由紀夫の美学と文学を知ったこと(三島センセイがウヨクとは遠い存在であることがわかったけど)

→逆に大学は左翼で、いわゆる過激派の連中と密になり、サヨクの連中のくだらなさやカルトなど、社会を学んだこと

→フィリピンで約5年生活し、たくさんのフィリピン人、とくにピーナと知り合ったこと(これは今も引きずってるね〜)

→そして、もちろん脳出血となり右半身片麻痺の障害者となったこと

→加えて1年前の熊本(大)地震かなぁ。


熊本地震の特別寄稿はこちら。




初めて経験した去年の昨日と明日の2回の震度7。

続く余震13万回!!!!



年老いた両親は、
「悪いことしたお前が帰ってきたからバチが当たった。地の神様が怒ったんじゃ」
と言ったけど(笑)。

病院も屋上の貯水槽やスプリンクラーが壊れ、大変だったようだし、今だに屋根にビニールシートをかけてる家もチラホラ。


地震が、なにか特別人生の転機になったということはないけれど、災害というのはいきなり突然やってくるということで、

いつどうなっても、究極死んでもいいように、毎日しっかりと日常を送ろうと考えたよね。


たまにはグダグダ、ムダに過ごしてもいいから、それもしっかり楽しむということだ。



なんか今週末、アメリカと北朝鮮がヤバそうだけど、

例え、どんなことになろうとも、惑わされずに、しっかりと日常を送ること、リハビリを続けることだよ。


人は当事者じゃなきゃ、どこか非日常というものにワクワクするところがあると思う。

アメリカと北朝鮮の件も、核は困るけど、もし北朝鮮が倒れて、いろいろ明るみになると…と考えるとちょい興味深い。←オイオイ。





地震も今考えると、人生で良い経験だと思う。

身内に死者が出たとか、そんなに不幸な事態はなかったからね。

障害者の災害対策という面でも勉強させてもらった。

まだまだ余震は続くと思うけど。







とにかく片麻痺は災害に弱いー。

サッと早く動けないし、興奮で血圧も上がる。

トラウマになったのか、震度1くらいの弱いものでも、痲痺の右手がキュッと上がり、ビクッとなるよ。


他のとこでも地震速報出れば不安になる。

誰でも地震は身が震えるほどコワイ。

要はその後だな。


いかに的確な判断をし、行動できるか、片麻痺のカラダで自分と身内を守れるか。

足手まといになるなんて考えなくてよい。

できることをやるんだ。

こんな時ニンゲンの生物としての価値って出てくるよね。

俺の今の目標は、「生き抜くこと」だから地震なんぞで死んでらんねーし。




ここはクソ田舎で周りに大きい建物等がないので、地面が割れない限り、外に出ても大丈夫だろう。

俺の部屋は二階なので、素早く右足に装具を付け、階段を降りなきゃならない。

地震の経験で部屋の前とか障害物となりそうなのは片付けたけど、親にあれほど言ってもまだ階段にモノを置く。

人によっては年取るとさらに欲深くなるんだね。

使わねえのに処分できない。

もう80を過ぎたのに終活ってのができない。

コワイ、コワイ言ってるくせに準備対策ができない。


あーヤダヤダ。



もうしょうがないとしても巻き添えは食いたくねえしなあ…。

やっぱり、すべてはいかに冷静になれるかだね。

後でもいいから。




もともと緊張しやすい性格で血圧も上がりやすいので、災害の時にまた血管ブチ切れたら、シャレになんねーし。

座禅とか呼吸法とかヨガとか、ココロを落ち着けるリハビリ、訓練は続けないとだな。








昨日から地元のテレビでも特集やってる。

「あの日を忘れない」「復興ガンバレ」などが主旨だけど、ホントはイヤなことはサッサと忘れちまった方がいいよね。

明日のためにも。

災害の映像を流すことで、逆に精神的にマイッてしまう人もいるんじゃないのかなあ。

それに衝撃的な悲しい体験は人に言われなくても、忘れようたって忘れられないよ。


東日本大震災もそうだけど、
精神的なもの(それはそれで大事だけど)を強調するあまり、仮設住宅や生活支援、復興工事、ボランティア、原発など、災害の、リアリティな本質的問題が見えにくくなってきているような気がするよ。



あと災害の時はコミュニケーションも大事になってくるね。

近辺の人と一緒に避難することでお互い助け合えるし、話すことで独りでいるより精神的に落ち着き、冷静な目を持てるってもんだ。


隣に、同じ片麻痺のオッサン(彼は左)がいるので、なんか親近感もあるし、競争するもんじゃないけど、コイツには負けねえゾってなるしね(笑)。


ネットも一緒だ。

地震の時、主人公になった気分でSNSにいっぱい書き込んだけど、安否の確認から具体的アドバイスまで、たくさんのコメントいただいた。

マジでうれしかったし助けられた。

とくにフィリピンからのピーナのメッセがうれしかった。

涙出た。物資を送ってくれた方々もいた。



本当にありがとうございます!!






日本では、ちょっとしたメーワクなデマ流言はあっても、今では、関東大震災の時のようなヒドい事態はなくなった。

すみずみまでメディアが入り込んでることと、
ネットなどの連絡手段が発達してることもあるが、
やっぱり海外に比べて社会的に秩序が保たれているということが大きいだろう。



しかし、その一方で、個人としての独立心やパワー、つまり何が何でも生き抜くという力が弱くなってるんじゃないだろうか。


大昔から災害の多い列島で自然の前にしかたないとあきらめてしまうという国民性があるのかな。

社会的人格は素晴らしいと思うけど、個人的人格を社会の前で押さえてしまう。


例えば仮設住宅で孤独死してしまうのは、そういったことに起因するところもあると思う。

高齢だろうけど、何はともあれとりあえず生きれたのだから、図太く人にメーワクかけても、押しのけても、死ぬまで生きるようなパワーがないとね。



……と、熊本(大)地震の一周年に思ったのでした。


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つづく


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2017年04月10日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯023

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯023


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。






リハビリ、リハビリテーションの和訳は「機能回復」なんだけど、
最近は、脳出血で動かなくなった右の手足をなんとか元に戻すと考えるのではなく、今のままで、不自由なカラダでも、どのように前みたく生活していくかの訓練だと考えられるようになった。



左手一本でも書いたり、
モノを取ったりつかんだり、
いろいろ動かしたり、
メインが左足一本でも長距離歩いたり、
走ったり…。


再起不能のあきらめじゃないから、もちろん夢と希望は捨てないよ。

こう考えた方が効果があるということだ。




俺には右手がダメでもまだ左手がある。


ニンゲンの代替え機能はスンゴイよ!
工夫訓練すれば左手一本でもなんとかなるのだ。
やってやれないことはない!


片麻痺のリハビリには、かなり時間をかけないとダメだろうし(多分一生)、あきらめずに辛抱強く続けないといけない。


死んじゃった脳細胞に代わって別の細胞が動くようになるまでどのくらいの時間がかかるのかもわからないし、もしかしたら動かないかもしれない。


だから片麻痺を受け入れた上でのリハビリというように視点を変えるのだ。

左手一本でも料理できたり、健常者よりも長距離歩けたり、何かできるようになった時の喜びも大きいしね。


だから障害というよりも個性だね。

片マヒという個性。

白本・片マヒ・朋求
だぜ。


ブザマだけど。(≧∇≦)


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脳出血は、出血してしまった部位や範囲によって麻痺の度合いも全然違う。

年齢や男か女かによっても違うらしい。

俺みたくけっこう重い麻痺(ステージ3だから重いと思うけど…)の人もいれば、軽い麻痺で済んだ人もいるし、

一方、高次脳機能障害や失語症になった人もいれば、そっちは比較的大丈夫だった人もいる。


千差万別なのだ。


俺も当初は、麻痺の右側は認知機能が危うかったし、言葉が出てこなかったこと(俺自身は右顔面が落ちてるためと思ってたけど)もあった。

ニンゲンの脳なんて、カラダのほんの一部。その一部の、またまた小さな小さな一部が出血しただけで、手足という大きな一部が動かなくなる。

不思議なものだね。





入院当初から、性格なのか、いろいろ妄想したり、気を使ったり、わからなくても新聞や本を眺めてたり、左手で文字を書いたり、病院内を隅から隅までウロウロしてたことが、うまい具合に脳に刺激を与え、リハビリになってたんだろうなぁ。


今でも、例えばフェイスブックなどSNSは、脳のリハビリだと思っていっぱい考えて書くことにしている。

脳のリハビリは、とにかくアレコレ考えること。

そして、積極的に恐れず可能な限り外に出て、見る、聞く、触る、感じる、匂うと五感を働かせること。

他人とコミュニケーションを取ること。

だな。



障害者になったからと言って閉じこもってばかりいたら、もう終わりだよ。


あっ、そうそう。


本を読むこと=考えることなので読書もとっても良いリハビリだと思ってる。







なるべく毎日、1万2000歩以上歩いてるが、今でも、ウォーキングも終盤になってくると、グダグダというか、カラダがスゲー重くなってくることがある。


「あーあ、いつまでたってもヒザは曲がんねえし、麻痺は良くなんねえなあ」


と軽く絶望するが、汗もかいて血管も開いて緊張もなくなるので、それだけリラックスして、麻痺側のカラダが下に落ちて重く感じるということだろうね。


血圧も110〜70代にまで下がるし。



しかし、入院当初、車イスだったのが、杖になり、そして、杖もいらなくなり、今では、ゆっくりだけど3万歩近くまで歩くことができるようになった。

ニンゲンやればできるもんだね〜。

やっぱりリハビリの効果あり!だ。


前にリハビリスタッフに聞いたが、特に下半身は、せめて立って歩きたいという意思が強いためか、皆さん、効果が目に見えてあるという。



そして、プラトーという回復停滞期があるそうだ。


確かに、こんだけ歩いてるのに、まだ麻痺の足指がキュッと内側に丸まってしまうこともある。

なぜだかわかんないけど。


また足の付け根から指先まで一本棒を通したようにガチガチこわばってしまうこともある。

そんなときは立ち止まって休憩すると大丈夫になるけどね。



リハビリスタッフに言わせりゃ脳から変な信号が出てるからだという。


へえ、そんなもんなのか?


だけど、解決方法は慣れしかないだろうと思う。


しつこく何回も正常に動かすことで、変な信号は間違いだよと脳に教えるのだ。

これも根気がいるけどね。




これから将来、もしかしたら脳を開けて手術で代替えの細胞を動かすことができるようになるかもしれない。

もしくはマシーンが発達して脳からの命令信号を受けて麻痺の手足を難なく動かすことができるようになるかもしれない。

こういうのはネットで見たことあるけど、多分高くて大層なモノで、もっと簡素でペースメーカーみたいなカラダに埋め込むようなモノがいい。


リハビリでも一概皆同じではなく、個人個人の麻痺の症状によって個別のリハビリができるようになるかも。

俺が生きてる間にできるかどうかわからないけど、脳出血を含む脳卒中は三大成人病で国民病だし、若い世代がこの病気になってしまったときに、こんなに苦労しなくても良いようになってほしいものだ。

医学の進歩を待ちたい。←オトナだ。へへへ。


俺のリハビリ論?でした。






先日、ある脳卒中に関する資料をネットで見たら、脳出血と脳梗塞は中高年世代の男が最も多くかかり、高齢化とともに女の比率が増し、やがて逆転していくという。


中高年世代は高血圧でストレスも多いからか?

で、県別で見ると熊本県は脳卒中発生率全国ベスト10内に入ってる。

九州の県はけっこう入ってて、やっぱりラーメンでも、漬け物でも、ソルティな食べ物を好む傾向があるからか?


海外ではどうなんだろう?

片麻痺のゲージンって見たことないなあ。


花粉症もやっと落ち着いてきたが、もうすぐ熊本(大)地震一周年だよ。

つづく

白本朋求facebook
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2017年03月20日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯022

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯022

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。




もうすぐ退院して二年になる。
倒れてから三年かあ。


人生はホントに早いね。


時間がないから、やりたいことは、できる限りやっとかないとね〜。

ムーミンかなんかのアニメで、「人は結局死ぬから、全てがムダじゃ、ムダじゃ」といってる哲学者みたいなキャラが出てきたと思うけど、
確かに、人は何かを成し遂げても結局は死んでしまう。

でも、ムダでもなんでも、死ぬまで何かをやることが生きることなのだね。


当たり前田のクラッカーだけどさ。

だからオイラのリハビリも、死ぬ間際までやるもんだと思ってる。

フツーに動くという目標をも超えて。




最近、どんな動き、日常のことでも、これもリハビリだと考えるようになった。

そうすると二の足を踏んだり、臆したりすることがないのだ。

時には障がい者じゃないとき以上に動いてるかもしれないから不思議だ。


でも、こんなポジティブ?なオレでも、今だに、時たまデプレッション、グルーミィになることがある。


あーあ、なんでこんなカラダになっちまったんだろ…
あの時ああしてれば…
この先どーなるんだろ…
このカラダじゃフィリピン戻れないよ、好きな子にも会えないよ…
オレってなんなんだ…オレの人生って…絶望だよ…死にたい…

ってな風に。



それだけ障がい者になった衝撃が大きかったことと(自由に動いてたんだから当然だろう)、あとは性格と遺伝だろうなあ。

しかし、どんなに落ち込んでても、好きなピーナちゃんの声を聞いたり、楽しいことがあったり、ワクワクするようなことが起こると、コロッと、雲が吹き飛んでお日様が出てきたようにココロ変わりできるみたい。


良くも悪しくも、このノーテンキさ、このKYなバカさ加減がオレを救ってると思う。


今まで他人にメーワクかけようが何しようが。

特に、今は電話やチャットで好きな子とやり取りするとスゲー元気になるしポジティブになれる。

オトコって単純、単細胞だよなあ〜すぐアソコふくらむし。

イヤ、昔みたいにおっきくなんないから悲しい(笑)。

とにかく、いつまでもコドモだね。


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天気が悪かったり、用事があったり、仕事だったりする時以外は、ほぼ毎日一万歩以上を目標にしてウォーキングしてるわけだが、前回も書いたけどオレも本格的花粉症デビューみたい。

いきなりアレルギーになることもあるんだね。



オカシイのが鼻水でも麻痺側の右だけダラダラ垂れてくるということだ。

どーいうことになってんだろう。

左の鼻は乾いてたりするから不思議だ。

でも、花粉症には負けないぜ。どんなに鼻水ダラダラ、ハンパなく目がかゆくても歩きまくるよ〜ん。




ウォーキングも、アホみたく、ただ漫然と歩いてるわけぢゃない。

途中でいろいろリハビリ動作も加えてる。


まずは、左手で左側に何かを支えて、麻痺の右足一本で立ち、左足を前後にブラブラさせる。

次に右足一本の片足立ちを1分くらい。


まだ何かにつかまらないとムリなんだが、このバランス運動も良いリハビリになると思う。

そして、後ろ手にしてタンデム歩行とV字歩行を1キロぐらい。

タンデム歩行はいわゆるモデル歩き。

真ん中に線を引いたように見て、それに沿って歩くのだ。


片麻痺だとバランスも悪いし、どーしても麻痺の足が落ちてるため、引っかからないように外側にブン回し歩きになってしまう。

それが固まってしまうのがイヤで補正する目的。

V字歩行は逆に外側に足を出す。

で、なるべくヒザを曲げる。

曲がんなくても、曲げるイメージで。

いつかは曲がると信じて。



次は後ろ歩き。

麻痺の右側に顔を向け後ろを見て後ろに歩く。

これもバランスを整えることと、高次脳機能障害で失われた右側の注意力を高めるリハビリだ。

最初はバランス崩れて転びそうで数歩もできなかった。

できないことは、逆にとっても良いリハビリなのだ。

やっと500歩くらいはできるようになった。


あと、麻痺の右足をなるべく上に挙げて歩いたり、大股に歩いたり、ジャンプしたり、片足ケンケンしたり。

歩道の端や階段など台になってるとこで、乗ったり降りたりも。

乗るのはわけないが降りるのが力が入らないためギコチナイ。

足の後ろ側に力が入らないのだろう。




フツーに歩いてる分には大丈夫だけど、こうしてちょっと違うことをやると難しかったりできなかったりする。

これが麻痺なんだなあと実感しつつ、克服を目指すのだ。



そうそう、反復横跳びもやる。

成人男子の1分間の数値があったけど、それを目標になるべく早く動く。

最後は走ること。

まあ、小走りだけどね。

満足じゃないけど、最初に走った、走った気になった時はホントにうれしかった。

ふと走れるかなあとトライしたんだが、思ったより走った気分になれた。

ガンガン地面の振動がダイレクトに伝わる感じがして、装具が壊れるんじゃないかと恐れたが、もう足の骨が折れても、壊れてもいいやという気分で足を前に出した。

右膝が曲がらないため満足じゃないけど、だんだん早く動けるようになってると思う。

今度は、一時期話題になった「ナンバ歩き」ってヤツに挑戦してみるかね。



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今週からは、一日一万歩以上から一万二千歩以上に変えた。

少しづつ距離を伸ばして一日二万歩はムリなく歩けるようになりたい。

ニンゲンってのは、立つのも歩くのも走るのも、すべてバランスが重要なんだね。

バランスが崩れると、何気ない動きでもどんなに難しいことか。

片麻痺を通してニンゲンのカラダの仕組みがわかったような気がする。


怪我の功名。

あと地球にはちゃんと重力があるということも(笑)。







リハビリ第2ステージとして、勝手に、筋力トレーニングに近いことをやるようになったんだが、良く考えりゃ筋力は向上しても、肝心の、壊死してしまった神経の再生には至らないんじゃないかと思って、
アホなりに、ちょっと愕然とした。

フツーに動くには、やはり神経を再生させなきゃならんのだよねー。

筋肉を刺激させれば神経も刺激されるだろうけど。



昔は片麻痺に筋力トレーニングはご法度だったらしい。

筋肉の痙縮を起こす、つまり固くなって動かなくなるということだ。

今はそんな風に考えられてないけど。




まっ、考えてモンモンとしてるなら、なんでもいいからやれ!
動け!
ということさ。


なにかはつかめるよ。

失うものもあるかもだけど。

継続は力なりだ。


このブログもね。



つづく
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2017年02月13日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯020

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯020





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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入院中から、ネットで片麻痺、脳出血、リハビリなどで検索した動画をよく見てるんだが、けっこうあるんだねー。

懸命にリハビリに取り組んでる姿から、歩く走る、クルマの運転、料理、自転車、釣り、スキー、ゴルフ、水泳まで様々。


それに加えてよくあるのが、「何日何ヶ月で動いた、奇跡の回復、まだあきらめるのは早い、自宅で簡単にできる、動くコツ、楽になる」などの言葉をうたい文句にした民間?のリハビリ施術。

宣伝だろうけど。


最初は、そういう動画も熱心に見てた。

効果ありそうなものは自分流で試したりもした。

が、今では、こうしたものは、ほとんど意味がないと考える。



そりゃ、プラシーボ効果(暗示によって病状が好転すること)で一時期麻痺が治ったように思うことはあっても、結局は同じ、すぐに元に戻るだろう。

なぜならそんなに簡単に神経が再生するわきゃないからだ。




もう50代の俺だったら、若い人と比べると、もっと遅いだろう。

例えば、何か効果のありそうなリハビリがあったら、それを長い間、コツコツと繰り返すしかないと思う。

何年かけても。効果のほどは人それぞれでも、モクモクと繰り返すことによって、ほんの少し1ミリ以下でも効果は上がっていくと思う。

実際、うんともすんとも言わなかった右腕が、けっこう上がるようになったし、動くようになった。親指と人差し指だったら少し動くし。


入院中、車イスだったのが、1万歩以上、2万歩3万歩まで歩けるようになったし。


使わないと筋肉は衰えるので、情けないくらい細〜くなってた麻痺の右脚も、左と同じになり、筋肉の跡がクッキリ出るようになったし。



とにかく、早く、急に、簡単になどということは絶対にないので、あきらめずに、くさらず続けることだ。

俺なんか、こんなカラダになったんだし、もう一生ものだと思ってる。

治る、治らないはどーでもいいくらい。


呼吸や心臓の鼓動と一緒。




リハビリイコール生きることなのだ。








そこで、多分効果的だろうと思ったのが、川平法である。

もうリハビリの世界では有名だが、促通反復療法といって、麻痺のところを何回も何回も動かし刺激することで、神経の再生をうながすものだ。

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鹿児島大学の川平和美教授が開発したもので、鹿児島にリハビリ施設があって、行ってプロにやってもらった方がいいんだけど、そうもいかないので、本を買って自分流で取り組むことにした。


しかも、ホントは介助者が必要なんだけど、年老いた両親じゃムリなので、それも自分で。

動く左手で介助しながら最大限できることをやるのだ。


今やってるのは……

寝て右腕をまっすぐ上げ下げする、
斜めに上げ下げする、
上げてクルクル回す、
横向きに寝て肩甲骨を動かし右腕を前に出す、
気をつけの姿勢から右腕を動かす、つまり内転外転させる、
寝て右ヒジを曲げ伸ばしする、
上半身を動かさずに前腕だけを回し、手首を回内回外させる、
右腕全体を回内回外させる、
右腕の指を一本ずつ曲げ伸ばしさせる、
手首を反らす……



書いてもわからないと思うが、とにかく麻痺の右腕のあらゆる筋肉を動かすことを最低でも100回、まあ、150〜200回くらい繰り返すのだ。


目つぶって動いてることをしっかり意識しながら。

その後か前に、オ○ニーでも使った電マをヒジ近くの内側外側にあて、さらに刺激を与える。

3分くらい。ついでにアソコも(笑)じゃなく、右脚も。

電マなどで振動による刺激を与えて麻痺を軽減することを「痙縮(ケイシュク)を落とす」と言うんだって。



何回も何回もしつこく動かし、さらに強い刺激を与えることで、脳に「ここはホントは動くんだよ」と教え、壊死した細胞以外のところで、ニョロ〜と神経を再生させるのだね。


実際やってるうちに肩は少しだけど動いてきたし、鏡で見ても、あからさまに落ちてる感じがなくなった。

ヒジは曲がったままだけど、右腕を前横と上げるのも可能になった。

効果を実感できたのだ。

やっぱり脳への刺激をリハビリの主眼にした方が効果は大きいんだねー。


神経の再生だからなあ〜。

その刺激も、ただ動かすだけじゃなく、見る、考える、感じる、匂う(はムリか)、味わう(もムリか)、五感をフル稼動させて。







冬期は、外を歩くのでもカラダがこわばることがあるのでやっかいだ。

まあ、長時間歩いてカラダもポカポカになってくると大丈夫なんだが。

どう表現すればいいのか、ポヤ〜ッと麻痺の右半身だけ別世界にいる感じ、現実感がないのだ。

複視なんでさらに。

加えてキューッと内側にくるまってるような。

ホントに麻痺はイヤだ!




また、帰って麻痺の右手を触ると氷のように冷たくなっててビックリすることがある。

でも、左手ほど冷たさや、かじかんでる様子は感じられない。

これも麻痺の影響からなんだろうか?



ここは田舎なんで、外を歩いてて、そんなにいっぱい人に出会うということは少ないのだが、たまに人がいると、とんでもなく麻痺のブザマなカラダが恥ずかしくなることがある。

特に若い連中。


さらに女の子。


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たいてい向こうは挨拶してくれたり、道をゆずってくれたり、やさしいのだが(多分障害者だと思って)、勝手に俺が下を向いたり、避けたりしてしまうのだ。


片麻痺オヤジなんか全然気にもしてないと思うけど。

元巨人軍監督の長嶋茂雄さんが、脳梗塞で同じく半身麻痺となり、誰かの葬儀で麻痺の手をポケットに入れてて批判されたが、気持ちはとってもよくわかる。

麻痺を知らないアホ連中がそういう批判をするのだと思ったが、麻痺の右腕がプラ〜ンとしてたり、緊張してキュッと内側に曲がってたりすると、とてつもなくイヤなのだ。

そんなこと気にしても誰も何とも思わないよってのは、その通りだし、理解できないだろう。

でも…なのだ。


下半身よりも上半身、腕は特に。これ以上ブザマな姿をさらしたくないってのがあるのかもしれないね。

長嶋さんくらいの有名人となればなおさらだろうな。

また、神経が通ってなく自分の力で動かせないので、歩いてると振動でプランプラン動いて、肩が痛くなることもしばしば。

俺も麻痺の右手は、いつもポケットに突っ込んでる。

夏なんかにシャツ一枚でポケットが使えないときは、ムリヤリ指を開いてハンカチを握らせてる。




つづく

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2017年01月29日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯019

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯019





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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もう、アッという間に一月も終わりだが…

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願い申し上げます。



年頭に当たって、俺も一応目標を。

それは、例え、どんな状況になっても、「生き抜くこと」である。
ただそれだけ。




俺の場合、普通はリハビリに関して云々言うのかもしれんが、それは今年に限らず、多分一生続けていくものだと思ってる。

もちろん目標は麻痺を克服し普通に動けるようになることであるが、もうここまでくると、人生の指針というか、生きる糧みたいなものになった。

うまく言えないけど、リハビリをすることイコール生きることになったような気がする。

これは、単に回復を目指しリハビリすることを超えたね〜。

今年、俺のリハビリも第2ステージになったね。ナンノコッチャ。(笑)







正月、年末に図書館で借りた脳卒中、脳梗塞に関する本を数冊読んだ。

脳出血を含む脳卒中は、紀元前200年頃から文献に登場するという。

日本では、有名人だと日蓮上人、上杉謙信が脳出血で倒れ、半身不随になったんだと。

脳出血は、まだ脳の機能が完全に解明されたわけじゃないので、出血部位はわかっても、どんな機能がどの程度損傷するのか、そして、どこまで回復可能なのかなど、正確なところはわからないらしいのだ。


年齢によってもいろいろ違うらしい。

でも、おおよそ片麻痺と感覚障害、失語症などの高次脳機能障害を引き起こす。

わからないということは、未知数だが回復への可能性はあるということだし、奇跡も起こすことができると前向きに解釈しよう。


よく言われるのが、脳は左と右で役割が違ってて、簡単に言うと左が現状維持、保守的で、右が革新的、進歩的考えを持つという。

フツー右翼左翼逆だけどね。


俺は右半身麻痺だから、左側がヤられたわけだ。

保守的なガンコオヤジになったんかなあ〜。

左は言葉や記憶もなくすというが、麻痺のため、しゃべりにくいことはあっても、言葉をなくすまではいってないと思うし、確かに記憶は飛んだけど、きっかけがあれば思い出す。


脳出血を起こした時、シナ〜とベッドによりかかって後ろに倒れたけど、もし前や横に倒れてたら、出血で損傷した部位も違って、障害も異なってくるのかな。

また、右半身の片麻痺でも、全く感覚が失われることが多いらしい。

俺の場合、動かなくても、最初から、痛い、かゆい、暑い、寒いと感覚はあったからよかったし、奇跡的なのかも。


まあ、生きてたことが奇跡的らしいので、第二の人生をくれた神様に感謝だね。




脳出血を含む脳卒中を起こすと、脳はなんと「若返る」そうだ。

出血で細胞が壊死し、手足に麻痺が起こるわけだが、周りの健康な細胞がニョロ〜っとシナプスを伸ばし、回復しようと努力する。

新たな神経の通り道を開く。

つまり、壊死した細胞は元には戻らないが、障害が起こると脳は年齢に関係なく自然と若返り、成長する「柔らかさ」を持ってるんだという。



そして、それを手助けするひとつが、「ほめる」ことなんだって。

それも
「〜できましたね〜スゴい」
「〜が動きましたね〜今度はもっと動きますよ」
などと即効で具体的に。


これは科学的に実証されたこと。

で、「動いた、できた」という経験を脳に覚えさせ、効果的なリハビリを続け、神経を定着させるというわけだ。




脳は酒やドラッグにおぼれることでもわかる通り、気持ちエエことが大好き。

やったあ!できた!動いた!という経験で、希望を持たせ、脳を気持ちよくさせることで飛躍的に効果が違ってくるのだ。



あとリハビリ後に睡眠を取ることでも効果は大きいとも。

倒れてから、明らかにはっきりした夢を見ることが増えたが、寝てる間に脳が新しい神経を作ろうと活発に努力してることと関係あるかもしれないね。





一方、リハビリでは必ずしも頑張りが効果的だと言えないとも。

逆効果の場合もある。
いい意味で「ラクする」事(脳を気持ちよくさせる)が必要なのだ。



俺の場合、周りに、いつもグチってる老人はいるけど、ほめてくれる人が近くにいないので、いつも自分で自分をほめちぎってやろうと思う。





帰省した弟と元日から一万歩以上歩いたが、寒いとどうしても麻痺側がこわばる。

暑くて熱中症になりそうでグチョグチョに汗かくよりいいかもだが。

手がかじかむので家にあった手袋を引っ張り出したのだが、麻痺でない左手は大丈夫なんだけど、どうがんばっても麻痺の右手にはめることができない。

指がクルッと曲がって伸びないからだ。

無理矢理伸ばそうとすると逆に意固地に固まってしまう。

これもリハビリの課題だな。


仕方なく右手はポケットに突っ込んでいる。





先日、熊本も雪が降った。

積もりはしないけど朝方、道路はあちこち凍ってた。

出かける用事があったので、ちょっと遠いバス停まで歩いたが、スッテンコロリンとならないように、一歩一歩注意深く足を運んだ。

右側左側の体重移動など、良いリハビリだと思った。

片麻痺でも人間って学習するもので、凍ってるところを避けてヒョイヒョイと軽やかに、いつもより早くバス停までたどり着けた気がする。



つまり、考え方や捉え方によって、日常生活の全てがリハビリになるということだ。

意識するのとしないのでは大きく違うと思う。

バス停に着いた時は「やったあ、歩いたあ」という達成感、満足感があったし、脳は「気持ちよかった」はずだ。


例え、滑って転んだとしても、「これもいい経験だ。学習した。次回は転ばないようにしよう」と考えることにした。





今まで、歩いてて、3回ほどハデに転んだことがある。

オフロードの畑道で、右足が麻痺で曲がらず草に引っかかって前に倒れたり、ちょっと小高い畑道で同じく足を取られ、2、3メートルくらい下に落ちたり、坂を下る時にうまく右足が前に出ず前のめりに倒れたり(これは痛かった)…。


麻痺の右側に倒れると、足でも手でも支えることができないので、ホント、ダイレクトに地面に叩きつけられる。

痛いのなんのって。

幸い、擦りむいたくらいで骨が折れたり大きなケガはないけれど、実は、これも良い経験になってると思う。

転んだ時は、「恥ずかしい。チクショー、ホントに麻痺はイヤだ!」とイライラ、絶望的な気分になったけど、コレも経験と前向きに考えれば良いんだ。



普通だったら、50代になって、転ぶなんて経験、めったにないだろうし、畑道で転んで顔に土が付くなんて地球の自然を感じることができてエエじゃないか!くらいにバカになるのだ。




ノーテンキバカ片麻痺オヤジ、上等だぜ!






ああ、そうそう。

一応リハビリの目標は、あえて言えば、他人の目を気にせず、ガムシャラにやることだね。

倒れる前の俺は、プライドだけ高くて、よく人の目が気になった。

やりたくても、人の目が気になってできないこともいっぱいあった(そんなヤツがなんでTATTOO、ピアスなんだという話もあるけど)。

それが高血圧、キケンな、度重なる血圧の変動をもたらした要因でもあった。


座禅を組んで、ココロを落ち着かせる訓練を取り入れたのも、それを克服するためだ。

そりゃ〜人の目を全く気にしないとなれば、アブないオヤジなんで、その辺はセンス良く、上手くやりながら。


とにかくリハビリに関してはそういうこと。

正月から天気が悪い日以外、毎日一万歩以上は歩いてるが、マゾヒストの俺は足をぶっ壊すイメージで外に出ている。

TATTOOの入ったハダカの脚を見ると、余分なお肉が取れて、ふくらはぎはカチカチ、モモは引き締まって筋肉がクッキリわかるくらいになってきた、と思う。

よっしゃ、よっしゃ!片麻痺の障害者でも、余分なお肉のない、絞ったキッレキッレのストイックなカラダは絶対チョーカッコいいに違いない。


一番は腹だけど、コレがなかなか難しい。

長時間歩いて疲れると、すぐ腹ヘリ〜になっちゃうし。

だんだん元に戻ってくると、たまにジャンクフードも食べたくなるし。

ボクサーみたく欲望との闘いだ。





今年どこまでできるかわからんけど、もう人生も半分過ぎたし、後悔のないようガムシャラにやろうと思ってる。




今年も読んでねハート

つづく

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2016年12月29日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯018

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯018





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。


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先々週に右足の新しい装具が完成、病院行ってGETしてきた。



スタッフのススメで注文したのは、かなり前、春先ぐらいだったが、熊本地震やなんやかやで、遅れに遅れてやっとできた。

短下肢装具、ゲイトソリューションデザインと言うんだって。


13万円くらいするんだけど、いろいろ申請して、障害者手帳による全額公費負担でタダ。


足の装具は三つ目。



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これは、古いのより簡易で全然軽いし、足首のところについてるバネが足首の上に上がる動きを助け、地面にひっかかりにくい、つまりとても歩きやすいのだ。



もらった日、うれしくなって、さっそく病院から帰り13〜4キロを歩いて帰ってきた。

何よりもシューズのバリエーションが増えたことはたいへんうれピー。




底のプラスチック部分が小さいので、倒れて以来、ずっと履けなかったVANSのスニーカーも、ドクターマーチン(ブーツはまだ無理)も、ジョージコックスのクリーパーも大丈夫になった*\(^o^)/*



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前の装具は退院のちょっと前に作ったもの(7万円くらいした。2割負担だったかな)で、それまでは病院で借りたゴツゴツした重い装具を使ってた。


前のは2年近くお世話になった。



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カーボンファイバーを巻いたものだったが、早いうちに足首のヨコのバネがぶっ壊れ、それなりに補修はしてたけどボロボロになってた。




と同時に、従来のリハビリ専用シューズもおしゃかに。

1万円くらいしたと思うけど、最初、病院でもらった時は、いかにもという感じのスゲーダサダサで、ショックで愕然としたが、結局1年半くらいお世話になった。



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古い装具だとこれしか履けないし、だんだん愛着も出てきたが、麻痺の右側の先がこすれて穴が開いてしまい、何回か自分で補修してたが限界に。




右側の先に穴が開くのは、やっぱり麻痺して落ちてるから。

右足が地面に引っかからないように、左に靴底入れてたけど、ブン回しの引きずるような感じで歩いてて、たまに引っかかって前に出ず、転びそうになったことも何回もあった。




古い装具とシューズを見てると、ここまできたなあとシミジミ思うよ。

短い間だけど、ありがとうございました。ペコリ。m(._.)m







退院当初は、そんなに歩くことを意識しておらず、部屋で独りモクモクとやるリハビリが多かった。


病院では、ヒマな時いろいろ動き回ってたが、あまり刺激もなく、おぼつかない。

リハビリノートを見ると、2015年の4月2日に退院後初めて外を歩いてる。



家のまわりの道を軽く一周。

1キロ弱くらい。

ネットで調べて、血圧等のこともあり、早朝歩くより、夕方の方がいいとあったので、冬季は午後4時くらいから、夏季は午後5時くらいから暗くなるまで。



最初、家のまわりを一周した時、「こりゃ〜タイヘンだよ。外に出るのもこんなに苦労するのか」と軽い絶望。麻痺の右足は前に出なくて、一歩一歩、おいっちに、おいっちに、どっこいしょと引きづるような歩き方だし、

道のちょっとしたギャップが前を阻み、転びそうで怖いし、右足に重りでも付けてるようで、
まるで牢獄でクサリにつながれたジャンバルジャンのような気持ちになった。



あーあ、杖でも復活させるか。



あと、複視で全ての風景が二重に見えるため、あーーっとイライラする。


ホントにこれからどうしようかと思ったものだった。

でも、家にこもってても、モンモンとするだけで何にもならないし、こんなカラダになったんだし、もうままよ!とあきらめて、一週間に一度短い距離でいいから外に出ることにした。




次に外に出たのは一週間後。


同じとこを歩くのも芸がないし、反対側を一周した。

道路って、水はけを良くするために端っこは真ん中に比べてちょっと下がってると思うけど、歩く方向で、右側が下がってる分にはいい、歩きやすいけど、反対だと右足がすぐに引っかかってとんでもなく歩きにくい。


マンホールや排水口、側溝、アスファルトの補修あと、とにかく平らでないものがあると足が取られるのだ。

普通だと道路の凸凹なんて気にせず足でバランス取ってうまくギャップを吸収してるんだね〜実感したよ。



細い道で、手すりなどなく、側の低いところに小川や田んぼ、畑などがあると、落ちそうで足がすくむ。


普通にまっすぐ歩いてりゃ落ちるわけないが、左側に倒れそうな気がしてくる。


なぜか麻痺の右側は大丈夫で、左側に倒れそうなのだ。麻痺の右足をかばって軸が左寄りになってるのだろう、左足一本でおっとっとと左側に倒れそうになり、フィギュアスケートの選手みたく(笑)、クル〜っと回っちゃうこともよくあった。意味なく。



あと、平地の道は問題ないけど、坂は苦労した。


上りはまだいい、下りが怖いのだ。



上りはなるべく麻痺の右足を曲げるように前に出す。

足が後ろにくるとピンと伸びちゃうけど。

下りは自分の力で曲がらないため、一歩一歩確かめるように降りないと前につんのめりそうで。


ちょっとでもいいから膝に力が入ってくれたなら…まあ、考えずにガムシャラに制覇だ。


最初はちょっと歩いて止まって、また歩いて止まってだったが、今じゃ1キロくらいだったら止まらず登りきることもできるようになった。



下りは相変わらず怖いけど、かなり早くなった。






この辺じゃ畑道になると、舗装されてない道も多い。

最初は舗装されてない道に入ると、右足の指がキューって内側に曲がって歩けなかった。

無意識に緊張してるのか、慣れないからか、地面が柔らかいからか、わからないけど。



でも、恐れず歩いてる間に、いかにも自然に接してる感じがして、オフロードも楽しくなってきた。


指も伸びるようになった。


道なき道に入ってズンズン行くと、ふと知ってるところに出る。

制覇したような満足感だ。

今では通れそうなところだと臆することなく入っていけるようにはなった。


人の家の庭に出たこともあったけど。


途中で何かあったら人なんか滅多に来ないところ、クマさんは出ないだろうけど、猿やイノシシは出るかもしれん。

考えたら行けなくなるから今は考えない。


草に右足を取られたり、低いところだけど転んで落ちたり、水たまりで転んでドロドロに汚れたり、これまで散々な目にもあったけど、苦労してオフロードを歩いててよかった。

右足の置き方、力の入れ方等、だいぶリハビリになったと思う。






道路を通るクルマにもドキドキで、よく足が止まった。

遠くからブオーンと音がすると、道の端っこの端っこに。

歩道があってもだ。

田舎のクルマなんて案外優しくてスピード落として横をすり抜けてくれるんだが、なんかぶつかりそうで。クルマ二台がやっとすれ違うことができる田舎の細い道で、めったにクルマなんか通らないんだが、それでも端っこを歩く。


最初、iPodでも聴きながら歩こうと思ってたけど、周りの音が聞こえなくなるなんて絶対ムリムリ〜。





道路を横断するのもタイヘーン。

信号なんて、ゆっくりヨチヨチ歩くため間に合わない。

弟が来てくれた時、熊本市内に遊びに行ったのだが、信号を渡ってる途中に赤になってしまい焦ったことがある。


弟が頭を下げてクルマを止めてくれたからよかったけれど。

信号を渡る時は、いったん赤になるまで待って、青になった瞬間からなるべく急いで歩くようにした。




まともに顔を上げると二重に見えるため、自然と下向いてしまう。


足元見ながら、必死に歩いてると、いきなり人やクルマが現れて、麻痺した右腕がビクッと上がるくらいビックリしたことも度々。

なるべく真下じゃなく、1メートルくらい先を見るようにした。





あと、見知らぬところに行くのが…怖い。

50のオヤジが笑っちゃうけど、怖いのだ。途中で倒れたら、道に迷ったら、帰れなくなったら、誰も助けてくれなかったら、

「お家はどこ〜!?え〜ん、え〜ん!」

とまるで幼稚園児?みたく不安でいっぱいになるのだ。





夕方歩いてて暗くなってきたら、もうドキドキしてくる。なんか黒い悪魔が天から覆いかぶさってくるような感じがして。

血圧も上がったろう。

で、家が見えてくると、天国を見つけたみたいにスゲーホッとする。



これはきっと脳出血による障害だと思う。

もし、クスリがあったとしても治らない、経験と慣れしかないと思う。

どんなに不安でも怖くても、悪魔が覆いかぶさろうと、立ち向かっていくしかないのだ。

経験を積むことで慣れていくしかないのだ。←波がどどーんとぶつかる岩場でフンドシいっちょで仁王立ちしてるイメージで(爆)。







実は、歩くことにこだわってきたのは、テレビで天台宗の、比叡山延暦寺の千日回峰行のことを見てから。

短刀を持ち、続けられなくなったら自害する覚悟で7年もの間、1日30キロ近くの山道を早く歩くなどのキッツ〜イ荒行だ。



前から知ってはいたが、改めて図書館で関連本を読んだりして、ますます興味が出てきたのだ。



仏教の教義なんかは全く興味ない。

荒行に望むストイックな姿勢というか、死を覚悟して限界に挑戦することがオレのココロを強く打ったのだ。




そんなことして、自分をいじめて何になるの?リハビリになるの?と言われれば、リハビリにはなるだろうけど、やりすぎで意味ないかもしれない。


が、俺に関わった人たち、特に好きなピーナ、不義理をした人たちの幸せを祈りつつ(俺らしくないけど 笑)、当分、一心不乱に歩こうと決意した。


もちろん30キロなんてムリだから、せめて1日1万歩だ。

夏なんか汗ダクダクの全身びしょ濡れ、真冬でも背中と額には垂れるほど汗で、ほとんど止まらず3時間くらいガムシャラにただ歩く。


ああ、俺ってストイックだな、カッケーな、まるで常人じゃない減量に取り組んだ「あしたのジョー」の力石徹みたいだぜ。

自分をハードに追い込むことが快感になってくる。

ナルシストでマゾヒストなのだ、結局は。カイカ〜ン!






100均で歩数計を買った。


でも、2週間くらいであっけなく壊れちまったので、ホームセンターでちょっといいのを買った。


※7.JPG




腰につけて歩くことにした。

まだ本格的に記録はしてないが、1週間に2、3回、1キロ以上2キロ未満歩いてる。

最初の記録が1473歩、翌日には4856歩。

少しづつ歩く範囲も広げて、距離も伸びてきた。

2525、1830、2142、2460、3128、2265…とりあえず3000歩を目標とした。


この歩数計もぶっ壊れて、今は三つ目。3Dセンサー付きでストラップをつけて首からぶら下げてる。

また、この頃装具なしで庭を歩くこともやってる。

まだまだ麻痺の右足首が内側に曲がっちゃうけど。








月一回の診察と病院でのリハビリには、親父さんのクルマで送ってもらってたが、行きはド田舎のため、交通機関が貧弱で時間もあるので親父さんにお願いしてたが、帰りは自分でバスと電車で帰ることにした。


バリアフリーのバスばっかじゃないので乗り降り大丈夫かなぁと思ったけど、手すりをしっかり握って、エイッと足を振り上げて乗って、やってみりゃなんとかなるもんだね。


左足で最初に上って、次に麻痺の右足を上げるやり方で一段一段やれば楽なんだが、あえてそれはやりたくなかった。

普通の人と同じように交互に足を使いたかった。




電車も混んでる時間に乗ることはないので、ホームから落ちないように、一歩一歩しっかり踏んで乗れば大したことはない。

駅でもエレベーターを使わず、リハビリだと思って階段を使う。

駅員さんや親切な人に「あちらにエレベーターありますよ」と言われても。






去年の後半くらいには、1日5000歩を実践できるようになった。

年末年始、弟が帰省し、二人で初詣も兼ねて10,000歩歩いたことで、自信がつき、1日10,000歩をターゲットとした。


グーグルマップで知らない道を調べてここまで歩けるなと思ったら、外に出て実践。

毎回歩くのも何か課題というか問題意識を持って歩を進めることにした。

今日はなるべく右足を前に出す、今日は右膝を曲げることを意識して、今日は足首を上げるように、今日は早歩きで、という風に。



一番の問題は膝だな。

自分で膝を曲げることができない。

上から体重を乗せて折り曲げることはできても、自分の力で上に曲げることができないのだ。

だからどうしても右足だけ外側にぶん回し歩きになってしまう。

歩いた後、仰向けに寝て、膝を曲げること、100回を続けてる。






長く歩いてると、後半頭がフラフラすることがあった。

てっきり、ヤベッ、血圧上がってきたと思ってたが、帰って血圧計に腕を突っ込むとスゲー低い。

上が100切ることもしばしば。

有酸素運動をすると血圧が下がるんだね。


当時は朝晩と血圧を下げるクスリを飲んでたので、さらに下がったのだろう。

あまり意識してないけど、片麻痺で普通の人の倍、運動してると思うから、ハーハーと脈も90近くなってるかな。

それが数時間続くのだから、これはいい運動だと思う。脂肪を燃焼するのにも効果的だ。





いろいろ問題もあったが、ほぼ解決してきたと思う。

麻痺以外は普通に。

これまで最長は35000歩超。

20キロ強。


病院からの帰り、間違って違う路線のバスに乗ってしまい、その終点から、人に道を聞きつつ歩いたのだ。

帰らなきゃと必死に歩いててわかるところに来て、ふと万歩計見たら3万歩超えてた。

その後、筋肉痛と疲れすぎて二日間ほど歩けなかったが。




今では、1日10,000歩以上、1ヶ月に2回20,000歩以上を目安としている。

クルマで通って、こんな遠いところにと思ってた場所が、もう歩いていくのにわけはない。

歩く前にグーグルマップで調べて行ってみたいところを探して…。俺の、俺なりの「千日回峰行」である。







4月に書き始めて、今回で18回目。読んでくれた方、ありがとうございました。

チャンスをくれた管理人様、ありがとうございました。

来年も書きます。よろしくお願いします。良いお年をお迎え下さい。


つづく


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2016年12月11日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯017

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯017





リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。





退院直後、自宅で、2015年3月30日から自己流リハビリを始めた。




実は、回復への意欲が湧いてきたのは、退院間近になってからだった。

それまでは、毎日、なんとなく言われるままにリハビリをこなしてきたような感じで、
「もうこんな身体になっちゃったし、どーでもいいや」
と半分あきらめてた。



退院が決まり、若いスタッフと離れ、実家での年老いた両親との生活が憂ウツでもあった。



それが、持ち込んだiPadを使って、片麻痺や脳出血で検索(ありがたいことに病棟に無料のWIFIがあった。看護師詰所かスタッフ専用かもしれないが、パスワード無しで使えた)、片麻痺のリハビリ動画をいくつか見た。


特に、高校生の女の子が、お父さんと工夫・努力して一生懸命リハビリに取り組んでる姿や、片麻痺をだいぶ克服して、歩いたり走ったり、自転車に乗ったり、なんとスキーまでしてるのを見て、なんだ!努力でここまでできるのか!と俄然やる気が出てきたのである。



それから病室でスクワットをしたり、
病院を隅から隅まで歩き回ったり、
下の階にあるコインランドリーで洗濯したり、
一階の売店行って買い物したり、
レストランでお茶したり、
とにかく病室にこもってないでなるべく動くようにした。




患者で溢れる一階の外来診察室の奥に隠れるように精神科があって、その、さらに奥の暗がりに霊安室があるのもわかった。

入れなかったけど。


患者がいなくなった夕方の待合室で、スポーツ新聞(特にH欄)を読んだり、ちょっと親しくなった同室の患者さんとダベったりするのも楽しくなった。



退院間近だったけど、この頃から、だんだんメラメラと、このままじゃ済まん、奇跡を起こして、元のようになってやる、見てろよ〜やるゾ〜との思いが湧き上がってきたのだ。


一方、入院中はゆっくり休もうとも。


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ふと思い出した。


リハビリやってる時に、いきなり、デカい声で、こんにちわ!と話しかけられ、戸惑って、俺も返したが、それから、ことあるごとに俺をジーッと見てて話しかけてくる、ちょっとキモい感じのオッサンがいた。


「病室に遊びに行っていいですか?リハビリのこととか聞きたいです」
と言われ、何も答えないでいたら、後日、病室の前でウロウロしてる。


「どうも〜遊びに来ました〜」と言われ、俺はとっさにムカついて、「俺に聞かないで、医者かスタッフに聞けよ」と冷たくあしらった。



後でスタッフに聞いたら、

「二回目の入院で、ちょっとアブナイ患者さん」
と言ってた。



どうしていつもそんなのが寄ってくるんだろう、カワイイ女の子なら大歓迎だが、オッサンなんかいらねえ、と思ったけど、どうしてるかなあ。




おっと、話がそれた。


で、退院して、左手で書く練習にもなるし、ノート(B5)をつけてリハビリに取り組むことにした。



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最初の内容は…


ストレッチ二つと足上げ
しゃがむ運動
四つんばい運動
午後 しゃがむ運動
スクワット(50回)
足を上げる運動
舌マッサージ
足首を上げる



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…とミミズがはったような汚ねえ字で書いてある。

詳しい中身は忘れてしまったが、多分病院でやってたことだ。


その他、英語のセンテンスと日本語、日本語の単語をノートの空いたスペースにバーッと書いてる。


英語はLINEの毎日英会話、日本語の単語は新聞で読んだもの。


あと親しいフィリピーナとのチャットでの会話も。



これは左手で書く練習と脳の活性化を見込んでやってたことである。


日を追うごとに文字も読めるようになってる。

キレイな字まではいかないが、誰が見ても読めるだろう。



ニンゲンってスゴイな。



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右利きの俺は、当然倒れるまで左で字を書いたこともなかったが、実践と慣れと訓練で書けるようになるんだね。

右手と同様なんでもできるようになるんだね。






また、ネットで検索した様々なリハビリ方法、複視のリハビリ訓練をはじめ、血圧に良い食材や悪い食材も調べて、ノートに書くか、プリントして貼って実行した。


血圧を下げるツボ(指先、爪の付け根や耳たぶの裏、耳上側と耳下の付け根)も、複式呼吸法も、ヨガも…と考えられるあらゆることを調べてノートに記録した。


昔から手帳やノートに記録するのが大好きだったからねー。



後で記録を見て、こんだけやったんだと満足するためだけかもしれんが。


まあ、モチベーション維持になるし、いいことだと思うけど。




最初は通院にもノートを持参してた。

スタッフに見せて、スゴイですね〜頑張ってますね〜などと誉めてもらうのが単純に嬉しかったからだ。

今じゃリハビリノートも二冊目後半である。






自宅にもWIFIがあってホントに助かった。

その点では、親父さんにとっても感謝だ。

リハビリ方法でも、健康法でも、ココロの持ち方でも、検索、勉強、実践と全部助けてくれた。




また、地元の図書館に行っても、脳卒中、片麻痺についての本に目を通した。

たくさんの情報を得て、自分で判断して、取り入れて、ガムシャラにやってみる。

自分の身体のことだし。将来のことでもあるし。


ストイックな修行僧のような生活に憧れも出てきて、周りの状況が許すんだったら、当分、リハビリ一本に集中してみようと思った。


日常生活全てをリハビリと考えるのだ。


筋肉を大きくしたいとウエイトトレーニングに汗を流し、プロテインを飲んで、ムシャムシャ食って、大きくなった自分を誇らしげに思ってた時代とは違い、ムダな脂肪や筋肉もそぎ落とし、腹もパックリ割れて、黒く日焼けした一目チョー省エネなカラダ。

そんなカラダを手に入れたら、片麻痺の障害者であっても、きっとカッチョエエに違いない。




女の子の視線を集めることができるであろう。

時にはチョメチョメも…。

俺なりの、そんな不純な動機があったのだ。





手軽にできる健康体操、真向法(まっこうほう)というのがある。

ボディビルやってた時から準備運動として取り入れてたけど、五分以内で済む、たった四つの体操でヨガに近いかもしれない。


脳梗塞でなった簡単な麻痺が治ったという記事を見たし、リハビリを始める前に取り入れることにした。



右半身麻痺のため、前屈や足を開く運動がやりにくかったりするが、左手で補助しながら、なんとかこなしてる。




けっこう早い段階から体幹トレーニングというものも取り入れた。


右半身が麻痺というバランスが崩れた具合だから、腹筋を中心とした体幹を強化することが必要だと考えたからだ。


ネットや本で調べて、最初は、四の字クランチ、エルボーニーストレッチ、ツイストクランチ、サイドクランチ、ドローインクランチ、ニートゥーエルボーといった可能な種目を10回の3セットづつやってる。



今も続けてるけど、これは片麻痺のカラダでバランスを取るのにだいぶ効いたんじゃないだろうか。


右手が完全麻痺なので、手をつくトレーニングとか、できなくてイライラすることもたくさんだけど、やってれば、ぶざまだけどなんとかできるようになるもんだ。






見直すと、カラダをほぐすようなトレーニングが多いね。


病院の延長だけど、筋肉が固まるのを防ぐのだ。

ホームセンターで買ったゴムボールや水を入れた500ミリのペットボトル、100均で買った1キロの水ダンベル、ゴムチューブ、ハンドグリップ、踏み台、椅子、ヤフオクで入手した電マ、棒と、いろんな道具を使ってる。



ハンドグリップは、TV番組で握力を出すのに力を入れると血圧を下げるのに効果があるというのを見たから。


繰り返し動かすことで、新しい神経を作るということよりも、これ以上、麻痺のカラダが固まるのを防ぐ意味合いが多いかな。



繰り返し動かすリハビリといえば、最近メジャーなのは促通反復療法、いわゆる川平法なんだが、それは今度ね。




複視は、病院でリハビリトレーニングはないし、ドクターも治しようがないと話していたが、調べると皆さん独自のやり方でリハビリしてる。


改善・回復した例もある。

モノが二重に見えるのは、麻痺で右側の眼球が落ちてるか、眼球運動を司る筋肉が動かないかだろう。


それで縦の眼球運動の筋肉強化を図ることが先決と、天井でも窓でも床でも畳でも、その線を目で追うことから始めた。



素早く線を追うことを3分くらい。

次に、身近なモノと、遠い外の風景を交互に見て、瞬時に遠近感のピントが合うような訓練をする。

あとは、電灯のコードに五円玉をぶら下げて、催眠術のごとく左右に振って目で追う。

この三つから始めた。



今だに複視は残ってるけど、あきらめずに続けることだと思うから、止めたくはない。






改めてじっくりノートを見ると、当初は、一日中朝から晩まで、やり過ぎるくらいリハビリしてるなあ。

休みは日曜日だけ。

ちょっとでも効きそうなことがあれば、とにかく取り入れてみる。

実感がなければ止めちゃうけど。



入院中はそこまで真剣に取り組んでなかったのに…と病院のスタッフにグチられるくらい。





片麻痺のリハビリには6カ月の限界というものがある。

発症から6カ月を過ぎると、だんだん効果がなくなってくるというのだ。

これが常識だった。

それが研究や実験、実施、検証が進むと、6カ月過ぎても、例え数年経ってようが、やり方によっては効果が出ることがわかってきたらしい。


やっぱりあきらめないこと、希望を持つこと、ポジティブシンキングでいることが大事だね。

ホントに。







退院して、病院のアドバイス通りに、すぐに障害者手帳の申請もした。

障害者年金も聞いてみたが、条件がいろいろあって難しい。




手帳は数ヶ月経ってやっとゲット。


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脳出血による右上肢機能の著しい障害(3級)、脳出血による右下肢機能の著しい障害(4級)の合わせて2級である。


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たいていの公共交通機関は半額か、いくらかの割引で利用できるし、他にもお得なことは多いみたいだ。



手帳を手にした時、よし、これから第二の人生のスタートだ、と妙な決意の気分になったよ。



ノートを見ると、4月5日から、今現在メインのリハビリにしてる外を歩くことも始めてる。


それは次回…。



つづく


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2016年11月21日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯016

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯016

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。





倒れてからスゲー頻繁に夢を見るようになった。

前はそんなに見てなかったと思うけど。

てか忘れてるのかもだが。



イヤにハッキリしてて、たまにカラーだったり、匂いが付いてたり、感触があったり(という印象がある)。



内容は圧倒的に5年前以上の東京でのことが多い。



夢は体験したことを脳が勝手にストーリーを組み立てるものだと思うけど、オレの場合、損傷したのは運動分野だけど、脳の回復する過程での、ちょっとした暴走じゃないかと勝手に思ってる。


それだけ脳が活発に活動してるってこと。


夢を見ると、ああ、寝たあああという感じがするので、ストレスがあったり、眠りが浅いのではないと思う。

最近では内容がおもしろいので、見たらFacebookに日記のように書いている。







前回、高次脳機能障害のことを書いたが、思い当たることを思い出したのでもう少し。

夢といえば、退院当初はホントによく寝た。

何もせずにボケッとしてると、すぐ眠くなるのだ。

夜も充分睡眠時間は取ってると思うけど。



調べると、脳出血の回復過程でよくあることだというので、安心してグーグー寝てた。

産まれて間もない赤ちゃんか、もう人生も終盤に入った老人のごとく。


前は、ストレスもいっぱいあって、イビキ、歯ぎしりうるさくて、睡眠が浅かったと思うし、夜の静寂や孤独な感じがキライじゃなかったので、睡眠時間が短いというか、寝るのがもったいないと思ってたフシがあった。


でも、今ではグッスリ寝れることにthanxだ。

寝ててそのままあの世に行くんだったら、それもいいかな、なんてね。



実際、寝てる間に脳出血を起こし死んじゃった人もいるけど。



で、夢で見て目覚めともに突然思い出すことがある。


幼少の頃のこと、忘れてたこと、恥ずかしいこと、イヤなこと、昔よく耳にした唄、曲から場面、画像などなど。

これは障害でもなんでもないし、脳出血とは全く関係ないかもだが、明らかに倒れてからの体験。


改めて脳の不思議に感心するね〜。

過去の経験が全部記録してあって、どっかの引き出しにつまってるんだ。

そして、それが何かのきっかけで開くんだね。



一生開かないこともあるんだよ、きっと。




スゲー。オレの場合、脳の運動分野の一部分が死んじゃったことで、他の、別なところが逆に活発になったんじゃないかなあ。


クリスマスツリーの電飾みたいにあちこちピカッ、ピカッ、ピカッって。



あと、ジジイになった、単なる加齢による衰えかどうかわからんけど、短いスパンで物忘れが激しい。


ああ、このこと言わなきゃと思っても、ちょい別のことが頭に入ると、すっかり忘れちゃう。


それでイライラする。

何日か経って突然思い出すことはあるけど。

もしかして…ボケか?認知症か?ははは、んな訳ないか。


最初の頃は、頭の中で間違ったことを思い込んでしまい、それが事実と違って愕然とするということもよくあった。


例えば、弟が来てくれドライブしたとき、ああ、ここはさっき通った道だから、ここを右に曲がったら駅があって…と思い込んでたけど、実は全く違う道だったり。


まあ、脳出血による障害なのか、歳なのか、その境界線がわからないような感じで、ちょっと、なんでも障害にして納得してんじゃねーかと思うけど、自分じゃ日が経つほどにだんだん元に戻ってきたと思ってるからイイだろう。








前にも書いたけど、喜怒哀楽、特に「哀」が激しい。


すぐウルッとくる。


これまで、わざわざ友人先輩後輩、何人かお見舞い?に来てくれたけど、ちょっとでも優しい言葉をかけてくれると、すぐ目頭が熱くなってくる。

別れてからボロボロ泣いたり。


昼間たまたまつけたテレビで、BSで、昔の、百恵ちゃん、友和くんのドラマ「赤い疑惑」をやってて、一方で、大げさだなあ、こんなことあるわきゃねーよと笑ってて決して感動はしないんだけど、

いつの間にか、ううっ、ううっ、って小さな嗚咽とともに涙が出てる。



マジへんなの〜。

動画サイトで片麻痺、リハビリに関するものをよく見るんだが、中には、障害を克服してスポーツ大会で賞を取ったストーリーや血の滲むような努力でリハビリにのぞんでる姿がUPされてる。それを見ると、もう、うわーんうわーんと号泣なのだ。


これも、歳だよっていう友人もいるが、人一倍プライドが高く、カッコ悪いとこ決して見せたくないオレからしたら、やっぱ障害じゃ、障害じゃなくても脳出血の影響かと思うよ。







「怒」の部分は、親父さんへの思いが一番だ。


必要なこと以外、ほとんどコミュニケーションらしいものは取ってないんだが、オドオドして、
ちょっと腰の曲がった貧相に見える姿勢、
他人がいるとはしゃいで数オクターブ高くなる声、
ワイドショーなんかを眉間にシワ寄せて見つめてる顔、
世間体を異常に気にし、小市民というイメージぴったりの奴隷的な考え方…


もう全てが腹立ってくるのである。


たまに、グレた中高生みたく、殺してやりたい、早く死なねえかなと思うことも。

そりゃトンデモなく迷惑かけてることは重々承知の助である。


それでも止まないのである。


どうしてだ?自分が前から大キライだったタイプの人間?ということは、親子だから、オレにもそんな要素がいっぱいあるってことだ。





障害を背負って独りでいろいろ考えてると、自分の育ち方、親の接し方、つまり、オレはどーしてこんな人間になった、なぜ障害者になったのかを勝手な解釈で分析してしまう。


だからって過去を振り返っても、何にもならないのはわかってるのだが。

そこで自分の責任は棚に上げて、他人のせいにすることで溜飲を下げるというか、納得したいのかもしれない。


とりあえずは、手っ取り早く、同居する親父さんを憎むことで、自分の立ち位置を確認してるような。


親父さんとの邂逅はいつになるだろうか。

あるのか。


高齢の親父さんが死んでもないかもしれん。

まあ、いい。

実際には、親父さんに対して、何かをしてる訳でもなく、アタマの中で思ってるだけだから、深くは考えないようにしてるよ、今は。




オレは昔から老人がキライだ。

自分も年老いてゆくのは、当たり前だのクラッカーなんだが(古いッ!)、老人というより老人が象徴するものがキライなんだ。


いつまでもコドモなのだ。



いろんなことに興味がなくなる、新しいことを認めない、愚痴っぽくなる、怒りっぽくなる、のんべんだらりと時代劇なぞ見て過ごす、そのくせ欲だけは深い…。



いかんせんアタマとカラダが衰えるので仕方ないのかもしれんが、そういう風にはなりたくないなあと考えてる。


例えば、死ぬ間際まで汗かいてリハビリしたいし、能動的に好きな読書を続けたいし、音楽を聴きたいし、いろいろ考えて、哲学して、世界の仕組みを解き明かす努力はしたいし、向上心を持ち続けたい。


親父さんは、「生きる」ことを辞めた老人性というものを象徴してるような気がするのだ。

悪りーけど。








ニンゲン、ココロの占める割合がとっても大きいのは言うまでもない。

ビタミン剤でも思い込みで風邪が治るというプラシーボ効果のように、限界はあるかもしれんが、気の持ちようでどうとでもなるのだ。


動画サイトで、よく民間のリハビリ施術施設の宣伝が流れてる。

人間研究所とか動きのコツセンターとかトンデモな名称で、長〜い髪を後ろで束ねて銀ブチメガネをかけたような、チョーダサダサの施術者が、気持ちの悪い元気さでいろいろやってる。


前置きが異常に長くて、なかなか本題に入らない。

宣伝だからだろうけど。片麻痺もココロが占める割合が大きいからこそ、こういったスピリチュアリズム、いわゆるカルト治療みたいのが多いのだろう。


病院のリハビリスタッフも、怪しい宗教みたいのはいっぱいあるって言ってた。

信じるものは救われるじゃないけど、実際の効果はわからんけどね。






とにかく日常生活全てがリハビリと考えるようになったし、それじゃなきゃイカンとも思う。

麻痺で思うように動かないからと右半身を使わないでいると、脳がそれを覚えてしまって、そういうカラダになるんだという。


動かなくても、動く左手を添えてでも、なるべく右側を動かすことだ。


ムリヤリ指を開いてモノをつかんだり(というより引っかけたり)、ドアノブも最初は右手で回そうとしたり、窓も右手で開けようとしたり、左手一本でやらないで、なるべくいろんなシチュエーションで右手を使う、使うふりをすることを忘れないのだ。



これはクセにしないと、すぐに右手を忘れてしまう。




麻痺の右手を「廃手」というらしいが、どーもその言い方がキライ。




使えねーのに意味なくくっついてるってのがはっきりしてて。

まあ、実際使えねえんだけど、バランス取ったり、左手をヘルプしたり、ほんの少しでも役に立ってるよ。

それで、これからリハビリでその重要度を増していけばイイわけだし。

希望と可能性は絶対捨てたくないからね。


入院中、リハビリの女性スタッフから、毎週末近くのホテルで開かれてるヨガ教室に通ってることを聞いた。

あっ、コレだ!と退院して、ネットショップでヨガの本を買って、自分でも試してみた。


ヨガ本.JPG




脚を揃えて立つという簡単なポーズでも、カラダの中心線を意識することができて、明らかに右側が麻痺してることがわかるのである。


つまり体幹のバランスがわかるのだ。


ナルホド〜こういうことで麻痺側をかばい、左側に寄っちゃいフラフラしちゃうんだな〜って。

難しいポーズはまだできないが、簡単なポーズをはじめだんだんできるものも多くなって、上達してるんじゃないかな。

ヨガは体幹を鍛えるのに効果がある。

あと呼吸を整えることで、血圧も落ち着くんじゃないかと思うけど。


つづく

白本朋求facebook
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2016年10月10日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯014

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』
♯014


556354_480843151959510_624141653_n.jpg


リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。




ふと思ったのだが、

2年前の今月、俺が脳出血で倒れたことが、友人知人どうしてわかったのだろう?




誰が連絡したのかな?

自分で連絡した?

フィリピンは?



ぜんぜん全く記憶にない。ちょっと怖いね。知りたいね。





まあ、いろんな履歴を見れば一部メッセしたり、電話したりもあるんだけど。それさえ記憶にない…。



今月12日が倒れて2周年、14日が52歳のお誕生日。

早いねー、あっという間だ。


もう人生終盤。



HAPPY BIRTHDAY FOR ME!!!
わーいわーいドンドンパチパチ。へへへ。





さーて…。

脳の血管がもろくなって破れたのは、長年の高血圧はもとより、血圧の変動が激しかったからではないだろうか?

圧がかかったり、かからなかったりの頻繁な繰り返し。


つまり、よく言えば、それだけ繊細で感受性が強く、悪く言えば、気が弱くてビビリで常にビクビクしてたということかな。


性格というものはなかなか変えられないので、今もそういう傾向にあると思うが、長く座禅を組むことでだいぶ落ち着いてきたと思うけど。



これは都合よく解釈すると、親父さんの遺伝かもな。


ガキの頃、親に散々落ち着きがないと怒られ、学校の成績表にも、「落ち着きがない傾向にある」と書かれた。



でも、今、親父さんを見るとスゴく落ち着きがない。

お袋さんがグチるほどで、食事の時もじっと座ってることがない。

意味なくあっち行ったりこっち行ったりしてる。




はーん、こういうことか。




過去は変えられないし、今さらでしょうがねーんだけど、こうなっちゃうと、なんかいろいろとこの歳で自分を見つめ直すようになってしまうね。

どーしてこーなったのだろう、あーなったのだろう。






何度も言うけど、麻痺がこんなにもココロの動きに左右されるとは思ってもみなかったよ。



脳出血によって運動神経はヤられたけど、代わりに意識がダイレクトに麻痺側の手脚につながる感じ。

人間ってココロがとっても重要な役割をするんだね。


外部の要因だけでビョーキになるんじゃなく、内部の、ココロの沈みだけでも、胃に穴が開くし、脳神経はヤられるし、ガンにもなる。だから解決を神を求める宗教があるんだ。うまく言えないけど実感。






そして、ココロの動きと言えば、中年まっしぐらでも、フツーに、というかオレの場合、昔から人並み以上に"セイヨク"はある。←どーいう話の展開だよっ!




フィリピンでは、常に20代のピチピチピーナに助けられ、囲まれてたし、思い起こせば、大学入学で上京してから、奥さん含め、やっぱそばに女性がいたなあ。



いざという時ヘルプしてくれたのも女の子だったよ。

ヒモじゃないよ。



別にモテるわけでもないので自慢じゃないけど、オレが女の子にくっついてた感じです。



で、大学時代に風俗を覚えて、それから結婚してようが、行きまくったね。←ヒドいオトコ。



ピンサロ、イメクラ、ソープ、ホテトル、ヘルス…etc。


サラリーマン時代は社のある街の風俗店ほとんどを制覇した。


ポイントカードもいっぱい持ってた。



休み時間や社に帰る前にちょっと…てな感じで。



そんなドHなオイラだけど、倒れて1年以上、そんなこととはまったくの無縁となった。


アソコもなんかキューっとなっててコドモみたいで、セイヨクも「忘れた」みたいな感じ。




だんだん回復してくると、病院でも、女の子のカワイイ看護師さんやリハビリスタッフ、さらに胸のふくらみや丸い柔らかそうなお尻、キレイな女性らしい手にドキドキしたりもあったけど、ムラムラドッカーンまではいかない。




当然アソコも反応なし。


もとからデカいわけじゃないけど、おっきくなるとそれなりにはあったつもり。


それがオケケに隠れてしまった感じが続いてた。

病院での入浴がスタッフに笑われてるようで、チョー恥ずかしかった。




一回、オトコのスタッフに、「倒れてから、なんかちっちゃくなっちゃいましたよ」と話したことがある。

スタッフは苦笑して「そうですね〜」。


はあ〜。

病院でかはわからないけど、何が移ったのか、かゆくてかゆくて、退院してから自分でオケケを全部剃っちゃった。



すると、ホントにコドモのアレ。

情けないったら、ありゃしない。




これぞまさにココロの動き、ココロの沈みに反応してるんじゃないかなぁ。

堂々とできないから、気が小さいから、アソコもちっちゃくなってんだ。

きっと。




ドスケベな下の話だけど、これはオトコにとっては、いろんなバイタリティー、モチベーションにもつながってくると思う。



だからシンケン、シリアスなのだ。


ピチピチピーナがそばに来ただけでピーンと反応してたオレが、妄想はしても、まったくの反応ナシは、もうオトコじゃなくなった感じがして、麻痺が残ったことよりもショックデカいのだ。




退院して、実家に帰って、二階の部屋をあてがわれたことでまったくのプライベートな空間も確保できたんだが、すると気兼ねなくHな動画も見れる。


今は金出さなくてもネットで無料でいくらでも見れるんで、試してみようかと思うけど、やっぱ怖い。


というのは再び脳出血を起こすのが怖いのである。




最近、風俗店でクモ膜下を起こした人の体験談が出版されたが、それと同じで、絶頂に達した時に気持ち良過ぎて?またブチっと血管切れるんじゃないかとの不安が大きいのだ。


あと右半身麻痺で利き手の右が使えんので、慣れるまで難しいだろう。


満足しないだろう。ネットで検索して調べたりした。





生まれつき手足のない乙武洋匡さんの不倫が話題になったことがある。

不倫なんかどうでもいい。

それより、どうやって口説いてるのか、どうやってSEXしてるのか、相手を満足させてるのか、アソコどうなってんのか、に興味シンシンだった。



手足がないから舌使いがすごいのか、常に女性上位だろうなあ、それともさせるがままにしてマゾ的気分を味わうのか…。


うーむ、どちらにしてもスゴい。

奥さんだけじゃなく(ああ、確か子供いたよね!)、何人もの女性と不倫関係にあるなんて、ニュースで乙武さんの顔見てたら、なんかギラギラしてる日焼けしたAV男優に見えてきたよ。


乙武さんの人間力というかコミュニケーション力は、障がい者の鑑だね〜。

スゲー勇気をもらった。オレも見習わなきゃ。






退院して最初の正月、休みで弟が福岡から来てくれたが、散歩で近所の神社行った時に、彼に年の初めの宣言をした。

「よしヤルゾ。まず試して、できたら風俗行こうよ」と。アホ。「そんなこと宣言せんでもええがな〜」

と呆れられたけど。





そんで、正月も終わったある日の夜。


そうだ、そうだ、いつもリハビリで麻痺の痙縮をほぐすために使ってる電マ(電動マッサージ機)があった。


AVではフツー女性に使うが、利き手がまったく使えんので、これ使ってみるか。


AV見ると女の子がヨガってるけど、そんなにキモチエエんかなぁ。

へへへ。

ネタはiPadで見るxvideo。

テッシュ、臭い消しを用意し、ゴミ箱を近くに置いて、フトンに寝てイザッ!あっ、そうそう血圧計も準備しなきゃ。



……………。






フツーにできるがな。

片麻痺なんでちょい不満もあるが、なんとかできるがな。

今度は左手も訓練するか。

1年以上出さなかったので、量は多い感じがするが、大丈夫だろう。

たぶん、もう歳なんで密度というか濃ゆいのじゃなく、薄いようなだが。


オトコは1年以上出さなくても大丈夫なのか、精子は死ぬのかな。

50代で夢精はしないけど。定期的に出すことで、前立腺ガンも防ぐことができると聞いたことがある。




すぐに血圧を計った。

ちょい高めだけど、まあ、想定内。

30分も経ったら、低くなってる。





でも、また切れないかとの不安とキンチョーのためか、なんと表現したらいいのか、ブワーンとダルいような、フワッと浮いてるような、そんな感じがしてる。




iPadをさっさと消して、テッシュをゴミ箱に捨てて、臭い消しをシュッシュッとやって、もし切れたとしても、ええ、こんなことしてたのか!と悟られないように完全に処理を済ませた。




できたー!となんか嬉しかった。

復活の第一歩だ。



オトコ復活!弟にもLINEしたぐらい。

この日以来、サルのように、イヤイヤ、フツーに性生活が戻ってきたよ。

まあ、また切れるんじゃないかとの不安は常につきまとうけどね。



次は実物の女体、とりあえず風俗にトライだな。

前に病院の男のスタッフに、宮崎の風俗が質が高くて格安と聞いた。

ヨッシャ、イクゾー!もう50代だけど、まだまだ子供を持つ夢をあきらめてはいない。

家族を持つ夢をあきらめてはいない。

何年か後にはフィリピンに戻って、前みたくズコバコやりまくりたい。

夢を持つことは大切だ。







SEXの場合、片麻痺なんで、フツーの正常位は難しいかもしれない。


リハビリによるだろうけど、右手に力がなかなか入らないから、女の子とベターッとくっつくしかないかなあ。

密着感があっていいかもだが。

バックは大丈夫だ。膝から上と腰は動くし。それとも座位が楽かなぁ。


いつになるかわからないけど、実際ヤルコトになったらパートナーの助けも借りて、いろいろやってみたいもんだ。

乙武さんも含めて、障がい者はいろいろ工夫してるんだろうか。

こういう想像はとても人間らしくてオモシロイ。

それが隠されてるものであればあるほど。






まだ読んでないけど、風俗店でクモ膜下を起こして倒れた人がとんでもなく恥ずかしい思いをしたらしい。


本人だけじゃなく、家族や親戚も。

オレも2年前に倒れた時、意識があるうちにと、いろいろ処理した覚えがある。

今考えると、なぜあんなことができたのか不思議だ。

やっぱり後ろめたいことがあるからだろうな。



別にその時、Hな動画などを見てたわけじゃないけど、いろいろ処理して、もう大丈夫と納得して友人に電話した。


長くて1分弱だろうけど、迅速に対応できたのは、やはり人間はいざという時スゴい能力を発揮することもあるんだなあと、こんなことでも感心する。



なんか恥ずかしいこといっぱい書いちゃったな。友人知人読んだらどうしよう。でも、今さらだ。全部さらそう。





つづく

白本朋求facebook
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2016年08月28日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯012

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。





高血圧症による脳出血で、一番怖いのは再発である。


ネットで調べたところ、脳出血は発症後4人に1人が1年以内に再出血してるらしい。

再発率は1年以内25%、5年以内35%、10年以内55%ー。



ゲゲゲ。



オレは幸い1年再発せずに過ぎたけど、けっこうな確率じゃねーか。


怖いよー。



大げさで考えすぎかもしれんが、これ書いててもドキドキしてくる。



そういや西城秀樹も、真屋順子も再発してたなあ。遺伝もあるのかなあ。



で、脳出血の一番の原因は言うまでもなく高血圧、再出血の原因も高血圧なのだ。

発症後の血圧コントロールがうまくいかないと、またまた脳内でドバーッと血が出ることになる。





既に脳出血を起こしたオレは多分、動脈硬化が進行して、血管が脆く出血しやすい状態となってるんだろうな。



今度再発したら片マヒじゃすまんだろうな、両マヒになるかも、いや死ぬだろうな。



これ以上後遺症が残るなら死んだ方がマシさ。

へへん。

こりゃーまず血圧を安全圏までしっかり下げて安定させないといかんね。


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まず基本、処方してもらった朝食後、夕食後の降圧剤を飲んで、病院でもらった血圧手帳に毎日、朝昼晩の3回血圧を記録。

これが正しい血圧を知る、血圧を下げる目安になる。




目標は病院でも教えてもらった、家の中で130〜85以内、外出た時で140〜90以内。

それからネットで高血圧に効く食べ物、よくない食べ物を徹底サーチ、良い食べ物を毎食なるべく食べることに。


例えば、高血圧に効く食べ物は、

青魚、イカ、タコ、昆布、豆腐、納豆、春菊、ナス、玉ねぎ、セロリ、パセリ、ニンニク、トマト、ほうれん草、里芋、サツマイモ、ブロッコリー、シイタケ、シメジ、きゅうり、スイカ、メロン、りんご、バナナ、ぶどう、イチゴ、麦茶等で、

よくない食べ物は、

ラーメン、みそ汁などの汁物、ポテチ、せんべい、ケンタッキー、漬け物、しょう油、ソースなど、味が濃ゆい、塩っぽいものはダメなのだ。



数ヶ月に一回くらいはいいかなあ。

塩は1日5グラム以内というけどけっこう濃い味好きなオレには厳しい。



それはレモンやポン酢などで対処するしかない。




日本の食卓の定番、みそ汁(昆布いっぱい入り)は1日1回だけとし、できれば魚の切り身、肉団子(トビウオがGOODらしい)のスープにした。


お酢も血圧にいいと見たから、食卓には毎回酢の物の小鉢をつけてもらった。



料理してくれるお袋さんにコピーを渡して教えて多大な協力のもと、まずは食べ物から実践することにした。



田舎のばーさんはとにかくなんでも食え食えという。

あれもいい、これもいいからと。米も大盛り。

まっ、ありがたいことではあるが、言う通りに食ってたら、ブクブク太ってまた再発ということになりかねない。



教えて量が減っても数日経つとまた量が増えてる。


もう高齢なんで5、6回言わないと理解してくれない。

教え諭すのがけっこう大変だったけどね。





次に水。

ここ熊本県菊池市は名水でも知られるらしいけど、とにかく1日ペットボトル2リットル以上をちょこちょこ飲む。


夏なんか200ccを2時間ごとぐらいに。

オシッコいっぱいだけどね。


塩っぽいものを食べても水を飲むことで薄まるかもしれんしね(ないか)。

その代わり、以前はけっこう飲んでたジュースなどの清涼飲料水をいっさい止めた。

せいぜい朝晩のコーヒーor紅茶くらいで。




加えて1日3、4グラムと少量、100均で買ってきた重曹(炭酸水素ナトリウム)も水と混ぜて飲む。

これはネットで効果を知って、倒れる以前から歯磨きに使ってたけど、胃をちょっとアルカリ性にすることでガン予防にもなり、なんと被曝!にも良く、チョー健康的になるらしいからだ。



ちょっとマユツバもあるかもだが、まあいい。

健康に良いなら、毒じゃなきゃなんでも取り入れよう。

飲み過ぎると血圧上がるので要注意。






あとプレーンのココナッツオイル。

これもネットで脳細胞を活性化する、特に視神経に効くと見たからで、コーヒーor紅茶にスプーン一杯入れたり、食べ物にちょいとかけるのだ。


キレて脳出血になったオレのブレイン、複視となったド近眼の目に効くかなぁと思ってのこと。







当初、入院で68キロくらいまで落ちた体重も、健康になるにつれて食欲も出てきて入院後半には73キロくらい。

退院してから、お袋さんが作ってくれるメシが美味くて量も多くて、フツーに食ってたら75キロまで増えちゃった。

満足に動けないし。

こりゃいかんと食事の内容変更とともに量も減らし、当面の目標を65キロとした。

体重を1キロ減らすと血圧が2減るらしい。


以前、ボディビルやってた時はなるべく身体を大きくしたくて、プロテイン飲んで1日5〜6回とがむしゃらに食って、90キロ近くまで増やしたんだが。





片マヒの障がい者になった今は筋肉よりもストイックな身体になりたい、省エネな身体になりたいと思うようになった。



片マヒだから筋トレは難しいってこともあるけど。

イメージするのは黒く日焼けして引き締まったカラダ、腹を見ると6パックでキレキレのカラダ、片マヒになった人は運動量がフツーの人より確実に減るので、大抵ダラシなくブクブク太ってて醜い(ごめんなさい)。


まず世間に6パックが見える片マヒっていないだろう。

真っ黒に日焼けした健康的な片マヒもいないだろう。

なれたらチョーカッコいいね。障がいがあってもストイックなカラダだと、イヤーなにあの人カッケー!アタシもガンバルー!と尊敬もされるだろうし。




女の子も進んで積極的に近寄ってヘルプしてくれるだろう。


服を脱いで足を開いてくれるだろう。←余計だ、バーカ。





そこでネットサーフィンしてたら1日1食ってのを見つけた。

タレントや有名人もやってるようで、よっしゃとオレもやってみることにした。

マジの1日1食はツラいのでプチに(プチばっかだ)。

朝はコーヒーor紅茶とサラダだけorヨーグルトだけ、昼はホントの粗食、小さなおにぎり2個と小鉢ひとつor納豆ひとつor豆腐ひとつ、夜だけはいつも通りしっかり食う。


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2〜3ヶ月に1回はプチファスティング(またプチ 笑)、つまり断食である。

ハーブティー買ってきて夜まで水かそれだけ。

夜はごめんなさい、ちょっと食べる。それでも粗食だけどね。



お腹がグーグーなって、最初はハードだったけど、食べない日に限って、やたらスッキリキモチ良くウンコが出たり、カラダが、胃や腸がカラになっていく感覚がカイカン…(薬師丸ひろ子風に)になる。



欲望との闘いなんだね、これが。


人間、年取ってくると多くの人が太ってくる。


新陳代謝が衰えてきてるけど、若い頃と変わらず、いやそれ以上に食べるからなのだ。



最低限のカロリーだけ摂取すればいいのにそうはいかない。

あれも食べたい、これも食べたい、飲みたい、デザートも、お菓子も。



カラダが必要以上に食べることに慣れきってしまうんだね〜。


欲というのは怖ろしいね〜。






6パックもそう。

最後に6パックが見えたのは10代後半だから、実に30年以上脂肪をまとい見てないことになる。


ひゃー。食べ過ぎるとすぐお腹に出てくるけど、やはり食べたい。


欲ってのは怖ろしいね〜。


有酸素運動で、内臓脂肪は意外と簡単に落とせても、30年以上くっついてきた皮下脂肪はなかなかタイヘーン、だと思う。


完璧にカラダの一部となってるから、生半可なことじゃ落ちないだろうね。しかも片マヒでフルに運動ができないし。しかーし、数年かけてでも6パックが見えるようにすることを大きな目標とした。

でも、たまーにペヤングやカップ麺などのジャンクフードが食いたくなる。

ポテチやせんべいはダメだけど甘〜いチョコレートならいいだろう。


ジャンクフードやお菓子大好きだったし。

栄養とかじゃなく食べたいという欲望を満たすために。

倒れてから長いことこういうものに手を出さなかったけど、コンビニやスーパーで目にしてついつい手にしちまった。



ぜんぜんうまくない。

まずい。

でも食べたけど。



もう味覚?が変わってしまったんだね。

1回食べたら次はいらない、来年でいいやと思えるようになった。


ジャンクフードやお菓子もそうだけど、コンビニの弁当など、ケミカルいっぱいのものは食べた後でウンコがゆる〜いのだ。



去年の10月のオレの誕生日にサーロインステーキをゴチになったんだが、その日の夜、ブリブリピーピーゲロゲロとひどかった。


コドモの頃からステーキは大好きだったが、魚中心で長いこと牛肉なんて食ってなかったから胃がビックリしたんだろうな。


また先日の地元の夏祭りで、これまた久々にコーラとラムネを飲んだ。

翌日朝から下痢だった。

人間の身体ってホント正直、以前はそれだけ実は身体に悪いものを食ってたのかなあ。








ネットでいろいろ調べて良かれと思ったものはすぐに取り入れてやってみる。

ここはクソ田舎だけど、自然いっぱいで空気も水もうまい。

リハビリするにはとってもGOODな環境かもしれん。

人もいなくて刺激がなく老けるだろうけど。


とりあえずマヒ以外は健康になってやる。

何が何でも健康になってやる。

狂人な、じゃない強靭なカラダになってやる。



まさに怪我の功名、オレは"プチ健康オタク"と化した。





つづく



2016年08月14日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯011

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。

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入院最後の日は確か、日曜日だったかなぁ。



お休みの看護師さんやスタッフさんも多く、数人のお見送り。



あの子はいない…




エレベーターのドアが閉まるまで、深々と頭を下げて、


「本当にありがとうございました。お世話になりました。バイバイ」。
とわたし。



あっ、自分の病室って、西4病棟の403号室だったんだねー。


「4」かあ。へへへ。


おセンチに一抹の寂しさを感じながら、病院を後にして実家に戻ってきたわけだが……



これからどうしよう、
どうなるだろう、
フィリピンに戻れるのか、
仕事できるのか、


帰りの車中でそんなことばかり考えてた。





入院中リハビリで書いた文章↓

退院後の生活について。
「ちょっと憂鬱である。病院には、いろいろと話して刺激を得ることのできる若いスタッフがいる。
しかし、退院すれば2人の年老いた両親だけで、ネットでコミュニケーションを取るしかない。
ほとんどの友人知人が東京やフィリピンなど遠方にいるため、直接会うこともできない。
弟も福岡にいて仕事があるため、そう頻繁に来れるわけでもない。
だから、なるべく健康に近づくためにリハビリに専念するしかないが、今から考えると惨めな気持ちになる。
今のところ両親の世話になるしかないが、一人の時間が欲しいので、なるべく近くの図書館かネットカフェにでも行きたい。
でも、まだまだ右半身に麻痺が残っているので、それも可能かどうかわからない」






とりあえず、考えるばかりじゃしゃーない。

何かやらなきゃ。

そーだ、まず血圧を下げて気持ちを落ち着かせよう。



倒れた時は、上200超え、下100超え(ひゃー(≧∇≦)



入院当初平均で上160 下95、だんだん上150、下90、退院時上140、下85と降圧剤のおかげで下がってきたが、

まだまだ少し高めで変動が激しいのだ。


幸い実家には老夫婦が使ってる高性能?の血圧計があったので、
起きた時、昼飯後、寝る前と最低でも三回測ることにした。




と、その前に、入院中気付かなかった、身体にもチョコチョコ変化があってビックリ。




まずオシッコが近い。




膀胱の右側がマヒしてるから?と思ってたが、ドクターに聞いても、うーんって感じ。

朝なんか数十分ごとにしたくなる。

冬なんか寒いから特に。一回散歩してて途中スゲーしたくなり、耐えられなくてちょっと漏らしたことがある。


あーー、50にもなって!ハズカシイ…何気なく家帰って何事もなくそっとパンツ変えた。


外出た時、バスや電車に乗った時が怖いね。

オシッコが近いのは多分メンタルが大きく関わってんじゃないかな。



でも、同じ片マヒの人のブログで同様の症状を読んだことあるし。

わからん。





次に体毛。


マヒの右側にイジョーな毛が。

多くはないが、腕に3センチくらいの毛がいきなり生えてきたりする。


鼻がムズムズするので毛抜きでいじったら、2センチくらいのイジョーに長いのや白いのが。

むっちゃ長いのが抜けると、なんかうれピー。テーブルに並べたりして。


アホや。


白いのは歳かもしんないけどね。






次に汗。

右側だけ汗の量が多いのだ。

例えば、今の季節なんか右手の甲に垂れるくらいの汗をかく。

左手の甲はなんともないのに。


顔も右側の額からツーッと垂れるような汗をかく。

夏真っ盛り外出すると、そのうち当然汗かくのだが、背中と下半身後ろに、Gパンがビショビショに濡れるような汗をかく。


後ろから見たら、オシッコでも漏らしたように。

よくTATTOOしてたら汗かかなくなるなんて言うが、オレはインクが流れ出るんじゃないかと思うほど汗かくようになった。



これも以前はなかったことだ。






次にちょっとしたケガやアザ。
右側だけ治りがイジョーに遅い。


入院中に取れちまった右前腕埋め込みのマイクロダーマルボディピアス、今だに跡が。
引っかけると血が出たりする。






次に耳鳴り。


血管切れた左側。

当初、ヤバイ、ヤバイ、また切れるぅと焦って血圧測ってもそんなに高くない。


ドクターに聞いても大丈夫ですよって。

文で表現するの難しいんだが、ヒューヒューウィーンウィーンシャーシャーって感じ?


心臓の鼓動に合わせて血液が流れてる音?かな。


アタマを右側に動かしたりすると、何かの拍子に聞こえて、左側に動かすとピタッと止まって聞こえなかったりするのだ。



今書いてる時に聞こえてきたけど、何かに集中すると聞こえてくる傾向あり。なんなんだ。







あとはやっぱりマヒの右半身が重っ、重〜い。


フツーにあぐらかいて座ってても、やはり右側が落ちてるのがわかる。

鏡で見ても右肩が落ちてて情けない感じ。


昔、ボディビルで鍛えた盛り上がったたくましい肩はどっかいっちゃったよ。


ニンゲンの手足って、こんなに重いものなのか。



ドクターが言ってたけど、脱臼する人もいるって。


重いばかりでなく、右側がキューッって内側に入ってる感じで、あー、ホントにイライラする。


まっすぐに座ってマヒ側に身体を傾けると、そのままコロンと右側に倒れる。


右足を立て膝にすることができない。

後ろに倒れてしまう。つまり右半身がマヒしてることで身体のバランスが取れない事態に陥ってるのである。こりゃひでーな。






モノが二重に見える複視もイライラに拍車をかけた。

だんだんあきらめて慣れてきたが、ずっと全てが二重に見えてるってのはけっこうツライよ。


メガネをずらして、右側を上げてかけると二重じゃなくなることもあったけど。


そのメガネも自然に右側が落ちてずれてくる。

やっぱり右側が落ちてるからだな。

鏡で自分の顔をじっくり見ると、ちょっと衰えたなー老けたなー(^_^;)とともに、やはり若干右側が落ちてる。


がっくし。




右目の方が下に引っ張られて大きくなってるし、右のほっぺただけこけてる。全体的に右に歪んでる。


今はほとんどなくなったが、頭痛…アタマが痛いのもビビった。

脳梗塞や脳出血の前兆として頭痛が起こるのを知ったからで、ちょっとでも痛いというか痛い感じがするのでも、ああ、また切れるぅとドキドキした。




動画サイトで、若くして、寝てる間に脳出血を起こし亡くなったモデルの女の子が、頭痛に悩まされてたと知って、それがアタマにこびりついてたからだ。



もう一回切れたら、今度はホントに死ぬか、幸い生きてても動かなくて寝たきりだろうなと思った。


死んだら、霊もあの世も、天国も地獄もない「無」だと思うから、何も考えずにいいんだが、やはり今は生きてるから死ぬのが怖い、ヒジョーに怖い。



障害が残っても、生きて、もがきたいからね。


あれもしたい、これもしたい、やりたい(笑)、あそこに行きたい、あれを食べたいからね。



右側はどこを触ってもちゃんとフツーに感覚はあるし、

マヒはあっても、アクビするとグィーッと指先まで伸びる。



脳からの動かせという指令と筋肉などをつなぐ神経がヤられてるんだろうけど、それだけでもこんな変化が出てくるんだとなぜか改めてニンゲンのカラダの不思議に感心した。





マヒの右半身が、こっちも生きてるゾー!と一生懸命主張してるみたいだ。



まあ、体毛や治りが遅いのは歳のせいもあるかもだけど。








身体の変化は仕方ないとしても、いちばんやっかいなのはメンタル面の変化だった。



なんか意識が丸裸にされてるような感じ。

だから、あらゆることがフィルターを通さずにダイレクトに入ってくる。

喜ぶ、
怒る、
悲しい、
楽しい
がとても極端で、倒れる前みたくプライドや見栄でガマンすることができない。


入院中はそんなじゃなかったと思うが、なんでだろう?病院にはカワイイ看護師さんや若いスタッフがいたから、いい意味でキンチョーしてたからかな。



楽しい時はいいんだが、悲しくなった時や絶望的になった時どこまでも落ち込んだし、ワンワン泣いたよ。


死にたくなった。



また、この時期自己破産の件など問題も多かったし。


いったん湧き出た怒りもなかなかおさまらなかった。

アタマの中でぐるぐるループする。


嫌なことを、キライなヤツラを思い出してムカムカした。こんなこともいろいろ妄想する。
当然血圧も上がった。




世の中ままならないこともいっぱい、ストレスの要因もいっぱい、こんなクソ田舎で誰もいなくても、ネットやケータイ、テレビ、ラジオなど、メディアに接してるだけでも感情を揺さぶられることはいっぱいあるんだねー。



それがなくなったらニンゲン終わり、多分死ぬ時だろうな。

ということで、こればかりは徐々に慣れていくしかないのだ。







で、最初にやったことは、動画サイトで楽しい漫才や落語を見て気持ちを和らげた。


逃げかもしんないが、お笑いは全てを忘れさせてくれる。


あと意外と片マヒのリハビリ動画が多くて、へー、こんなのもあんのか。よーし、オレもやるぞー!という気になったし、
とても参考になった。




病院にはWi-Fiあったけど、こんなのあるなんて思いもしなかったね。

いろんな、たくさんの人が脳梗塞、脳出血なりで片マヒになり、それぞれあきらめずに努力してる…ウルウル。



ブログも「片麻痺 リハビリ」でググるorヤフるといっぱい出てくる。


すごいなーあきらめずにがんばってるなーなるほどー。

チェックできる限りの関連サイトも全て読んだね。







それから大きかったのは、フィリピンに電話して親しいピーナの声を聞いたこと。


σ(^_^;) 電話代は高いが、ほんの数分でも、genki?daijoubu?などと話してるだけでスーッとココロが落ち着いてくるのがわかった。


オトコってホント単純。ははは。



そして、自分があまりいい思いをしなかった、合わない人々との関係を絶つことにした。


当分の間だけでも。


まあ、ここは田舎だから直接会うとかはないが、ケータイやメール、SNSでも全部デリート。

とりあえずホントに全てが一からのスタート。

つまり「自分本位」で行こうって決めた。





…かっこつける、
よく思われようとする、
好かれたいと思う、
常に優しくありたいと思う、
スゴイ人になりたいと思う、
自分を見ない、
人を傷つけるのが怖い、
サイテーサイアクの自分から逃げる、
自己肯定しない、
弱い自分を認めない、
イヤなものをイヤだと言わない・言えない、
カンチガイする、
すぐに人の顔色を伺う、
やりたいことをやらない、
ルールを守ってマジメにやる、正しいことをやる、
自分を磨いて自分を高める、
人に評価され、褒められるようにする、
何が何でも勝ちたいと思う、
根性を出して努力する、
短所を隠して克服しようとする、
人を喜ばすためにやる、
無理してコミュニケーションを取ろうとする……etc。




これらをなるべく、なるべく止めにしようと決めた。


認める、
許す、
感情のままに、
全てを出す。




時にはあきらめ、方向を変えるのだ。

脳出血と片マヒはリハビリにメンタル面がとっても大きく関わってくることがわかったため、難しくても、なるべく実践して、イヤなヤツになってでも、チョー「ワガママ」な「自分本位」な自分を取り戻そうと決意したのでした。


マジで。





つづく

白本朋求facebook
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2016年07月31日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯010

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯010

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。




先週、男が障がい者施設に侵入し、19人他を殺傷するという悲惨な事件が起きた。



障がいの違いはあるが、オレも手帳を持つ片麻痺の2級障がい者となったわけで、

いろいろ考えた。




障がい者はいなくなればいい……なんて。





その後の取り調べによると、

自分の身勝手な狂気がヤク中も手伝って弱者に向かったという事件らしいが、

障がい者、tattoo、大麻と狂気という、

まさに世間やマスコミがイメージしやすい材料が揃ってて暗澹たる気分になった。




怨恨、欲望、貧困などからくる、わかりやすい犯罪は


カウンセリング、警備、治安強化等で防げる面があると思うが、


サイコ犯罪、いわゆるわけのわからない犯罪は防ぐことが難しい。




治安、監視体制を強化すると逆にもっと陰惨な犯罪が増えるような気がする。






犯罪はもちろん犯人個人の資質によるところが大きいわけだが、

それだけじゃなく、やっぱり社会と密接に繋がっていると思う。



介護問題も含め、障がい者に対する考え方を反映してる部分があるのではないだろうか。





昔起こったホームレス襲撃事件と同様である。



日本はフィリピンなどと比べると、とても治安がいい国だが、

その反面、どうしようもない退屈、自暴自棄になる要因、人を狂わせる何かがあるのかもしれない。




しかし、なんだっていつもいつも被害者は弱者なんだろう!




どーせやけっぱちで死刑を望むのであれば、

国会でも、ケーサツでも、ヤー公の事務所でも突っ込めばいいのに!



ハラタツね!









さてさて、

病院からスケジュールが示され、退院も近くなってきた。
結局、規定最長の六ヶ月入院となって、

いろいろお世話になりました、である。m(_ _)m




最初はあんなにイヤだった入院生活も慣れてくればなかなか。

どんな状況でもなるべく快適に過ごすのすべは、フィリピン生活で学んだことでもある。




でも、

まだこの時は看護師さんやリハビリスタッフに囲まれて、

現実逃避もあったし、どこかで片麻痺の障がい者となった自分を受け入れることができなかった。


退院後どーするかも考えてなかった。


なにより自分でリハビリに取り組むなんて。

流されて流されてちょいデスペアーな気分。




どーする、どーなる?




入院後半、ボケっとしながら、いろんな妄想をすることが多くなった。


もともと妄想癖があったが、

朝から晩まで、時にはリハビリ中も、身体を動かしながらアタマはあっちの世界にイっちゃってるのである。


なんでだ?


これも障がいなのか?と思ってたけど、

よくよく考えれば、現実を受け入れたくないためにアタマが暴走してるんじゃないかとわかった。


ココロのビョーキ!?みたいなものだ。


またフィリピンに戻って仕事することや、好きなピーナを日本に呼んでいろんなところを旅する、好きな子と第二の結婚をしてファミリーを作る、いろんなスチュエーションで彼、彼女とどこそこに行く、飲む食う、遊ぶ…


もう実にホントにいろんなことを。




最後、2回ほど家庭訪問みたいのがあった。

リハビリスタッフの長と女性スタッフを連れてクルマで家に帰った。



確か料金1回500円だったかなあ。



退院後のことを考えて、家でフツーに生活が送れるかのチェックみたいなものだったが、

オレも家に帰るのは10年以上ぶりだったので、ちょっと楽しみだった。



親に、ここはこうなった、あそこに何ができた、ここは変わった、ここは変わらないなどと言われても、何も思い出せない、全てを忘れてる。



でも、懐かしい。



確かに昔カミさん連れて来たけどね。



女性スタッフがノートを取って家の隅々までチェック、

ここは危ない、難しい、気をつけて、手すりを付けたほうがいい、


などとアドバイスしてくれた。


そして、お袋さんが紅茶入れてちょっと談笑して終了。



帰りにお袋さんがたくさんお土産渡そうとするので、

そんなことするの禁止だよ、とたしなめ、オレはまた病院に戻った。





この家庭訪問を経て、週末の帰宅外出が許された。

前日までに申請を出して、土曜日の朝に両親がクルマで迎えに来てくれて外出、日曜の夜9時までに戻ってくる。



2015年の正月はちょっと長い外出外泊も許された。


帰ったらまずコーヒーでも飲んでテレビでも見つつマッタリして、

土曜の昼・夜、日曜の朝・昼・晩、お袋さんの美味しい手料理を食った。




ホント久々。



正月にはおせち(注文だったけど)や大好きなステーキも。



うまかったなあ〜、腹こわすくらいに。




ああ、前から食べたかった熊本の美味しいラーメン屋にも行ったなあ。


当時、リハビリで書いた文章が残ってる……





「最近一番嬉しかったこと
正月に外泊許可がおり、実家に帰った際に母の手料理を食べたことである。
私は、10年以上も実家に帰ることがなかった。
それが久々に母の手料理を堪能した。母は昔料理を習っていたこともあり、記憶にある限り、料理は上手い。
特別な手の込んだものではない。
それだからこそ、料理の味が身にしみる」






外出の時、福岡から弟も来てくれて、クルマで阿蘇に連れてってもらった。

まだ歩くのが不安だったので、クルマから出ることはなかったが、

阿蘇の雄大な自然は全てを忘れさせてくれた。



なんか弟ともいろんな話をしたような。


ほとんどアニキらしいことをしてこなかったので、今、せめてオレといるときはなるべく楽しくしてもらおうと心がけながら。




弟とは何回か一緒に海外旅行にも行ってる。


フィリピンにも招待した。



サッカーと野球が大好きで、オレと全くタイプは違うけど、仲は良いと思う。




それから、両親を伴い、看護師さんやスタッフ、ケースワーカーとの面談もあった。




オレの今の状況、今後のこと、利用・申請できる行政サービスのこと等を話す。


が、オヤジさんが、

ここでは関係ないオレのtattooやピアスのことを、親不孝もの、一緒に温泉にも行けないなどクドクドとまくし立て、皆を白けさせちまったことがあった。



よっぽど腹に据えかねたものがあったのだろう。

オレもなんか申し訳なくて最初は下を向いてたが、あまりにもクドイので、今は関係ないだろうと声を荒げたっけ。


あとで看護師さんやスタッフにも、お父さん大丈夫?と気遣われて、スゲー恥ずかしかったが、まあ、しゃーない。




入院中からもらってた「リハビリテーション総合実施計画書」では、

2014年11月6日の時点で、なんのこっちゃわからんけど、

FIM総得点126点中85点、
同年12月9日で126点中99点、
2015年1月27日で126点中115点、
退院間近の3月10日で126点中115点

となってる。


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今、最初のヤツをマジマジと見ると(初めてじっくり見た)、運動・感覚障害、複視とともに、高次脳機能障害で注意障害、失語症ありとなってる。


でも、

「記憶面の低下は認めずスタッフとの会話などは行える。他者とのコミュニケーションが円滑に行える」
とある。

また、

「注意障害の影響により動作が性急で声掛け、見守りが必要。傾聴や声かけにより、精神面の安定を図る」とも。



へー。そうだったんだあ。

なんか観察されてたみたいでフクザツなキモチ。

この頃は、本人の希望として
「体が動くようになってほしい。仕事に復帰したい」とあるなあ。家族の希望は「身の回りのことが自分でできる」。

一ヶ月後の目標が「書字能力の向上、基本動作自立、排泄更衣自立、歩行而立」だ。


退院間近のヤツは、
右片麻痺・軽度鈍麻、関節可動域制限(右肩関節、手指関節)、右上下肢の筋力低下、右上下肢の伸長時痛み、失語症、複視あり、健康・心理上の問題はなしで、解決への努力期、高次脳機能障害については「注意障害あり」だが、「改善を図る」とある。



さらに「排泄動作には介助を要する」とあるが、介護はなかったよ、てかもう必要ねえし。

間違いかな。オレ、注意障害なんて意識してなかったし、わからなかった。



そういやスタッフが、麻痺の右側から声かけても気付かない、わからない時があると言ってたなあ。

しゃべりにくくてたまにどもるのも右側麻痺でちょい顔面が落ちてるからと思ってたけど、ホントに失語症なのかなあ。



うーん。ふーん。




あっ、忘れちゃいかん。

仕事を兼ねてとはいえ、わざわざ東京からお見舞いに来てくれた先輩がいた。

要所要所でチョコチョコお世話になってる大好きな先輩である。


まだ入院したての、車イスの頃で、何を話したかハッキリと覚えていないのだが、感謝感激、本当にありがとうございました。m(._.)m






2014年(平成26年)10月12日東京・あきる野市で倒れる→東京・青梅の病院に16日間入院→10月28日熊本の病院に転院→2015年(平成27年)3月27日退院となった。


つづく

白本朋求facebook
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2016年07月23日

『自死という生き方』

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白本氏フェイスブックより。

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カンケイないけど。。。


図書館の新書の棚で見て、あっ、2年前、脳出血で倒れる直前に読んでたのはコレだ!と手に取った。

オレが読んでたのは単行本だが、新書であったのか。積極的に自分で人生の終わりを選択した哲学者の手記である。


三島先生の老醜への嫌悪はとてもよくわかる。俺もそうだから。





人はなぜ死を悪いものと考えるのか。


特に自ら死を選択すること(つまり自殺)は犯罪のように言われる。


苦悩、病気、貧困等諸々のネガティヴな要因ではなく、この哲学者みたくポジティブに、もうこの辺で良いかと自ら人生を終わりにすることは、まず理解されない。


どうしても人はギリギリまで生かされる。





いつもオレは酒でも飲んで野たれ死ぬのが理想だと言っときながら、

健康診断でちょっと悪い数値が出れば、酒は控えると言ったり、

50になったら死ぬよ、それ以上生きててもつまんないしと言ってて、過ぎてものうのうと生きてたり、

病院に行ったら精密検査と言われた、もう長くないよと言いながら、その後も何年も生きてたり、




まあ、言葉の綾?かもしれんが、そんな連中よりこの哲学者の行為は何百倍も良いと思う。

意外と全く死を感じさせなかった人があっさりと死んじゃうものだしね。







最近、終活という言葉をよく聞くが、財産などは別にして、なるべく遺品を残さないことがベストだと思う。


残された人が何の執着もなく次の人生を歩みやすいように。時々思い出してくれるだけで良いだろう。


死んだら死後の世界もあの世も霊も無い無だから。

オレはまだまだ死なないよ、多分。老醜を晒しても人にメーワクかけてもギリギリまで生きたい。







2016年07月18日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯009

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯009


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。




入院中のもろもろを思い出したので、
ちょこちょこっと。





アタマのリハビリの一環として、

別室でのリハビリとは別に、親に頼んで家で取ってる地元新聞をストックしてもらい、それを一週間に一回持ってきてもらって、

隅から隅まで、それこそ広告まで読んだ。




ブツブツ声を出して。



最初は集中できなくて、何回読んでも、考えがアッチコッチいって理解するのに苦労したが、


だんだん慣れてきてフツーに読めるようになった。




どーでもいいけど、
フツーに読めるようになったら、ホントにつまんないねー、ローカル新聞なんて。


地元でナントカ大会が開かれて誰それが優勝したなんて話、おそらくほとんどの人間には関係ないし、どーでもいい。






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病室にあるテレビは有料ということもあって、あまり見なかったが、


全てのスケジュールをこなし終わった夜、読書の合間にたまに見てた。


他の患者さんと同室なんでイヤホンで。



とはいえ、ジジイの患者さんなんか耳が遠いのかイヤホンしててもシャカシャカ聞こえてたけどね。




そんでもって、所かまわず大声でケタケタ笑うし、笑ったとと思えばテレビに向かってなんかグチ?ってるし。


ほんと、イライラしたけど、まあしゃーない。




テレビは、お笑い番組とか楽しくてよかったけど、

たまにドキュメンタリーとか見ると、ドキドキしたりてマジで気持ち悪くなったことも。



覚えてるのは、世田谷一家殺人事件のことやってて、

もともとこういうの好きでワクワクしながら見てたら、途中で血圧が上がり(多分)、恐怖と不安感が押し寄せてきて、

テレビを消して外に出て落ち着け〜落ち着け〜って自分に言い聞かせながら深呼吸したもんだ。



なんでかわからんけども。







部屋は退院までに3回引越したけど、

同室のジジイの患者さんの所業にイライラが頂点に達する頃に引っ越すことになったので、まあよかったね。



しかし、オレってホント、ワガママだね〜。


ハナから他人の欠点?を認めず、しかもそれを口に出して指摘することもなく、ただただイライラを溜め込む。

でも、ジジイの患者さんに話しかけられるとニコニコ応対する。


この性格、なんとかならんもんか。


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最初の部屋で同室だったジジイの患者さんが、深夜必ず看護師さんを呼んでオシッコする。



尿瓶にするんだが、それがチョロチョロと部屋に音が響き渡って。


またあるときは、早朝のそれも5時ごろに、ウィーンウィーンとマシーンでヒゲを剃る。



それも長々と。


次に引っ越した部屋では患者のイビキがチョーうるさいのなんのって。


グオーグオーって。クジラか!




最後の部屋では、オレがイメージしてた典型的パターンにズバリはまったジジイの患者さんがいて、

看護師さんに横柄な態度でいばりちらす、テレビ見ながらグチる、大声で笑う、ケータイの着信音がデカくヘーキで大声で話す、自分はうるさいくせに、夜の看護師さんの作業の音にうるさい、部屋を変えろと文句を言う。


あれはね、血圧が上がりまくったね。




ただ、たまに家族がお見舞いに来るんだけど、

なんだかよく深刻な問題を話してた。
そんで、高齢のジイサンだからか、いかにも邪険にされてる感じが伝わってきて。



そこいくと、例の尿瓶のジイさんなんか、毎回大勢の孫だかひ孫だか見舞いに来てて、とっても慕われてた。



最後のジジイはケータイでも家族を怒鳴ってたり、

娘がココロの病気らしかったり…

そうかあ、いろいろあるんだなぁ、とつい優しい気持ちになったりもした。







患者さんは圧倒的に高齢者が多く、中にはボケ、認知症の人もいた。


夜中じゅう病棟の廊下を看護師さん付き添いで徘徊してたり(看護師さんご苦労さま!)、

看護師詰所のすぐそばにベッドを移動して寝てたり(看護師さんがいないと不安らしい)、

食事の時、ちょっと口に入れるとオエッオエッと大きくえづいてたり、

看護師さんがいくら話しかけても頑なに何も言わなかったり食べなかったり、

夜中、開かない窓や戸を帰るとガチャガチャやったり。


認知症じゃなくてもトイレでオシッコあちこちに散らしたり、

ウンコを流さなかったり、

皆で使う洗面所を汚したり、

勝手にいろんなもの持ち出したり、




細かいこというとキリがない。




でも、あと何十年かすると、生きてりゃオレもこうなるのかと、大げさだけど、人間の最終地点を見たような思いだった。




そういや看護師さんに聞いたんだけど、

あるおじいちゃんが、もう充分に生きた、死んでもいい、と言って翌週ホントに亡くなったそうだ。



どうしたらそんな心境になれるんだろう。


歳をとればそうなるのかな。


俺もできればこういう思いで死に望みたいもんだ。





入院は、もちろん目的は回復とリハビリだが、

他にもいろいろ勉強させてもらった場所でもあったなあ。


人間どんな場所でもどんな状況でもやろうと思えば勉強することはできるんだね。







ウチの親は、日曜日に来てくれてた。


お袋さんはオレが飲みたいというとコーヒー淹れてくれたり優しかったが、

オヤジさんは椅子に座って寝てばかりで、なんか気まずかった。



まだこの頃は身内が来る日曜日が待ち遠しかった。


午前中来て、午後からは独りで下の階にあるコインランドリーで洗濯してた。


それから1階の自販機でコーヒーでも買って、まったりするのが楽しみだった。






オレは自分の病室のスペースをオレなりに使いやすいように変えてた。


右半身麻痺で複視なんで、

テレビは左側に置き、看護師さんに使ってないテーブルを借り、本やDVD、時計等をキレイに並べ、着替えやタオルを片手でたたんで棚に入れ、カーテンは常に閉めてプライベートを確保し、なるべく快適な空間を作った。



オレ、こーいうの好きなんだよね〜A型だし。



どんなところでも最大限快適にする努力を惜しまない。


友達のN崎くんに、お前の適応力はスゴいと感心されたことあったね。



快適空間ができると外に出るのがおっくうになり、何もない日曜日は閉じこもってて、看護師さんに、なあに引きこもってんの!とたしなめられたっけ。



朝の看護師さんとリハビリスタッフの会議の時、

オレのことで「シラモトさんは意外とチョーマジメなんで、何も言わないと部屋にこもってますよー」と言ったらしい。






つづく

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2016年07月03日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯008

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯008

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。





地震に続き、先週は、梅雨のどしゃぶりで、

土砂災害警報のエリアメールが入りっぱなし。



加えて、役所からは避難勧告の放送が鳴りっぱなし。



もう今年は踏んだり蹴ったりの熊本。




うちの親に言わせりゃ、
お前が帰ってきたから、天地のカミサマが怒ったらしい。へへへ。(⌒-⌒; )



ウチの周りは畑だらけの平地で、川も崖もないから大丈夫だったけど。

強風とカミナリが怖かったけどね。






さてさて入院中のリハビリの話。




午前中は作業療法士(OT)、理学療法士(PT)、言語聴覚士(ST)ら(誰がどれなのかはわからん( ´艸`))が担当。


リハビリ用のベッドに横になり、

手脚を広げたり、腰を伸ばしたり、簡単に身体をストレッチ。

で、テーブルに移ってタオルの上に乗せた手を前後左右に。




たまに天井に付けられたロープに吊るされてスクワットみたいなことをしたり。

スタッフがヘルプしてくれたり、いない時は自分でやったり。


あと、麻痺してない左手に箸を持たせ、皿に入ったビー玉を取り出す。



これは麻痺の右手に変わって、利き手じゃない左手を使う練習か?

お手玉を使ってもやった。


毛糸を結んだり、折り紙も。



なんか今考えると、麻痺した右手じゃなく、左手ばっか使ってて、

もう右手は使いもんにならねえから〜ということだったのか。




なんだかなあである。




次に、脱いだ服を着ることや、畳の部屋で障害物を避けつつ歩く練習も。


意外と楽しかったのがクルマの運転のシュミレーション。

教習所かゲームセンターにでもありそうなモニター付きの立派なマシーンで、

だんだん難易度を上げながら、いろんなコースを走るのだ!



最初は、チョットハンドル操作を誤ると事故ったり、

感覚がつかめなかったが、回を重ねるごとに得点を上げていくのが楽しかったよ。



まあ、右半身麻痺でも日常生活を送れるようにするためのリハビリだったんだねー。きっと。


感謝感謝。

だって、じっさい、いまではなんとか生活できてるわけで。





午後はまず、前にも書いたが、入院中の唯一の癒しの楽しい時間。



個室でカワユク、ステキな女の子と二人っきりでのリハビリである。




顔面の運動から始まり、

絵を見たり、数字を追ったりに加えて、毎日一つのテーマを与えられ、

それについて書く、つまり作文である。



病室に帰って、じっくり考えて、人に見せることを意識しつつ、iPadで書いていく。



今でもその作文が残ってるが、見るとけっこうまともじゃないか!←自慢



女性スタッフに見せるので、チョット知性派?に見せようと、

カッコつけて書いてるけど。


実際、感心してくれたり、笑ってくれたりするとスゲー嬉しかったなあ。




あと、手書きで文章を組み立てるプリントも(=写真)。

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普通の文章を受け身にしたり、命令形にしたり…なんか小中学生の宿題みたい。(^_^;)



女性スタッフが添削してくれるんだが、
へん! オレは出版の仕事してたんだぜ〜と意味もなく傲慢な態度取ったりして、
チョット直されるとムッとしたもんだ。
(ほんとうはへただったんだろって?)



プリントも元の間違いを見つけて指摘したり、
イヤ〜なクソオヤジだったね、きっと。

ごめんなさい。




個室で、楽しく?多分血圧上げながらも、いろんな話をしたと思うが、

そういう雑談もリハビリだったのだろう。


コミュニケーションは人間の基本だし、アタマで考えて、伝えたい話したいことをちゃんとした言葉で話すというのはとても大事なことだ。


右顔面が少し落ちてて、どもったり話しにくいことのリハビリもあると思う。

顔面の運動でテーブルに鏡を置き、女性スタッフが一緒にやってくれるのだが、

ほっぺたをプッと膨らました顔がとてもカワユクて萌え〜となったのを、今でもシミジミと思い出す。




車イスの頃、天気の良い日など、個室を出て散歩に連れ出してくれた。

短い間だけど。


病院の中庭、屋上、駐車場など。


まだまだ復視がヒドかったので景色を眺めるのは苦痛だったけど、

狭〜い世界で、もう難病かなんかで余命いくばくもない恋人を、

キレイでカワイイガールフレンドが車イスを押しつつ一生懸命看病してるという、

ドラマにありそうなシチュエーションを勝手に妄想したりしてたもんだ。


バカでしょー?





そのうち、そんな妄想を無残にぶち壊す最もリハビリらしいリハビリが始まる。



最初の頃こそ気持ち良くて眠ってしまうくらいだったが、

そのうち麻痺でチョット固まりつつあった脚や腕を痛かろうがなんだろうが、

ムリヤリ(ホントはムリヤリじゃないけどね)動かすという、

なんともまあサディスティックなリハビリなんである。




イテーの、なんのって。


特にわたしは麻痺した右肩や腕を上に上げるわ、横向きになって前に出すわ、グルグル回すわ…



「痛いですかぁ、大丈夫ですかぁ」と問うから、

「い、い、痛いです…」と答えるも許してくれない。



「ココはイタイですよね〜ははは」と、わたしとは真逆のスゲー爽やかな笑顔で言うもんだから、

コイツ、ぜぇーーったいオレのことキライなんだ…チクショー、

となる。




す、すみません、で、できません、とかいうと、

「えー、これで終わりですかぁ。あーあ」と、また爽やかなエガオでガッカリするもんだから、

だんだん、このスタッフのリハビリがイヤになってくる。



たまにこの爽やかな青年スタッフが休みの時とか、代わりのスタッフの優しさが際立って、

ここは天国か!

とか思ったもんだね。



でもそう嫌ってばかりもいられない。
おとなのわたしは、とにかく少しでもカンケイを改善しようと、
雑談を持ち掛けたりすると、ものの数秒で話が終わってしまう。


で、またモクモクとイジメられる。

あ、イジメじゃなくリハビリか。




そのうち、彼に触られるだけで、自分でもわかるくらい身体がこわばるのを感じたもんだ。


あー、ホントに見た目と違って弱っちいなオレ。





でも、後々、彼のリハビリが一番効果的だったのは間違いない。



午前中の行き当りばったりみたいなリハビリと違って、

ちゃんと理にかなってるというか、マジでオレのためになってるというか。




今でも、彼のリハビリを参考に取り組んでいる。







入院後半は歩くことが中心だった。

右脚の付け根からつま先まであるガチガチの装具を付けて、

彼が背後からオレを抱きかかえるようにして、リハビリルームを端から端まで歩く、歩く。


最初は一周しただけで、ハーハー疲れてたんだが、

だんだん長く歩けるようになってきた。



それにしても、歩くことがこんなに大変だとは。




彼の指示を受けて、二ヶ月くらいで車イスとおさらば、

病院にあった装具を借りて、杖による歩行となった。


先がクモみたいになった重い杖だったが、

この時は素直に嬉しかった。ヤッターと声上げるくらいに。



「毎日なるべく病院内を歩いて、スクワットも100回やってください」と宿題も出された。




腹筋、天井から手脚を吊るし左右に動かす、それも長時間、足首だけを上げることを10数分、固定自転車漕ぎ20分くらい、ゆっくりとフルスクワット、つまりしゃがんで立つ動作(これはキツイ)、リハビリルームにあるリハビリ用の階段を上り下り、そりゃもう、いろんなことやらされたなあ。




これが大体のリハビリのスケジュールだった。




当時のリハビリのメモが残ってる。



ストレッチー足を開いて上半身を倒す
ー片足づつ左右に倒す
ー前に
両足で文字を書く


右腕を肩より上で曲げ伸ばし
右腕を伸ばし曲げる


座って右腕を下につける


テーブルの上で腕を伸ばす
左右に振る
右手を返す


膝で立つ
左右の足を前に(膝歩き)ー右の方に体重かける
腕をつく
腕立て伏せ
左右の足をあげる
左右の手をあげる
足首を曲げる


右の足首、指を曲げる


うつ伏せ
右足を左右に
右足を曲げる


後ろに腕を回す
足踏み


スクワット
しゃがむ
つま先立ち
蹲踞
体重を右へ


口開ける
ウーイー
ベロ出す
ベロを左右に
ベロを上下


足首を曲げる


手を横に広げる運動


肩を上げる運動
腹筋





以上。


また作文で書いたリハビリについて。



『今、1日の大半を占めており、今後の私に重要な役割を果たすのがリハビリである。それだけに真剣に取り組まねばならないのは当たり前である。時には、苦痛であるが、真面目な私は休むことなく言われるままに全てをこなしている。
たまに、このやり方でいいのだろうか? これが本当に役立つのだろうか? と疑念がわくこともある。リハビリを施す人の態度などから、余計な詮索をしてしまうことも多々ある。しかし、私は、不平不満を口にすることなく、毎日のリハビリをこなしている。』





ははは(^◇^)オレらしいよ。




つづく

白本朋求facebook
https://www.facebook.com/tomoki.shiramoto
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2016年06月19日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯007


『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯007


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。




このブログは、「元気にリハビリ日誌」だけど、

やっぱ人生暗〜くなるようなツラいこともたくさん。





とくに俺みたく人のメーワクかえりみず

好き勝手にやってればなおさらだ。






いろんな人にいっぱいメーワクかけたなあ…m(_ _)m





30年近くやったサラリーマンをミスでクビになり、

ライター、あるタレントのマネジャー兼付き人、家やマンションの清掃業、中古のクルマ屋さん、お医者さんの運転手、探偵さんのお手伝い、引っ越しのお手伝い、地方企業の契約社員…etc、



そりゃもういろんなことやったね。

でも、どこかスッキリしない結実しない思いだけはずっと持ってた。




人生も半ば過ぎたってのに、オレって、いったい何がやりたいの?





安定したフツーの人生より、


波乱万丈の人生の方がおもしろいだろ?


と今は勝手に思ってたりするけど…。






プロフィール見てもらえばわかるように、

日本の友人宅で倒れるまでは、

5年ほどフィリピンは田舎町のGMAカヴィテというところに滞在してた。


フィリピンに渡ったきっかけは、知り合ったある地方の企業に契約として派遣されたこと。


でも、やっぱここのトップとうまくいかず、

もめて向こうでいきなり捨てられた感じで、


どーしよう? 日本に帰るか? 


と悩んでいたところ、いろんな人に助けられ、独り立ちしたわけだ。




現地で、日本から送った、中古の、衣料品をはじめとしたいろんな雑貨等を売るとともに、


サラリーマン時代のつてで、

日本からネットで仕事をもらい、生計を立てていた。


仕事のできるビザも残ってたし。




大成功というわけではないが、それなりに仕事も安定して来て、

さあて、もっと手広くやろうと帰国したところで倒れてしまったのだ。



まあ、現地で倒れなくてよかった。

帰国前に高血圧で向こうの病院に数日入院したこともあったが、あまり自覚はなかった。






あるファミリーの家に下宿することで始まったフィリピンライフ。

最後は自分でアパートを借り、クルマを運転し、マーケットに買い物に行き、たまに泳ぎに行ったり遊び、身体を鍛えにジムに通うなど、タガログ語もだんだん達者になって、

日本とは違う日常生活をそれなりに楽しんでたよ。



日本みたくTATTOOやボディピアスも関係ないしね。


astig(カッコイイ!)と言われることはあっても、負に作用することはほとんどなかった。

治安の決してよろしくない現地では、

このおかげで逆に危険な目に会うことは少なかった。


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そして、最初、金のなかった俺をホントに助けてくれたのが、

知り合ったフィリピーナたち。


向こうじゃ働きものは女と決まってるので、店のスタッフから生活のお手伝いまで、20代の若くてピチピチのカワイイピーナたちに世話してもらってた。




たまに…おっとこれ以上は書くまい。

日本にいたんじゃ絶対にできないこともたくさん経験させてもらった。


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カヴィテという小さな町で、見た目もあり、けっこう有名な日本人になった(もともと日本人は少ないけど)。

こんなゼータクな生活、長くは続かないよね。






で、2014年4月末にビザが切れ一時帰国。

古くからの友人、N崎君にお世話になりながら、いろいろ準備をして、中古品業者数社とも契約し、まあ、11月にはまた戻ろうと思ってたわけだ。




倒れたことで、全てがオジャンになっちまった…。




もう一つとてもツライことがある。


実はオレ、まだ結婚している。

配偶者がいるのだ。もう20年近くになる。



彼女、結婚2年目で統合失調症(当時は精神分裂病)を発病。

突然失踪したり、ケーサツザタを起こしたり、

オレもストレスでパニック障害になる(フィリピン行ったらケロッと治った)など、

けっこう大変だった。




しかし、いろんな関連書を読んで勉強、デイケアに通わせたり、資格を取らせたり、簡単な仕事をやらせたり、ためになると思ったことは何でも取り組んだ。


そんなこんなで一時期安定してたのだが、

やはりまたぶり返して実家に戻った。


たまに実家によると悪魔!呼ばわりされ、もうダメかなあと思ってた。




そして東日本大震災の日、

仕事を終え、大丈夫かなと何時間もかけて苦労して実家によったけど、

シーンと寝静まってた。

オレはそこで、ああ、ごめん、もうダメだ


と離れることを決めたのだ。




でも、これはオレが一方的に思って書いてることで、

彼女からしたら思いは違うかもしれない。



結婚式は都内の有名な教会で挙げ、健やかなる時も病める時もと、お互いを誓い合ったわけだが救えなかった。




捨てたと言われても仕方がない。



クズだなオレ。



あれからずっと離婚を交渉してるが、向こうの実家の思惑もあり、そのままなあなあになってる。



弁護士に相談もした。



今もたまに彼女から電話があって悲しくなるが、


何とか今年中に決着をつけたいと思ってる。




…ごめんなさい。




こんな身体になっちまった以上、まずは自分のために第二の人生を送りたいのです。





彼女は、オレが脳出血で入院し障害者になったことや熊本地震で大変だったこともわかってないみたいだけど。





オジャンになって、返せない借金だけが残った。( ̄▽ ̄)




東京に持ってた一戸建てのローン(フィリピンに行って貸してたけど処分した。これも現地の日本人に騙されてけっこうお金を払った)、

業者への違約金、配送業者に払うお金、

それに、向こうのスタッフを助けるからと勝手に名前を使われて背負った借金(ホント、つくづくバカなオレ)、もろもろ数百万円だけど。




たまにフィリピンで日本人が撃たれたなんてニュースが流れるが、

ほとんどバックに日本人がいる。


日本人同士の争いなのだ。



現地人を雇って撃たせたのだ。



現地に滞在する日本人を絶対に信用するなとはよく言われた言葉だが、

戦後すぐの混沌とした昭和に似た雰囲気とフィリピンの暑い気候が日本人を狂わせるのか?

南国の妖精と言われる美しいピーナに惑わされるのか?

マニラなどで、いい歳こいた日本人のジジイが若くてキレイなピーナを連れて歩いてるのをよく見かけたが、

ほとんどの場合、ピーナの目的はお金である。



彼女たちも生活のために必死なのである。


優しくて金持ちの日本人はいいスポンサーだ。


それをホンキで愛されてるなんてカンチガイするからトラブルが起きる。


フツーに考えても、若くてカワユイ子が歳とったジジイを好きになるわけがないだろう。


それはフィリピンに限らず、日本でもそうだろう。

まあ、例外はあるが。


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あっ、脱線。

閑話休題。




とにかくオレも騙されかけた。いや、少し騙された。




入院中「元気に」リハビリしながらも、こうした現実はやってくる。なくなることはない。


独りになると血圧上げながら、あれこれ悩んでたが(悩んでどうなることでもないけど)、
知人のススメで「自己破産」を考えた。


縛りは多いけど。


病院まで弁護士に来てもらい、あれこれ相談。


ちょっともめたけど、病院から数回地方裁判所に通い、

半年もせずに認められて終了。


一応法律上は借金がなくなった。

負い目だけはいっぱい残ったけど。



ホントにごめんなさい。

親にもメーワクかけた。

何度謝っても謝りたりないくらいだ。m(._.)m






まさに「り・せっと」。



すべてを失くしドン底に落ちて、一からのスタートである。




フィリピンで世話になったピーナたちは今でも頻繁にメール、チャットをくれて、


こんな情けないクソオヤジを励ましてくれる。



やりたいこともやり残してきたこともある。


残した私物もある。


何年かかろうともカムバックするというのが、


今のオレのリハビリのモチベーションになってるのは間違いない。


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つづく


白本朋求facebook
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2016年06月05日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯006

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。





東京の病院から熊本の病院に転院した当初は、

せいぜい一ヶ月だろうなぁ、とたかをくくっていた入院生活も、

結局最長ギリギリの6ヶ月となってしまった。





ホントに長らくお世話になりました。ペコリ。m(_ _)m





でも、いま思い返してみても、

そんなに苦痛じゃなかったから不思議。

あれほど病院嫌いだったのに。




あきらめて慣れたから?
はたまた観念したから?



いやいや。若くてカワイイ、ステキなリハビリスタッフ、看護師さんがいたからさ〜。

へへへ。





今、ふと思い出したが、最初に搬送された東京の病院では、

ベッドに寝てる時、腰にベルトを付けられて、しかも鍵付きで。

とっても苦痛だった。いろんな意味で。


暴れるわけでも、悪いことしたわけでもないのに拘束されて。


安全のため?
かもしれんが、自由に身動きもできずに屈辱的だった。



なんとかごまかして鍵を外しても、
また見回りの看護師が来て、ばれてまた鍵をつけられた。



それに比べりゃ、自由に動けるし、相部屋だけどカーテン閉めればプライベートはOK、

有料だけどテレビはある、

眺めの良い場所に休憩所はある、

春には中庭のサクラがキレイ、

一階に行けばコンビニも、コインランドリーもある、

本好きなオレにはうれしい簡単な書庫まであった。



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だんだん動けるようになって、リハビリ終わって夕方、

下の階でスポーツ新聞見て(特にH面)、コンビニ行って缶コーヒーとチョコ菓子買って部屋に戻り、本読むかテレビ見ながらつまむのが楽しみになった。


リハビリが休みの日曜日には他の階や中庭をヨチヨチウロウロ。

コインランドリーで洗濯しつつ、狭い病院内を散策した。





入院当初は、看護師詰め所のすぐ正面の部屋だったが、

長くなると、だんだん遠くに移動、結局3回引っ越した。



あとで看護師さんに聞いたところによると、

いっぱいTATTOO入ってたから皆さん警戒してたんだって。


そのうち安全な人(笑)だとわかって、

他の患者さんと同様の待遇となったらしい。





なんじゃらほい。



膀胱もマヒしてるのか、まあオシッコが近くなったオレにはトイレが近い部屋はありがたかった。




風呂は週3回で、銭湯みたくちょっとした湯船もあってなかなかのもん。



独りで大丈夫なら毎日でも何回でも時間内にOKだったが、

結局、最後まで右半身麻痺で慣れてなくて付き添いの看護師さんと一緒だった。




若い看護師さんが、
脱ぐ、洗う、拭く、着るまで手伝ってくれるが、

当然俺は真っ裸。

アソコは倒れてからコドモみたいにキューッてなってて恥ずかしかったね。



他の看護師さんたちがどれどれとTATTOOを見に来てたりしてたし。


途中で担当が男の看護師さんになったけど。




この男の看護師さんは家庭教師やってた人で、
マジメだけど、ホントにドスケベ!で面白かった。



風呂で、好きなAV女優や風俗行った話から、

あの看護師さんの、スタッフのケツがいい、巨乳だ、顔にぶっかけたい、逆にヒールでアソコを踏まれたい、ケツを叩かれたい…

ふたりでいろんな話したなあ。



そんなスケベな話をしたところで、
オレのアソコはうんともすんともいわないんだけどね(涙)




くそまじめな顔で仕事をこなす彼とすれ違うと、

メガネの奥の目を光らせてニヤニヤしてたっけ。



退院したら一緒に風俗行こうね〜なんて言ってたけど。

元気っすかあ。××さーん!



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もう一人、男の看護師さんがいて、
こいつはまだ新人で、若くてデブったオタッキー。



たまに風呂を担当してくれたけど、

日曜朝にテレビでやってる仮面ライダーシリーズや
アニメの話を田舎の熊本弁でずっとペチャクチャ。



最初こそ、こっちもお話に乗ってたけど、そのうちなんだかメンドーになってきて、

テキトーに相づちだけ。


オタクって自分の好きなことを相手のことも考えずに永遠にしゃべり続けるもんなんだよなあ。


まあ、まだ19歳だったからカワイイもんだけど。




そうそう、19歳といえばもう一人、
入院中に成人式を迎えた女の子の看護師さんがいた。



珍しく農業高校から看護師さんになった子で、

田舎のアカ抜けない感じがとっても初々しくてGOOD!!!!


話してるうちにわかったんだけど、
アタマ良くて、ハキハキして行動力があって、仕事もできる!

ボクは強い女の子が大好きなんです!


でも、
時折見せる処女(多分。失礼)の女の子らしさがオジサンのココロをスゲーくすぐるんだよねー。



他の看護師さんにも好かれてて。

先ほどのオタッキー19歳とは大違い。


最初、恋愛相談みたいな話から冗談言い合ったり、

オレが何かとツッコミ入れたりしているうちに親しくなった。




おっ、いい匂いするねえ、いいよ、その香水、

とか、

今日はなんか一段とカワイイね、この後デートかい?

とか、

昨日休みだったから、いなくてつまんなかったよー、


とか、ね。


アホか、このオッサンは!

とあきられるくらい話しかけたもんだ。





成人式の日には、振り袖で病室に来てくれた。



まぶしくて写真撮る左手が震えたなあ。


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ある日、一階のコンビニ行った時に、

ちょうど勤務を終えて帰宅直前の私服の彼女に会った。



制服の真っ白な看護服と違って、

女の子らしいカワイイスカートで髪を下ろした彼女のはにかんだ笑顔を今も良く覚えてる。




LINEしようねー、ってID教えてあげたけど……来ない…

元気かな?

待ってるよー、おじさんはいつまでも(涙)





入院当初、担当看護師として、いろいろお世話してくれた看護師さん。



「そこんとこヨロシクゥ!」

ってな感じの豪快なひとだった。



スリムで、茶髪に濃ゆいメイクに付けまつ毛、派手なペディキュア、ヤンキー上がりみたいな感じ。



怒らすと、マジコワいんだろうなって思った。


この人、実はこの病棟で一番の人気者だったんだよね!

旦那も子供もいる。

週末の婦長さん(看護師さんの中で一番エライ)が休みの時、

内緒で美味しいコーヒー淹れてくれたりした。



うまく血圧とか測れなかったりすると、

「いいよ、いいよ、テキトーに書いとくからさー」


おかげでこっちも全く気遣わなくて済んだ。




規則通りにキチッ、キチッとやるより、融通がきくというか、

息の抜きどころを知ってるっていうか、


でも、やることはしっかりやるし、他の人がやりたがらない嫌なことも笑顔でこなすし、

コミュニケーション能力も高い、と思う…



こういうスタイルは実は患者にとっては一番いいと思う。



入院生活はけっこうストレスが溜まるものだから。


他の看護師さんからも慕われてるって、いっぱい聞いた。








ベテランの、おばちゃんの看護師さんはとっても元気。


自分で大きな声で冗談言ってガハハハと笑う。

こっちもつられて笑う。


いろいろ日常生活つらいことも背負ってるんだろうけど、

それだけに明るさにも重みがある。

田舎の肝っ玉お母ちゃんみたいだった。





たまにリハビリスタッフをも説教してる厳しい婦長さん、

最初の頃、車イスで、ウンコのあとにケツもふけなかったオレのケツをやさしくふいてくれた寡黙な看護師さん、

病院で借りた壊れた古い装具をあーでもないこーでもないとイジって直してくれた声が高い看護師さん、

鼻歌口ずさみながらさっさと風呂とトイレを掃除してた笑顔がカワイイ看護師さん、

「はーい、まず〜いエサだよー、ほら食え」

と食事を運んでくれた厚化粧の看護師さん、


中には、どーしても合わない看護師さんもいたけど。



ふふ。



いろんな人に世話になったな。


シミジミ。










突然だけど、入院中の不思議な話をちょっと…





ある日、風呂に入った後、自分の部屋でまったりしてたら、

看護師さんたちが廊下を行ったり来たりでなんか騒がしい。


ドクターも来てる。



あとで聞いたら、

オレのあとに風呂に入った高齢のおばあちゃんの患者さんが風呂で倒れたらしい。

翌々日くらいにそのおばあちゃん亡くなってしまった。



で、亡くなったと聞いた日の深夜、

オシッコしたくなって起きたオレは風呂の前を通ってトイレへ。



すると風呂の中から、

ううっ、ううっ、ううっ

とおばあちゃんのうめき声が聞こえてきた。



ハッとして耳をそばだてる。


確かになんか音はしてるが風呂のドアを開ける勇気はオレにはなかった。



いい話の材料を仕入れたと、翌日親しい看護師さんたちに話して聞かせた。


「イヤだ〜怖〜い!」

「今日夜勤よワタシ〜」

なーんていいながら怖がる彼女たちを見るのは楽しかったけど、


なんだったのかな〜。

つづく





2016年05月15日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯005

IMG_4987.JPG



リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。





まだ日に1、2度、震度1〜3クラスの揺れはあるけど、

だいぶ落ち着いたかな。



そのうち地震もおさまるだろう。




皆さん、ご心配をおかけしました。←誰も心配してねえってのσ(^_^;)


いやいや、本当に
ありがとうございました。


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さてさて、リハビリのお話しのつづきを。


病院でのリハビリだが、

入院して翌々日くらいから身体を動かすことも始まった。


お世辞にも美味いとは言えない味気ない昼飯をいただいた後、

動かせる手を総動員して全精力を込めて歯を磨いたあと
(看護師さんはじめ女子が多いので口臭くねえかなあと気を使いまくってた)、

部屋でポケッとしてると、

オレには決してマネできない、とても爽やかな笑顔のお兄さんが、


「こんにちは〜担当の○○ですぅ。今日からガンバってリハビリしましょう!」


と、元気に、オレを車イスに乗っけてピューッとリハビリフロアに引っ張って行った。


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最初はとにかく身体をほぐす、ほぐす。



リハビリのベッドに寝て、麻痺してる右側を中心に、

「痛くないですかぁ、大丈夫ですかぁ」

と、脚を曲げ伸ばし、腕を曲げ伸ばし。


うつ伏せになって、肩から腰までギュッーと伸ばす。


まあ、ストレッチというやつである。



30分くらいだろうか。

意外とそれが気持ちええのなんの。


されるがままにいろいろやられてるのが、

わたしのマゾ的気分を満足させてくれたみたい。
(あくまでもお兄さんですよ!間違えないように!)






昼メシ後の、午後の陽だまりの中のまったりした時間。


スゴく丁寧に身体をほぐしてくれる。

贅沢を言えば、スタッフが女の子だったら…



もうさ、ホント―に気持ちよくてさー、
良すぎて、たまに寝てしまうくらい。




でも、実はそれは最初の週だけの話。


だんだん苦痛になるほどハードになるとも知らずに…
わたしったら。

まったくもってウカツであった。





一方、女性の作業療法士さんによる「アタマ」の中身のリハビリは、

だんだんやることも複雑になっていく。




絵を見て答えるのも、3〜5つくらい、先に絵を見せられ、

今度は絵を見ずにそれを覚えて答える。

数字を追うのも、まず記憶して取り組む。

けっこうたいへんだった。

まだまだ他にいろいろやったと思うが、
今はどうしても思い出せない。(-。-;




彼女が言ってたけど、

右側の注意力が散漫というか、右側に人がいても気付かなかったり、

自分では気づかないけど、意識がどっかに行ったり、

ボーっとすることが多かったりしたそうだ。




出血で損傷した脳細胞が、別のところで再生するんだろうけど、

その再生の途上でいろいろと支障が出ることもあるんだろう。



何もやらずにいるとそのままだけど、

とにかくリハビリで

「考える」、「覚える」、「アタマの中で組み立てる」、

これの繰り返しで、少しづつ再生させる。



でも、焦ってもダメで、

これは気長に取り組むしかないだろうと思った。


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あっ、そうだ。

最初は顔の筋肉のストレッチ?もやったっけ。



大きい鏡の前で口を大きく開けたり、

口をすぼめたり、ベロを出したり、

ぜんぶで5つの運動。



右顔面の神経が麻痺してて、少し落ちてるため、

しゃべりにくいのと、モノが二重に見える複視だから、

それに対するリハビリかな、と思った。




ラッキーなことに脳梗塞や脳卒中によくある失語症までいかなかったけど、

やはりしゃべりにくい。


ちょっとドモる感じ。


口を開くと右側が重いのだ。



利き手が使えないのに加え、食事の時も右側からボロボロこぼれる。


ひゃー。


でも、女の子としゃべるときはなめらかなんです!

人間とは(男とは?)ふしぎな生きもんです。





メガネの右側を上げてズラしてかけると、なんとかフツーに見えるけど、

そうしなきゃ全てが二重に見える。


これ、もうスゲーホントにイライラするのだ。





今じゃ、ちょい慣れたけど、

最初はアタマ痛くなったり、ずっと右目だけ手で押さえてたり、

左手で右顔面の皮膚を引っ張ったりしたもんだ。





この女性作業療法士さんとは仲良くなれて(わたしが思ってただけかもしれないが)、


リハビリの合間に雑談もできるようになった。


これもリハビリになるだろう。



ジッと顔を見て眼をキラキラさせて興味深そうに聞いてくれるので、

オレも調子に乗ってペラペラしゃべった。



フィリピンのこと、

好きな本のこと、

好きな音楽のこと、

東京のこと、

大学のこと、

両親のこと…etc。


今思い出しても楽しかったなあ。





そうそう、

リハビリスタッフのリーダーみたいなオッサンがいて(オレよりはぜんぜん若いけどオッサンに見えた)、

アタマと身体の両方取り組んでくれた。


他のスタッフと違い、口調の割に厳しくて、

車イスも決して押してはくれず(結果的には良いことだけど)、

ニコニコしながら、これじゃダメですね〜などとピシャリ。




なんとなく、多分わたしとは合わない感じ?


他の、おじいちゃんおばあちゃんの患者さんと接する時の大げさな笑い方も白々しい感じがして、


医者によくいる、病状はマニュアル通り診るけど人はあまり見ない、
そんな印象。



なんかいつも忙しそうであっち行ったり、こっち行ったり。


上に上って権威を身につけたがる人って、

なんでこういうふうになるんだろうね。

と、またいっちょまえにお世話になってる人を評価なぞしてる。


懲りないな、わたし。

いや、ある意味、「普通」に戻ってきた?





つづく



2016年04月29日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯004



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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。



さて、

最初の地震から2週間が過ぎた…

早いのぉー。



それしても余震が1000回超えたらしい…
1000回って…



ここ菊池市泗水町は、まだ1日2〜3回、

小さいけどグラッと揺れる。




夜中なんか、チョービビって飛び起きるけど、


まあ落ち着いてきたんじゃないか。

揺れに慣れてきた、っていったらへんだけど。

ニンゲン、どんな状況にも順応できる生き物なんだなあ、
ってつくづく実感…






倒れた家の周りの壁は業者に処理してもらい、

家に入ったクラックは、地震保険で何とかなりそう。






わたしが入院してた病院は被害が大きくて、


患者は福岡の病院に転院させられたらしい。



まだ完全回復まで時間がかかるんだって。

同じ元入院患者として、こころが痛みます。



いろいろ、つらかっただろうなあ。







それにしても、
つくづく片麻痺は、地震というか天災に弱いね。あー情けない。




いざという時す早く動けないし、

ビビって身体がこわばる。血圧も上がる。んでもってさらにパニくる。


使えねえー。






なにより、
大切な人も守れねえー。

べつにセイギのミカタをきどってるわけじゃないけど、

これ、けっこうつらいんです。









もっともっと動けるようにならんと!

よっしゃ、こうなったら
いよいよB段階ヴァージョン3.8リハビリ作戦(?)開始だー!

と決意。






ここでふとギモンが。


そもそも、俺はどうして倒れたんだっけ?
脳出血になったのか?


病院でドクターに聞いたこともなかった。







そういや昔から高血圧ではあった。


たまに病院なんかで測ると、決まって「高いですね〜」とよく言われたもんだ。



しかし、高血圧は「個性」みたいなもんで(??)、

血のめぐりが速いくらいにしか考えてなかった。



何じゃそりゃ、どーいう理屈だよ、ってツッコミ、ありがとうございます。

バカでしょ。

そう、バカなんです。





性格もあると思う(←急にいいわけ)


tattooやピアスの見た目と違って、

じつは、気が小さいしビビり。


人の目を気にして、すぐキンチョーする。


知らない世界に恐れもせず飛び込むが、あとでスゲー後悔する。






多分これまでの人生で血圧跳ね上がることがいっぱいあったんじゃ…。



そうそう。

食い物では、塩辛いもの、味が濃ゆいものが大好き(だった)。





ボディビルに凝って、重いバーベル、ダンベルを持ち上げ、

身体を大きくするために毎日バカ食いで、

90キロまで体重を増やしたこともあった。(←デブ、ではないんですよ。いいわけじゃなくて)






倒れる直前まで滞在してたフィリピンでは、

一回、高血圧で3日ほど入院させられたことがある。



上が200を超え、下は100を超えてた。



強制的に血圧下げる注射を打たれて、
クスリを飲ませられて、
ボケッボケッとなった。




そーいえば、帰国してからは、クスリも飲まなくなってたなあ。





まあ、そんなこんなで血管が悲鳴をあげてたんだな、きっと。




そして、いつ切れてもおかしくない状況で、
ついにぷちっと鍋…となったわけだ。





つまりですな、
人生とはこういうものなんだね。
因果応報…



でも、まだ死ななかっただけラッキーと思わなきゃ。

後悔先に立たず。(T ^ T)
立つのはいつも、アソコだけ…





脳出血や脳梗塞は高齢者の病気で、

俺にはまだまだ関係ないものと勝手に思い込んでた。


お若いみなさんもそーなんじゃないですか?




これまでなんども片麻痺の人も見てきたけどさ、

遠い世界の人くらいにしか考えてなかったんだよね。


当然のごとく、苦労も気持ちもわからない。






ま、
なっちまったもんはしょうがない。
後悔先に立たず。立つのはいつもアソコだけ…(後悔しきり…)



これは神様のプランだ。受け入れなきゃ。

できることからやらなきゃ。








2年前、東京の病院から熊本の病院に転院して、
いよいよ、リハビリがスタートした。



じつは、最初の頃のことは、あんまり覚えてない。
覚えてないなかで、
薄い記憶をたどりつつ、そのときの様子をお話します。






午前中、7〜8時に朝食。

ご飯にみそ汁、小鉢二つの粗食(失敬。でもさあ…)。

たまの納豆が楽しみ。

食ったらクスリ飲んで、洗面所で顔洗って歯を磨く。





洗面所はじいさんばあさんで混んでてイヤだったから、
よく時間をずらして行ってた。





9時には病棟の広い待合室で体操が始まる。(体操なんて高校以来?)



これもじいさんばあさんが多いから、

もう「やってらんねえ」と俺は参加しない。(←中坊なみの反抗)





ひとり反抗期の中、まったりしてると、

スタッフが病室に呼びに来て、
途中血圧測って、10時過ぎには車イスで個室に入る。







最初は

絵を見て答える、

数字を追う



そんなことをやったと思う。





カードに、お世辞にも上手いとは言えないいろんな絵が描いてあって、

それを一つ一つそれが何かを答えるのだ。



イヌ、ネコ、クルマ、汽車、家、洋服…といった感じ。




また、カードにランダムに数字があって、

声を出して1から順番に追っていく。






最初の担当の、OTだかSTだかの女の子の作業療法士さんが、

これまたカワイクてステキな人で、

時たま悟られないようにお顔、だけじゃなく

イヤラシク全身拝見しながら、

ええなあーとリラックス。





2〜30分くらいのもんだが、

日曜日を除く毎日の午前中のこの時間がスゲー楽しみになった(笑)


リハビリ、上等!





この状況でまだまだこんな余裕のある自分にビックリ。

てか女の子ダイスキ!







そーいえば、病室の看護師さんも、ステキな人多かったな。


入れ替わり立ち代り、いろんな看護師さんが世話してくれるんだけど、

優しい人、元気な人、気遣いできる人、

さすがだね。



患者からすると、ホント、ありがたい。







まあ、中には、

粗雑な人、気遣いが出来ない人、そもそも合わない人(俺が勝手に思ってただけだけど)もいたけどね。





あと文字書く練習もしたような。



利き手だった右手は全く使えず、左手で書くのだが、

手が震えてグチャグチャとなってしまい、

ミミズが這ったような、とはまさにこれだろう。



で、カワイイ作業療法士さんが(←しつこい笑)、

俺の左手を握って押さえてくれるのだが、

それがホントにドキドキもの!





まるでアソコを握られてるような…

止めろ!止めろ!いや止めないで!いやそれじゃなくて!おまえだ!不謹慎なクソオヤジめ!何考えてる!神聖な病院のリハビリの場で!( ̄▽ ̄)




失礼いたしました。つい取り乱してしまい。
えー、……次に



最初に絵を見せられて、

今度はそれを隠して答えるという記憶力?の訓練。



リハビリの個室に、専用のカードやら本やらいっぱいあって、

作業療法士さんが決めるのかな?患者の回復の度合いを見て、選択して、
取り組むのだと思う。





麻痺した身体を動かす運動療法も始まった。




思い出し、思い出ししながら、書いていきます。
ではでは。



つづく





2016年04月17日

緊急寄稿!『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯003

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』

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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。



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災害っていうのは、ホントにいきなりやってくるもんだ。



倒れて10年ぶりくらいに、このド田舎の実家に帰ってきて、

あろうことか、史上初の熊本(大)地震…



ここは熊本県菊池市泗水町。
震源地の益城町のちょっと上辺り。
益城町が最大震度7で、ここは5〜6を観測らしい。





夕食も食べて、コーヒー飲みながら、
図書館で借りた本を読んでたのが、14日の午後9時半近く。



いきなり、なんの前触れもなく、ドドーン!!!!!!!!!!!



いままで生きてきて、まったく経験したことのない、激しい揺れ!



コーヒーカップ持ったまま、
ボーゼンと開けてた窓から外を見つめてた。



あぐらをかいてたから身体が持って行かれたりすることはなかった。



揺れが収り、ゆっくり立ち上がって窓を開けた瞬間、真っ暗に。

停電だ!




外も真っ暗。
近所の家の明かりもない。



遠くから、誰か叫んでる声が聞こえる。


自分で焦ってるのはわかっていたが、ここはとにかく落ち着こうと、
一呼吸置いてテレビの下の棚に入れてた懐中電灯を手探りで取った。



あれ?
スイッチがどこかわからん。

真っ暗のうえに懐中電灯なんてめったに触らないから、
いったいぜんたい、どこにスイッチがあるのかわからない。



だんだんパニクってくる。

ああ、と手が震えてきたところでパッと電気がついた。

ほっ。





ウーウーと役所のサイレンと緊急放送が聞こえてきた。



家の中を見渡すと、テレビがずれ、押入れの座布団が落ち、
棚のものがちょっと落ちてただけ。


まあ、良かった。

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テレビ付けたら緊急報道番組。

全局。



両親も、「大丈夫か?」と2階の部屋に上がってきた。

「うん、こっちは大丈夫だよ。」




そうこうしているうちに、予期せず、次の余震が…!

し、しかもけっこうデカい!




テレビでヘルメットをかぶった地元のアナウンサーが、

「落ち着いて! 火の元の処理を!」

などと叫んでる。





いくつか余震が来て、ようやっと落ち着いたかな。





1階に降りたり、外に出ることもなく、

2階の部屋にいて、友人知人から来たメッセに答えてた。



で、余裕かまして、Facebookにいろいろ書き込んだり。
ついでにちょっと部屋を片付けたりして。



あ、そうだ! 血圧大丈夫かな?

と、鏡で顔色見たら、ほの赤い。

ヒューヒューヒューと血の流れ?に合わせて耳鳴りもする。




血圧計に腕を突っ込んでみると、上は130、下が92といつもよりちと高い。

自分では落ち着いていると思ってたけど、
身体は素直に反応するもんだ。

まあ、ぜんぜん問題なしの範囲なのではあるが、


やはりちょっとでも高いと血管切れたトラウマからドキドキ心配になる。


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夜用のクスリを早めに飲む。
ちょっと情けないなあ。

麻痺してる側の身体がちょいこわばってる。
右腕がキュッと上がってる。



でもこの日は、そのまま緊急報道番組見ながら落ち着いてきて、眠りについた。

その間もちょこちょこ余震あったが、そんなに気にしてなかった。





次の日の15日夕方。

リハビリで近所を歩いてみたが、とくに何の異常もなかった。
「けっこう揺れたけど、この辺は意外とたいしたことなかったんだな」


なんてのんきに考えてたら…!




本番(本震)はこれからだった!


最初の大地震から28時間後の16日夜中1時半頃。

わたしは、もう歯磨いてふとんに入って寝てた。


うっすら夢を見始めたとき、
またまたいきなりドッ、ドドーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!







きたー! なんかよくわからんが、きたきたきたああああー!

こりゃホントにデカい! いや、デカいなんてもんじゃない!
もうふとんの上で身体が左右に振り回されるーーーーー!
まるでゴジラが下からぶん回してるみたいだぁーー。

だれかぁ〜止めてくれ〜〜〜〜




ようやく揺れがおさまり、
恐る恐る起き上がってはみたものの、
まだ夢の中にいるみたいに頭の中はぼぉーとしてる。


「なんだなんだ! 何が起こったんだ」
アタマはまだぐぁんぐぁんして大混乱。


なんとなく、大きいのはすぐに収まったような気がする。


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気がついたらまた停電してる。
こんどはこの前みたいに部屋を見る余裕もなく、
枕のそばに置いてた懐中電灯をつけてふとんの上にボーゼンと座ってた。




親父が2階に上がってきて、懐中電灯手に、
「おい、外に出るぞ!」


そういわれることが頭の中ではわかっていたけど、
現実を受け入れたくない自分としばし格闘。




障害者手帳、保険証、金、クスリ、ケータイとか
諸々入れてそばに置いといたウエストバッグ(準備しといて良かった)を首から下げ、麻痺してる右足に装具を付けた。



わざとゆっくりと。


ケガしてない、だいじょうぶ、落ち着け、落ち着け!




部屋の外に置いてたカラーボックスが倒れてドアをふさいでいた。

親父と二人で無理矢理こじ開け、
足元に散らばったものに注意しながら、慎重に階段を降りた。

とにかく真っ暗だから、床になにが落ちてるのかよくわからん。


もし窓ガラスが割れてたりしたら、危険きわまりない。

やはり地震のあとは靴下を履くもんだ、とふと思った。





外に出ると、近所の人もわらわらと集まってきた。


両親は着の身着のまま。

なんだよ、そのかっこ。昨日の地震で準備しとけと言ったろ!



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それからは余震がヒンパンに発生。
余震のたびに大地が揺れる。

つくづく、われわれ人間は「動く地球の上」に住んでるんだな、と実感。



お袋が余震があるたびに怖い怖いといっては、
麻痺してる側の身体にしがみついてくる。


「痛てーよ、痛てーって!」



地面が割れない限り、このあたりは畑だらけで高い建物もないから安心しろよって。


ホント、田舎でよかった!








親父がなぜか車庫から車出してきた。

「何すんの?」

家の前のアパートの敷地に入れたり、また戻したり。

いよいよ親父もパニクってんのかよ。
やれやれ。




耐震構造(だったのか!)なのか、ウチも近所の家も見た目は大丈夫だ。




お隣さんちの一角に近所住民が集まり、その日は朝明るくなるまでみんなでそこで過ごすことになった。



怯えたワンちゃんもいる。
ワンちゃんだって、そりゃコワいよな。
ワンちゃんには何が起こったのかリカイできないんだろうが、
飼い主の不安が伝播するんだろな。




あーしましょう、こーしましょう、みんなでこれからのことをペチャクチャ…



こんなに人が住んでたんだと今さらわかったびっくり。



でも、私のことはみなさんに知られてるようで。

ははは…。




同じく片麻痺になった斜め後ろの家のおじさんもいて、
「こんな時片麻痺は困るねえ」
なんて話してた。




意外と自分でも驚くほど冷静だったが、
麻痺してる側の身体がこわばってる。

ただ、血圧はそんなに高くなった気はしない。

あとスゲー寒いよ。


ご近所さんが飲み物やチョコレート、ガムを持ってきてくれた。


ビニールシートや毛布、布団、それにさすがだ、ラジオも。


ウチなんて何も提供するものがない。


それらをありがたくもらいつつ、
布団にくるまって、ラジオを聞いて、周りを見渡しながら、
一晩中とりとめのない話をしてた。



こういう時、人はテンションが上がる。

近所のおばちゃんなんてケタケタ笑いながら冗談を言っている。
いや、まったくたくましいね〜。



いろんな人が前を通り、「大丈夫ですか?」と声をかけ合う。

クルマも通る。



地面に座ってると、寒くて身体がこわばるから、ジャケット取ってきて、立ってあっちをうろちょろ、こっちをうろちょろ。

すると、近所の町内会の若いにーちゃん(彼は作業着にブーツ、懐中電灯と準備万端、話してて同い年だということがわかった)が、

「ちょっと周りを見てきましょう」と言ってくれた。



「ああ、あの家なんですかあ」なんて話ながら、
一軒一軒、大丈夫ですか? と声かけして回る。



身体もだいぶ温まり、右足もぎこちなかったのがだんだんソフトになってきた。


へんな話だが、なんか町内会に貢献したようで嬉しかった。




あーあ、麻痺がなけりゃなあ。もっと参加できるのに。



最終的に汗かくぐらい運動したね。
あったかくなったよ、ありがとうございます。



だいぶ落ち着いてきて、
自宅から必要なもの持ってきたりした。


街灯は復活してた。



朝5時半頃、ようやく明るくなって、自宅を見る。


ありゃー


畑側の、周りの壁が全部倒れてる。


壁にクラックもある。


中に入るともっとヒドい。


食器棚はずれ、食器の一部がコナゴナに。


風呂場も台所も物が落ちてめちゃくちゃ。


大きい棚やタンスはずれただけで倒れなくて、ホントに良かった。
倒れてたら圧死だよ。




2階の自分の部屋に入ると、カラーボックスは倒れ、本やDVD、小物が散乱。

小さなクローゼットの棚は倒れ、服や下着が散乱。

ポットは倒れ、上に置いといた砂糖が散乱。

押入れのドアが開き、中の布団や座布団が散乱。

デッカイ姿見は倒れる寸前、テーブルはあっち向いて、し瓶は倒れて中身が。
ああ、くせ〜っ。



天井とか見たけど、部屋の中はクラックもなくよかった。



「さて、どうしよう? どこから手をつけるか?」


そうだ、ちょっとテレビ。

全局特別番組。



各地での被害が流されてる。
スンゴイことになったよ。
もう日本の終わりか? 原発大丈夫か?





とりあえず、着替えとか、必要なものを親父のクルマに入れる。

両親にも話して、まずライフラインを確保することを伝える。


最低でも一週間は余震が続くだろう。
今片付けても、またデカい余震がくれば同じになる。

後片付けは徐々にで良い。


今は何もしねえ。


曲がってずれた布団も直すことなく、そこにゴロンとなった。
余震にビクつきながらも、昼間ゆっくり休んだ。



幸い、まだ電気、水、ガス止まってない。
クルマをすぐ乗れるように車庫から出してもらい準備した。



お袋さんは余震にビクビクしながらも、近所の人のためにもオニギリ握ったりしてたが、

親父はなんか無駄に動くだけ。

高齢だし、満足に寝てないのだから、片付けで動いても疲れるだけだよ。


「休んでな」って、と言っても聞かないからイライラする。

これで血圧上がりそうだ。

また、親父は、あちこちにカギを置いて忘れたり、動かさないでいいものを動かしたり、いろんなとこの電気つけて忘れたり、

あーホントにダメだね。身内ながら情けない。


気丈なお袋さんと違い、内心かなり動揺してるのがわかったよ。
とはいえ、私もこの血を引いてんだろうな。





16日夕方、近所の避難所となった公民館に両親を行かせた。

ここにいるより近所のおばちゃん連中とコミュニケーションとってた方がストレス発散になって良いだろう。



で、俺は今日はクルマの中で寝る。



ちょこちょこ親父は戻ってきて、
薬忘れただの、自転車の鍵がないだの、
懐中電灯がないだの…


うー。




電気があるので、まだWIFIがつながる。


iPad持って、facebookやTwitterにたくさん書き込み。

現状を伝える。



友人知人からの励ましや心配するメッセージ。

ホントにありがたいし、心の支えになった。



不謹慎だけど、なんか映画かなにかの主人公になった気分。


ありがとうございます!



満足に身体が動かせない片麻痺は、こんな災害の時、ホントに困る。


足手まといになるかもしれない。

しっかりヘルプしてくれる人がいるとイイけどね。

自分の身体にイライラするけど仕方ない。

リハビリを続けて、なるべく普通の人並みに動けるようにしないとね。


火事場の馬鹿力はまだ出なかった。


あと震災後の脱力感、虚無感。

確かに地震が続くと精神が不安定になるな。

でも揺れにはスゴイ敏感になる。

小さくても余震が来ると身体が、特に麻痺の右手がビクッとなる。

わーって狂うような気もする。



片麻痺になった上に、こんな災害。
スゴい絶望感。
なんてハードな試練なんだ。



それを防ぐのは、やはりコミュニケーションだろう。


私の場合、これといってリアルなコミュニケーションをとるひともいない。
今はネットしかない。でも、それは大きい。



これを書いてる今も、まだ余震は止まらない。

もう200回近いらしい。





さっき、両親が公民館に出かけた。

誰もいない家に独り。

両親が守ってきた家はヒビが入りボロボロ。

焦ってパニクり地震にオドオドする年老いた両親を見てると悲しくなってきたな。

精一杯守ってあげたいけど、もう障害者である今の俺には力がない。




何もない。


何もできない。


ごめんなさい。


ホントに迷惑かけております。
涙出てきたよ。




さて、これからどうなることやら。



つづく。




2016年04月06日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯002



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実家のある熊本の病院に転院するとき、

入院はイヤだ〜通いで来るぅと駄々をこねたらしい(≧∇≦)
(よく覚えてないのだが)


なにしろ病院は大、大、大嫌いで、

これまで定期健診も拒否してロクに受けたことがない!

病院来ただけで血圧上がる。



かといって、
そんなわたしのわがままを聞き入れてくれるほど、みなさん甘くはない。

わかっちゃいたんだけどね。



10月28日朝早く、両親と弟に起こされ、感慨に浸る間もなく、東京の病院を車イスで出て介護タクシーで羽田へ。
午後一くらいに熊本空港に到着、またまた介護タクシーでそのまま病院へ直行。



空港に近い病院につくと、あれよあれよと手続きは済み、

車イスで4階の病棟へ。





相部屋の隅っこのベッドにおさまるやいなや、
先生やスタッフ、看護師さんが挨拶というか、(どんな輩がやってきたのか)チェックに来た。まあ、血圧測って、こんにちわ、よろしく、頑張りましょーといったものだったが。



同部屋の人は、青梅の病院とおんなじ、おじいちゃんばっか。
やれやれ。





ひとりキレイな若い看護師さんがいて、ちょっと気分が晴れた。←どこまで女好きなんだよ ( ̄▽ ̄)
でも楽しみっといったらこれくらいなんだよねー(´;ω;`)

でも、あとでこの看護師さん、ヤンキー上がりの豪快な面白い人で子持ち、病棟では人気者だということがわかった。


それから看護師さんが持ってきた遅い昼食食ったかなあ。
何食ったかは忘れたけど、不味いなあ、これが病院食かあ、と立場もわきまえずに贅沢にも思ったね。



まあ、せいぜい入院は一ヶ月くらいかなあ、ちょっとの我慢だ、

と、このときは余裕をぶっかましていた。


まさかこの日から
長〜〜い長〜〜〜〜〜〜〜い入院生活が待っていようとは。






ベッドで両親と話してて、感極まって泣いたことがある。





涙なんて見せたくなかったけど。





内容は忘れたが、なんでこんななっちまったんだろーって。







また、弟も交えて、昔こういうとこに行ったね〜とかノスタルジックな話で盛り上がった。

ホントに久々の家族団欒だったね(*^_^*)
みんな、忘れてたよ。


季節は秋。

東京の病院と違って、静かでのんびりした雰囲気でとても落ち着いた。田舎はいいかも。
相部屋だけど広々とした感じで、ひとり、部屋の向こうにいたおじいちゃんがジーっとこっちを見てた。
サナトリウムってきっとこんな感じなんだろうな。もう死期も近い、社会からドロップアウトした人たちが自然いっぱいの山奥に隔離される場所。人口の音がしないところ。
うーん。


実際には病院の前に大きな道路もあり、人の往来もいっぱいなんだが、この時はそう思ったもんだ。

病棟の窓から、ずーっと向こうに雄大な阿蘇連山が見えてた。



とにかく、ここならゆっくり寝れるなあ。周りも気にならない。


当分の間、ゆっくり休もう。




シワの深くなったお袋さんの優しい顔とカワイイ仕草、

親父さんの白髪の上のテカテカしたハゲ頭が、

秋の午後のやわらかい日差しと相まって印象的で、

まったりゆる〜りとした時間が流れてた。






しかし…

ガラケーやiPadが使えねえ…
うまくしゃべれねえ…
複雑なことができねえ…
計算ができねえ…
字がうまく書けねえ…etc


目の前につきつけられる現実に、イラ立ちは急上昇!

血圧も急上昇!





まったく、なんなんだ




ガラケーで友人の電話番号が出せない。
ちょっとイジると、元の画面に戻せない。
iPadは壊しそうでもう怖くて触れない。
顔の右側がちょっと落ちてるため、しゃべるとどもる。
思ってることが、声になって出てこない。
右手は麻痺してるから左手一本でなんか書こうとすると手が震えてダメ。
好きだった本も読めないっ!





あーあ。



ところが、後でガラケーの履歴見ると、
友人知人いろんなとこに電話してる( ̄▽ ̄)


…まったく覚えてない…

いったい何を話したのか。
ヘンな話してないだろうな?
ああオソロシイ、ハズカシイ。




ちなみに、倒れた月と翌月はケータイ代が2万近くになってた。

勇気を出してある友人に聞くと、

倒れたときの話してた、でもかなり混乱してるみたいだった、だって。




LINEでも、長らく連絡してない後輩の女の子なんかにコールしてる。


なんで?


自分に聞いてもなんでかわからない。
記憶にない。。。。





たまたま「出られなくてごめんなさい」
というメッセ入ってたけど。
とりあえずホッ。





iPadでのメッセンジャーでもなんとか答えてるけど、意味不明な返事。



ウロ覚えだが、多分ちゃんと答えたいけどキーが打てなかったんではなかろうか、わたし。



どうも、右半身の麻痺だけじゃなく、
脳に受けた障害は意外と大きかったようだ。


だんだんとそのことが自分でわかってきて愕然とした。





元に戻れるだろうか?

あるいは、ずっとこのまま?







入院に際しての検査で覚えてるのは、なんかレントゲン。
機械にアタマ突っ込んで撮ったっけ。
身長、体重も計り、あと血液検査と尿検査もしたっけ。
結果は…わからん。何もないからどーってことなかったかも。
TATTOOやピアスはどうしたかな?
多分、東京の病院での検査結果が引き継がれたんだろう。

そして、作業療法士(OT)、理学療法士(PT)、言語聴覚士(ST)らによる
本格的なリハビリが入院翌日から始まった。

でも、誰がどのひとなのかはわからない(ーー;)

まったり幸せ気分に浸ってたのは初日だけ。
当たり前だろ。遊びに来てんじゃない。

あーそうかあと、だんだん徐々に記憶が戻ってきたような気がする。
忘れてること、覚えてないこともいっぱいあると思うけど。







仕事関係でも、いろんなトラブルが待ってた。



これからどん底に向かってまっしぐら。

転がり落ちてゆく。



倒れても、まだまだゆっくりさせてくんねえな、ホントに!




つづく。


2016年04月02日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯001

『全身TATOO&ピアスな不良中年が半身マヒになってただいま元気にリハビリ日記』



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障がい者手帳.JPG






リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、親の世話になりながらリハビリに奮闘中。




よりによって記念すべき50歳の誕生日に…
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生きていれば、
そりゃあ間が悪いことなんてよくある。

それにしても、だ!

よりによって記念すべき節目の誕生日が、
人生最大の、どん底の節目になるとは。





それは、2014年に「天命を知る」50歳の誕生日直前、

10月14日のその前々日12日のことだった。



東京・あきる野市の、友人N崎くんが経営するコンビニの夜勤手伝いが終わって、

その友人宅で仮眠をとらせてもらって昼前に起きた私は、
突如、体が動かなくなった…。



起きぬけでボーっとしているせいかと思ったのだが、

急に頭の後ろがお湯を垂らしたように熱くなり、

だんだん身体からしなーっと力が抜けていったと思いきや、
頭をベッドに載せたまま、
そのままくずれるように床に倒れた。


意識はあったが、まるでスローモーションを見ているようだった。




あー。これは、なんだかよくわからんが、

ひじょーにまずいことが起きたんではないか?




朦朧とした頭で、ただごとではない事態に陥っていることだけはわかったわたしが、
とっさに取った行動が、笑える。



なぜかiPadのエロ画像とか動画とか隠すか、消さなきゃ、

と思い、そばにあったiPadを手に取って、ソッコーで処理したのだ。
(←よく動いたものだ。人間、いざとなったらなんでもできる!)


くれぐれも、その時リアルに鑑賞してたわけじゃないことだけは、神に誓って証言しておく。
(ホント!)、


まあ、男性なら、思いあたるフシは多いんではなかろうか。
(ちなみに、女性はそんなときなにを考えるのか、ひじょーに興味があるところだ)




「ヤバイ、血管切れた!」
となんとか血の気の抜けた頭で納得。


まだ動けるうちにと(←このあたりのアタマの回転スピードは凄いと我ながら感心する!)世話になっていた友人N崎くんにケータイで通報。



「助けてけくれ〜、か、身体がうううううう動かねえええええ」


「わ、わかった。待ってて!」
ありがたいことに、友人N崎くんは事態が一刻を争うことを本能的に察知してくれた。


この場面で、
「なにふざけてんだよー」
なんて展開になってたら、おそらくいまの私のおかれている状況はまったく違っただろう。



いやはや、ホントに感謝感激雨あられ神さま仏さまである。
友人N崎くんに足を向けて寝られない。




ピーポーパーポーと、遠くからサイレンが聞こえ、
すぐに救急車が来たような気がする。が、定かではない。

このあたりから、記憶は薄霧の中に消えていく。


ワーワー騒ぐ声が耳元で聞こえ、持ち上げられ、

誘拐されるひとみたく、布にくるまれて運ばれていった。




たぶん。





運ばれていく時、神さま仏さまであるところの後光が差した友人N崎くんが
わたしを静かに見下ろしていたのは、はっきり記憶している。



わたしは、
「あ、しまった、パンツ一枚だ。ちょー恥ずかしい。あれ? なんでパンツ一枚なんだっけ? エロ画像でも見てたんだっけ」


そんなとりとめのないことが頭のなかをぐるぐる巡っていたように思う。

人間、どんな事態でも、頭の中は動いているものなのだ。


すごい。ニンゲンって。





表通りで救急車に乗せられた。

外は異常に明るかった。




救急車の中はボンヤリとだが覚えてる。


「あーあ。これが救急車の中かあ。初めて乗ったなあ。一度乗ってみたかったんだよなあ」。



だいたい覚えているのはこのくらい。


そこから一週間ほど記憶がない。





死ぬまで会わないだろうなって思ってた両親と対面…
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じつは搬送されたこの時、上の血圧が220を超えていたとあとで聞いた(^◇^;)





高血圧症による左視床下部に37ミリの脳出血。

後遺症は右半身麻痺、つまり片麻痺。

あと右下部顔面麻痺と複視。





とりあえず東京・青梅の病院に運び込まれた(ようだ)。



目が覚めたときには、
浴衣みたいのを着せられ、オムツをつけて、ベッドに寝てた。


いつの間にやら気がついたら寝てたという感じ。


メガネを取られ、極度の近視のわたしは周りもボヤッとしてて、
あまり見えない。相部屋らしいのだが、誰がいるのかもわからない。




けっきょく、緊急搬送されてから、数日経っていた。




あーーーー生きてるよ、俺。

これが目覚めたときの、すなおな感想である。







TATTOOはそのままだけど(当たり前だ)、全身24カ所にしてた
ボディピアスも取れるところは外されてた。


両耳10個、
両乳首1個づつの2個、
眉・リップ各1個の2個、
取られてないのは両前腕にマイクロダーマル(埋め込みピアス)各1個の2個、
舌に1個とその下に1個。

アソコは竿に4個(真珠入れみたいなもん)、袋に2個だ。




久々に両親に対面した。
両親だけじゃなく、ありがたいことに( ´艸`)東京に住む親戚も来てた。


ああ、こんなになっちゃって…という感じで恥ずかしいやら何やら。


TATTOOもピアスも隠してたから、

さぞ親はびっくり仰天したことだろう。


腰を抜かしたかもしれない。



いやもうまったくもってなんただかなあ、である。





今思えば、そのとき、どんな話が交わされたんだろう。


10年ぶりくらいに会った両親は、当然ながら老いてた。



多分、死ぬまで会わないだろうと思ってたのにね。






オヤジは終始グチってばっかりだったが、お袋さんは何も言わずに優しかった。


このおふくろのやさしさがまた、こたえた。


「このバカ息子がぁ!!!!」
と罵倒されるほうが気が楽だったかも。


お袋さん、
ごめん。ほんとに。




友人、後輩たちもたくさん見舞いに来てくれた。

ありがたや。


といいつつ。
ごめんなさい。じつはあんまし覚えてないのだ。( ̄▽ ̄)




でも、さびしくて、人が来るのが待ち遠しかった。


誰でもいい!
来てーー!
独りにしないでー!

そんな気分。


とにかく毎日が不安だった。
わたし、これからどーなるんだろう? って。





なぜか夜がコワくて眠れない…
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半身マヒだから、当然、右腕、右脚が動かない。


それだけならまだしも、
だる〜い、重〜い感じ。



あー、こうなるんだ。




前に脳梗塞になった人を何回か見たことあるけど、まさか自分がね〜。
って感じ。



なんとなく予感はあったけど
でも、この時はまだそれほど実感がない。



とにもかくにも、まずはプロボウラーのスコア並みに高い血圧をさげなければ。

というわけで薬は降圧剤。朝夕の食事の後に。




主治医の先生は、たまに顔出し、

「大丈夫ですかあ?」

と聞くだけだった。

まことに、そっけない。



「いやあ、まったく大丈夫じゃないですなあ、あははは」
といい返したかった。




まだ若い二代目ドクターで、いかにも不良中年のわたしになんか関心ないといわんばかありの態度、イヤな感じだったなあ。

もちろん、文句いえる状況ではありませんが。





多分親と話したのかな。
レントゲンとか検査とかしただろうし。

詳細は不明。


やっぱり、TATTOO、ピアスしてたから?






なぜか夜がとても怖い。

部屋が真っ暗になるのがスゴい恐怖なのである。



友人が持ってきてくれた小ちゃなラジオをイヤホンで聴いてて、モンモンとして朝方まで過ごす日々。


結局、看護師さんに睡眠薬をもらって、
強制的に眠った。



なにが困ったって、食事がままならないのには参った。

なんたって、右手がまったく動かないのだ。
これまで当たり前に右手で箸やスプーンを口に運んでいたのに、
それがまったくできない。

これはショックだった。




左手一本では思うように食べられず、

ちょっとおばさんの(失礼。メガネがないからよく見えなかった。あ、ふつうよく見えないときは実際より若くみえるものか)看護師さんがとてもやさしく介護してくれた。

これは情けないという思い以上に、素直にうれしかった。



カラダがこんなことになってるのに、

食欲はふつうにあった。



カラダが半分動かないんだからエネルギーも半分しか消費しないだろうに。





ちょこちょこしゃべっているうちに、その看護師さんが好きになった。



とにかく、やさしくしてくれるすべての看護師さんに親しみを感じ、安心感が増した。

看護師という仕事、すばらしいです。


それはよかったんであるが。


相部屋の左隣のベッドのジジイが、

ボケてて夜中に声を上げたり、いきなりカーテンを開けたりして、

これにはさすがに閉口した。




反対側のベッドのおっさんも看護師さんに文句ばっか言っていた。

「こぉらあ、おれの女(看護師さんです)になんて口ききやがるんだ!」

と布団をかぶって毒づいてやった。






入院してから一週間くらい、ウンコが出なかった。





ある日、10分くらいねばってオムツに出た時は、

おかしいけど、

ああ、カラダが普通になってきた、

と感激した。



若い看護師さんが下の処理してくれても、全面的に信頼していたから、
もう恥ずかしいという気持ちはなくなってた。



それどころか、ああ、もっとイジってというマゾ的気分にたびたび襲われた。

この看護師さん、TATTOOやピアスに興味シンシンらしく、

いろいろ質問してくるのも、なんだかうれしかった。


そういえば、最初に外されたピアス、どこいっちゃったんだろ。
まさかあの看護師さんが…
なーんて考えるとまた夜眠れなくなるのである。



一週間に一度、お風呂タイムがあった。

ストレッチャーに寝たまま、お湯をかけて洗ってくれた。


そんな時も同じようにイジられ気分を感じていた。


おそらく、キューっと梅干みたいにしぼんでいたであろうピアスだらけのイチモツのことも皮かぶってようが、なぜか一向に気にならない。

こんなときに「マゾ的」性癖に気づかされるなんて。



ある日、友人N崎くんがメガネを持ってきてくれた。


薄ぼんやりとした視界が一気に広がり、気分もしゃきっとなった。


鏡を見た時、予想に反してそんなに右顔面が落ちていなかったことにホッとした。




しかし、ここであることに気づいた。

物が全て二重に見える。

いくら目をこらしてみても。


おかしいな、なんでだ?




緊急搬送から2週間後。車椅子で実家の熊本へ…301636.jpg



10月28日、東京の病院を退院することになった。

飛行機で実家のある九州は熊本の病院に移動することに。


そっかー、2週間以上もいたのか。


まるでぶっ倒れたのが昨日のことのようだった。



福岡に住んでる弟も移動の手伝いに来てくれた。

朝、介護タクシーで車イスに乗り、羽田空港まで。



コンビニで世話になった友人N崎くんよ、
ありがとう、
さようなら。
迷惑かけたね。
こんなになってごめんなさい。



親と親戚が転院から何から、いろいろ手続きしてくれたみたいだが、
わたしはわからない。

あわただしいのと、意識がときに朦朧としたりで、
記憶がよく途切れる。



病院を出るときの記憶も曖昧で覚えてたり覚えてなかったり。


車イスで空港を移動する時、サンドイッチをパクつきながら、
周囲の眼にさらされ、

ああ、ついにわたしもこうなったか…と改めて実感したのは覚えてる。





青梅の病院にいるときから、
病院のスタッフによる簡単なリハビリがスタートしていた。


平日の午後、車イスでリハビリの部屋に移動し、麻痺しているほうの手脚を簡単に動かすのだ。

スタッフのおっさんは、黙ってもくもくとわたしの身体をほぐしてゆく。

が、スケジュールが決まってるみたいで数十分と短い。
しかも事務的。


もっとやってよと思ってたが、そんなこと言えなかった。




そして、熊本の病院に移って、
ここから長〜い(多分、一生?)リハビリ生活の始まりとなります(*^◯^*)


つづく。